愛し君に出会う旅 vol.6- 日野

ところで、最終目的地の日野へ向うために、木津より再び乗り込んだ「みやこ路快速」での驚き…。JR奈良線には未だに単線の区間がかなりあるのですね。
おかげで一番停車駅の少ない快速に乗っても、追い越し待ちならぬ、対向車待ちでしばし駅で足止め…なんてことにも。

東海道線の大阪-京都間などは複々線にもなっているというのに…、同じ関西圏でもえらい違いです。



  
それはさておき、六地蔵駅到着は15:16。ここからはいよいよ未知の世界…。
前もって立てた計画では、バスに乗ってまずは法界寺へ…という手はずだったのですが、困ったことに、この到着時間はうまく乗り継げるバスのないウィークスポットに当たり、30分以上の時間待ちが発生することに。

もっとも、バスの時刻表は事前に調べており、それも承知の上でこの電車に乗ったのですが…。よって、車中で善後策を思案。といっても、この場合、2つに1つしかないのですよね。法界寺まで自力で歩くか、それとも、禁じ手を使うか…。

駅から法界寺まではおよそ2kmぐらいで、徒歩なら30分弱。十分可能な距離ではありますが、問題はこの時間からだと法界寺に着くのが16時前頃になってしまい、それから重衡殿のお墓参りとなると、これはタイムオーバーになる危険性も大…。とまあ、無理やりそういう理由付けをして(汗)、タクシー利用に決定!(もう結構ヘロヘロでしたしね)

木津に比べれば格段に都会的な六地蔵駅。タクシー乗り場もすぐに見つかり、勇んで乗り込むと(笑)、所要時間10分、1メーター(660円)ですんなりと到着できました。

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法界寺(拝観料400円)

ここ「法界寺」は藤原北家の流れをくむ日野家の菩提寺で、元は山荘だった場所に、十一世紀半ば、折からの末法思想の影響を受けて、日野資業が薬師堂を建立し寺としたのが始まりとされ別称「日野薬師」。

また、その薬師堂に安置される本尊の薬師如来像の胎内に、伝教大師・最澄の自刻の薬師如来の小像(三寸)が収められていたことから、胎児を宿す妊婦になぞらえ「乳薬師」とも呼ばれ、現在も安産・授乳のご利益を求める多くの女性が、よだれかけや産衣を奉納しています。

創建当時は多くの堂舎が立ち並ぶ一大寺院だったようですが、現在は平安末期の面影を伝える国宝・阿弥陀堂と本堂の薬師堂(こちらは明治37年に奈良県竜田の伝燈寺より移築したもの)が残るのみ。ただし、近年の見解では、阿弥陀堂の方も承久の乱の際に焼失してしまい、鎌倉時代に再建されたものとの見方が有力のようですが…。

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さて、上の写真は境内ですが、向かって右側、松の枝影になっている向こうに薬師堂があり、正面に見える桧皮葺の御堂が阿弥陀堂です。薄暗い堂内に入ると、お寺の方が照明を当てつつ、いろいろ説明して下さいました(その時の見学者は私を含めわずか3名)。

中央に鎮座するのは丈六の国宝・阿弥陀如来坐像。
伽藍は先述のとおり再建の可能性が高いようですが、この像はどうやら創建時のままのものが残っているようです。撮影厳禁のため画像を載せることはできませんが、宇治の平等院鳳凰堂の本尊に最も近い定朝様式の典型的な仏像と言われ、800年以上の昔を生きた人々、あるいは重衡の妻・輔子も眺めたかもしれないその優美な姿を今に伝えます。

また、現在は色褪せてほとんど見えない状態ですが、阿弥陀像を囲む4本の柱には金剛曼荼羅の諸尊六十四像が描かれている他、内陣の長押の上の漆喰の壁間に描かれる天人壁画は、法隆寺金堂壁画焼失後、完全なものとしては最古のものだそうで(再建でもそうなのかは不明)、かつては浄土を具現するかのような極彩色の華麗な世界が広がっていたものと思われます。

ところで、ここ法界寺と重衡殿の関わりといえば…、

【北の方大納言佐殿、首をこそ刎ねられたりとも、骸をば取り寄せて孝養せんとて、輿を迎へにつかはす。げにも骸をば棄て置きたりければ、とって輿に入れ、日野へかいてぞ帰りける。これを待ちうけ見給ひける北の方の心の内、推し量られて哀れなり。
昨日まではゆゆしげにおはせしかども、暑き頃なれば、いつしかあらぬ様になり給ひぬ。
さてもあるべきならねば、其辺に法界寺といふ所にて、さるべき僧ども数多かたらひて孝養あり    ~『平家物語』巻十一「重衡被斬」より ~


重衡が一ノ谷で生け捕られて後も、最後まで平家一門と行動を共にした大納言佐・藤原輔子(すけこ)は、壇ノ浦より帰還後、生き別れたままの夫との再会をひたすら願い、日野に住む姉成子(大夫三位・六条院乳母)の許に身を寄せていました。日野は南都へ向かう醍醐路の道すがら、焼討を行った大罪人として、いずれ南都に送られるその運命を確信してのことでした。

