初秋の大原散策vol.4 勝林院

 
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天台宗の魚山大原寺の下院「勝林院」(上院は「来迎院」)。
この「大原寺」の号が「大原」の地名のそもそもの由来になっている通り、平安時代初期の承和2年(835)に最澄(伝教大師)の弟子・円仁(慈覚大師)が、比叡山延暦寺の別院として建立したの始まりという古い由緒を持ちますが、その後一時衰退し、長和2年(1013年)に寂源(大原入道)が中興して、その際に「勝林院」と号したと伝わっています。

日本音楽の源流とも言われる「声明音律」の発祥の地とされ、来迎院とともに大原二流の一流の根本道場として栄えたものの、江戸時代後期の享保21年(1736)に堂宇は焼失し、現在の本堂は安永7年(1778年)の再建になります。


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非常に限られた空間を楽しむ宝泉院の後だったこともあるでしょうが、こちらに来ると、とにかく「広い!」「明るい!」(笑)の開放感いっぱいの佇まい。杉板を葺いた柿葺(こけらぶき)に総ケヤキ造りの御堂が周囲の緑ともよくマッチして、簡素にして重厚、でも「来る者拒まず」、誰でもどんと受け入れてくれるような、そんな懐の大きさも感じさせます。


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御堂に上がって、受付のおじさんにもしっかり宣伝された「美男の阿弥陀さん」とご対面(笑)。
建物の簡素さとは打って変わって、金ピカの仏様で、脇待にいかめしい不動明王・毘沙門天を従え、特に凛々しい眉が印象的(写真も撮りましたが自粛)。

その手元から下がる五色の綱は「善の綱」と呼ばれ、これに触れると阿弥陀への結縁を得ると伝えられ、また白布の綱は葬儀の折に来迎橋の外に安置した棺まで伸ばして垂らし、如来の導きによって極楽往生をするという平安朝以来の儀式のためのものだそうです。

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堂内にはボタン一つで「声明」のテープが流れる装置があり、それを聞きながらですと、いっそう厳粛な気持ちで眺められますよ。


さて、ここ勝林院では「美男の阿弥陀さん」の他に、本堂外陣の欄間や軒下の彫刻も見所の一つです。


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あまりに細かな細工に思わずじっと見入ってしまいます。
一見するとモノクロ写真のようですが、これでも通常モードで撮影しているのですよ。
その証拠に…、


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天井ではなく、足元の床板の上でじっとしているのを撮らせていただいたのですが(汗)、白木の床板にこがねむしの鮮やかな緑色が映えて、宝石のような美しさでした。といっても、昆虫類は苦手なので素手で拾い上げるなんてことはとてもできませんが… (^_^;)


一応動画もアップしておきますと…




それはさておき、大原勝林院と言えば「大原問答」。
文治2年(1186)に天台宗の顕真法印が新興勢力の浄土宗の法然上人を招き、念仏により極楽往生できるとする浄土教について、100日にも及ぶ議論を戦わせ、法然が説くたびに、本尊の阿弥陀如来が手から光を放ち、「浄土信仰」の正しさを示したことから「証拠の阿弥陀」とも呼ばれるようになったと言います。

そして、その法然の弟子となっていた蓮生坊こと熊谷直実も、師について大原の地にやって来て、堂の外で問答を聴聞していたそうで、その時に腰掛けていた石というのがこちら。


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「熊谷直実腰掛石・鉈捨藪」


この時、蓮生坊はもし法然が論破され敗れるようなことがあれば、その法敵を討ち果たす心積もりで密かに鉈を隠し持っていたものの、法然に諭されて背後の藪の中へ投げ捨てたと言われているようです。

まあ、勝林院からかなり三千院寄りの道の端にあるので、果たしてここまで問答が聞こえて来たものかは疑問ですが、それにしても、何やら『平家物語』の「殿上闇討」を彷彿させるような逸話。新興勢力叩きはいつの時代にも、いずこの世界にもあることのようですね (-_-;)


そして、この石の反対側にあるのが、後鳥羽天皇と順徳天皇の大原陵。


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承久の乱でそれぞれ隠岐・佐渡に流された両上皇ですが、配所での死後、遺骨は京に戻され、後鳥羽上皇の皇子で順徳上皇の同母弟でもある尊快法親王が、梶井宮門跡(三千院門跡)であったこともあり、この地に埋葬されることとなったようです。


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両上皇の遺骨を納めたと言われる法華堂。
後鳥羽院の水無瀬御所の資材を移し建立されましたが、享保21年(1736)の勝林院の火災時に共に焼失し、現在の堂は安永年間(1772~1781)に再建されたものとのことです。


大原といえば、後ほどご紹介する寂光院で平家の女人方が真っ先に思い浮かびますが、その平家の零落によって一度は日の目を見、しかし、世の無常の流れに押し流された人々との縁も浅からずというのは、何とも感慨深いものがあります。



【このページの写真&動画は平成19年10月13日に撮影したものです】



《メモ》
  勝林院 〈地図〉
   京都市左京区大原勝林院町187
   拝観料… 一般300円、小・中学生200円
   拝観時間…9:00-17:00
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by kiratemari | 2007-10-25 19:58 | ├京都 | Trackback | Comments(0)
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