初秋の大原散策vol.7 大原西陵 他

 
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寂光院の北東の山の中腹にある大原西陵。


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(この写真のみクリックで拡大表示可)


寂光院手前の入口から長い石段が続き、それを上りきった所にありますが、入口の門が閉ざされている場合もあり、この日はそのようなことはありませんでしたが、必ずしも参拝できるとは限らないようです。

それはさておき、こちらが高倉天皇中宮・建礼門院平徳子の墓所とされていますが、彼女の晩年については諸説あり、実際にここに葬られたかどうかも不明だったりします。

享年一つとってみても、
  ・建久2年(1191) 2月 (37歳)-『平家物語』覚一本
  ・貞応2年(1223) 3月 (69歳)-『平家物語』延慶本
  ・貞応3年(1224) 春 (70歳)-『源平盛衰記』
  ・建保元年(1213)12月(59歳)-『歴代皇紀』(宮内庁の見解)

高倉天皇に入内した承安元年(1171)当時の年齢を、15歳(1157年生)とするものと17歳(1155年生)とするものの2パターンあるため、年齢はあくまでも目安としてご覧いただきたいのですが、下は37歳から上は70歳までかなり幅がありますね。これは信憑性の高い史料による記録が残っていないためでしょうが、例えば一番若い建久2年(1191) 、これは壇ノ浦の合戦の6年後に当たりますが、この時期に亡くなっていたとするなら、『玉葉』なり『明月記』なりに何某かの情報が記されている可能性が高いように思われるのですよ。

まだまだ源平争乱の記憶もそう遠くない時期のこと。
鎌倉の目も気になるとはいえ、高松院(二条天皇妃)の不倫スキャンダルをそれとなくリークしている兼実や、晩年の小督の行方をリポートした定家(こちらを参照のこと)の敏腕記者顔負けのジャーナリスト精神(?)を思うと、知れば書かずにはいられないような気がしますし、女院の妹婿に当たり、何くれとなく援助もしていたと目される藤原隆房の存在もありますから、その辺りから漏れ聞く機会も十分あったものと…。

そのように考えると、源平争乱も遠い昔の話、良き庇護者だった隆房も亡くなり(1209年没)、世間的にも彼女のことを気にかける人などほとんどいなくなった後年に、人知れず世を去ったと見るのが妥当なように思います。で、そちらの見解に合致する読み本系の「延慶本」等に従えば、何年か大原にて住まった後、他所へ居を移し、そこで亡くなったという説の信憑性も高まると…。とはいえ、亡くなった場所が大原でなくても、墓所が大原に営まれるというのももちろんアリですので、やはり実否は定かならず…と言うより他ないのですが…。


さて、ここ大原には建礼門院のお墓だけでなく、彼女に付き従った女人たちのお墓もあります。
寂光院前の道をさらに奥へ進みますと、やがてこのような鉄柵に行く手を阻まれます。


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でも、この先は立入禁止区域というわけではなくて、この柵は野生動物が降りて来ないようにするためのものだそうで、人間の出入りは自由となっていますので、勝手に開けて中へ(手など挟まないよう要注意)。この道自体は金毘羅山を経て鞍馬、さらに西賀茂~高雄~嵐山へと抜ける東海自然歩道の一部になっていて、後白河法皇の「大原御幸」も鞍馬経由でこのルートを取ったのではないかと目されています。


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それはさておき、柵をくぐり抜けるとすぐ左手にこのような石段が現れ、これを上り切った所に「阿波内侍らの墓」とされる小さな供養塔の群れが建っています。


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横にあった石碑によると前列の4基が阿波内侍、大納言佐局(重衡室)、治部卿局(知盛室)、右京大夫(資盛の恋人?)、後列左端の1基が小侍従局となっていますが、これらこそ後年に適当に想定されたものなのだそうで、そうはっきりと言い切られてしまうと、やはりちとガックリとなってしまいますね (-_-;)

ところで、阿波内侍は『平家物語』にも大納言佐と共にお付きの尼として登場していますが、その出自については信西入道の娘とするものと孫とするものがあり、語り本系の「覚一本」などでは信西の娘で母は紀二位(紀伊局=藤原朝子)、読み本系の「延慶本」などでは信西の子貞憲の娘、つまり信西の孫で年も「二十八九」としています。しかし、ネット上で「阿波内侍」のキーワードで検索してみますと、崇徳天皇が寵愛した「烏丸殿」という女性に行き当たりまして(崇徳天皇廟や安井金毘羅宮の由緒がらみで)、どうやらこちらも信西の娘らしく…。

崇徳天皇が寵愛したと言うからには、保元の乱の起きた保元元年(1156)当時に少なくとも15歳より上でしょうから、建礼門院が出家した文治元年(1185)には優に四十路を越えている計算になり、そのため、一部にある「28~9」の記述から現状では孫説の方が優位に立っていますが、ただ突然の法皇の御幸にも少しも動じることなく、堂々とした応対ぶりを見せている所などを見ると、それぐらい人生経験を積んだを女性というイメージの方がむしろしっくりと来るようにも…。

そう考えると、この当時、実際に建礼門院に仕えていたのは貞憲の娘としても、「大原御幸」に登場する阿波内侍はかつての崇徳天皇の寵女「烏丸殿」を念頭に置いて書かれたのではないか?という気もします。

当時を知る人々は阿波内侍という名に、亡き崇徳院とある女性の因縁を思い起こし、その崇徳院を結果的に不遇の死へと追い遣る事になってしまった後白河法皇との邂逅にもいっそうの感慨を覚えると共に、恩讐を越えて冷静に対応する阿波内侍の姿に、仏道修行の意義深さにも思いをめぐらせる…、そういう効果を狙って創作されたものである可能性も皆無ではないと思うのですが、いかがなものでしょうか。



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こちらは建礼門院の庵室があったとされる場所。
翠黛山の山腹にある阿波内侍らの墓とはちょうど向き合うような位置関係にありますが、特別公開時(ゴールデンウィーク頃?)以外は非公開らしく、残念ながらこの先へは進めず…(-_-;)

でも、この庵室跡よりはずっと谷側になりますが、先ほどの阿波内侍らの墓の石段下の辺りで佇んでみるだけでも、ふっと、花摘みに出掛けていた建礼門院の姿を後白河法皇が見つける場面がリアルによみがえって来るようで、ちょっとした疑似体験にはなるかと思います。


また、こうした墓所等以外にも、寂光院付近には建礼門院ゆかりの史蹟がいくつか伝えられています(次の2点はいずれもバス停から寂光院に向かう途中にあります)。


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こちらは建礼門院が歌を残したいう「落合の滝」。
   ころころと 小石ながるる 谷川の 河鹿なくなる 落合の滝


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こちらは、おぼろ月夜に建礼門院がこの泉の水に我が姿を映し、自分の身の上を歎いたと伝わる「朧の清水」。現在は泉は枯れてしまっていて、石組みが残るのみですが…。


ということで、三千院側に比べるとやや見所が少ないように思われがちな寂光院側ですが、『平家物語』の無常観に浸るにはもってこいの場所。大原においでの節には是非ともお立ち寄りいただきたいと思います。


【このページの写真は平成19年10月13日に撮影したものです】

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by kiratemari | 2007-11-08 12:53 | ├京都 | Trackback | Comments(4)
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Commented by なぎ at 2007-11-08 15:06 x
詳しいレポをありがとうございました!
阿波内侍への考察も興味深いですね。
私もぜひ実際に訪ねてみたいと強く思います。o(^-^)o
Commented by えりか at 2007-11-08 21:37 x
 手鞠さん、今晩は♪

 寂光院には12年前の春に行ったことがあるのですが、長い石段に恐れをなしてしまい、建礼門院や阿波内侍のお墓参りはしませんでした。もったいなかったです…。今度寂光院を訪れる機会があったらぜひお墓参りをしたいものです。

> 建礼門院の没年

 そうですよね、彼女がもし建久二年に世を去っていたとしたら、情報通の兼実さんが日記に書かないはずがありませんよね。なので私も、彼女の没年はずっと後のことだと思っています。阿波内侍についても興味深く読ませていただきました。
Commented by 手鞠 at 2007-11-09 01:35 x
なぎ様、こんばんは~♪
阿波内侍などは本筋にほどんど関わりのないほんの脇役ですが、こういう人物の方が余白の部分にあれこれ想像(妄想?)をめぐらせる楽しみもあって、そこがまた『平家物語』の良さでもあるのですよね。

写真でみるとこれだけ全部回るのは大変そうに見えますが、実際は、寂光院のついでにあとプラス30分もかかりませんから、その節には是非お立ち寄りになってみて下さいませ。
Commented by 手鞠 at 2007-11-09 01:38 x
えりかさん、こんばんは~♪
おっしゃるように建礼門院陵も阿波内侍の墓も、いきなり長い石段が目に入ってしまいますので、「うぇー!」と思ってしまいますが、いざ登ってみるとそれほど息を切らすこともなく難なく到着できましたし、そもそもここを上り下りする人はほとんどいなくて、ゆっくり自分のペースで登って行けますから、さほど心配はないと思いますよ。次にお越しの節には是非お参りしてみて下さいませ。

建礼門院の没年に大きな幅があるのは前から気になっていたので、今回少しだけ突っ込んで書いてみました。やっぱりあの兼実さんが何も書き残していないのがどうも引っ掛かりまして…(汗)。ただ、建久2年という年は彼の娘の中宮任子が体調不良とかいう記事も散見するので、そちらに気をとられて、とても外野の声を気にする余裕もなかったという可能性もなきにしもあらずですが…(^_^;)

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