そして、その予想に違わず重衡一行は日野を通りがかり、護送役の源頼兼(源三位入道頼政の子)の厚意により、束の間許された夫婦の再会、そして哀切極まる別れのシーンは『平家物語』あるいは『源平盛衰記』の名場面の一つとして知られますが、この出来事は慈円著の『愚管抄』巻第五でも触れられており、概ね事実と見てよいものと思われます(というより、『愚管抄』の記録を元に挿入されたエピソードと言うべきか?)。

妻として最後にできるせめてもの心づくしにと、かねてより用意していた袷の小袖と白の浄衣に着替えさせて、泣く泣く送り出した夫が、次の日には首のない骸(むくろ)となって戻ってきた悲しさ。それでも輔子は気丈に亡骸を荼毘に付し、ここ法界寺において追善供養を営み、また、後日、重源を介して貰い受けた首も同様に火葬し、遺骨は高野山に納め、墓をこの日野の地に建てたと言います。

ということで、そろそろその墓と思われる場所へと参ることにしましょう。

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法界寺の前を通る道をひたすら道なりに北へ向かいます(右手に絶えず山並みが)。
閑静な住宅街を突っ切って歩くことおよそ10分、左側の路傍にひっそりとたたずむ一つの石碑に行き会います。
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「従三位平重衡卿墓」
この写真は反対側から撮ったものですので、後ろに写り込んでいる家々の方角が南側、あちらから歩いて来たことになります。そして、この石碑の所で左に折れると、団地の中の公園のような拓けた一角が現れます。

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門のように松の木が立ち、その向こうのピンクの丸円の辺りに重衡のお墓はあります。

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日が随分と傾いてすっかり影になってしまいましたが、中央に「従三位平重衡卿墓」と刻まれた墓標、右側には大小の石を積み重ねた塔がいくつも並んでいました。

しかし、およそお墓があるとは思えない場所、そして、雑草もほとんど見えない手入れの行き届いた様子にも少し驚きました。もっと草ぼうぼうの感じを想像していましたから…。

何と言っても、重衡は当時、逆賊・仏敵として葬られた大罪人ですから、本来、大っぴらに墓を建てること自体が憚られた身の上。果たして、京と奈良を結ぶ街道筋のすぐそばに、こんなに堂々と墓を建てることなどできたものか…(今と昔では道筋もかなり違っているかもしれませんが)。

そう考えると、これが実際に輔子が建てたものかどうかには大いに疑問も持たざるを得ません。それこそ往来する悪僧などに荒らされる可能性もあり、世を忍ぶという意味でも、せめてもう少し山側へ分け入った所に作るのではないかと…。

むしろ、もっと時代を下って、『平家物語』が世間に広く知れ渡るようになってからの後人によって作られたと見る方が自然なような気がします。怨霊を恐れる日本人の気質から鎮魂のために、あるいは、熱狂的な重衡ファンが彼を偲ぶよすがとして…など理由の方はともかくとして、『平家物語』にある文章から想起して建てられたと考えれば、この立地にも納得が行くように思われます。


かくして、長年の念願だったお墓参りも、どうにか無事済ませることができたのですが、「これにて任務完了!」とは行かないのが、欲張り人間の悲しい性(さが)。
今回の日帰り探訪のスケジュールを立てるに辺り、あれこれネット検索しているうちに、またひょんな拾い物をしてしまい…。その場所へ向かうため、再び元来た道まで戻り、さらに北上すること10分強。右手にこんな石段が現れました。

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心臓破りの丘ならぬ石段(笑)。
ここまでバスやタクシーを利用しつつ、極力省エネに努めて来たとはいえ、確実に疲労が蓄積されている足腰には結構こたえます(汗)。

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しかし、階上は絶景とまでは行かないものの、木々の向こう側には京都市内も望めるなど、ちょっとした見晴らしの良さです。

でもって、ここはどこかと申しますと「一言寺観音」。
阿波内侍が建立したと伝えられるお寺で、本尊の千手観音に「心に祈れば下に願いが叶う」ことから、その名がおこったと言われます。

阿波内侍は建礼門院・平徳子に仕えた女房で、女院が大原寂光院に移る際にも、重衡の妻の大納言佐・輔子と共に付き従ったことは『平家物語』の「大原御幸」によって知られ、後白河法皇の突然の訪問に、驚きながらも従容としてこれに応対したのが、他ならぬこの阿波内侍だったと言います。

「そもそも汝はいかなる者ぞ」と仰せければ、さめざめと泣いて、しばしは御返事にも及ばず。ややあって涙を抑へて申しけるは、
「申すにつけても憚りおぼえ候へども、故少納言入道信西が娘、阿波の内侍と申しし者にて候ふなり。母は紀伊の二位、さしも御いとほしみふかうこそ候ひしに、御覧じ忘れさせ給ふにつけても、身の衰へぬる程も思ひ知られて、今更せんかたなうこそおぼえ候へ
      ~『平家物語』巻十二・灌頂巻「大原御幸」より ~


語り本系の覚一本などでは信西の「娘」として、老尼といった表現が用いられていますが、一方で読み本系の延慶本では、信西の子貞憲の娘、つまり「孫」として、年齢も29歳と建礼門院とほぼ同年代としており、現状では後者の孫説が支持されています。

ただ、系図集の『尊卑分脉』では信西の娘にも、貞憲の娘にも、それらしき女性の存在は確認できず、実在そのものが疑わしいとも言えなくはありませんが、それはともかく、後白河法皇の乳母であった紀伊二位・藤原朝子を母とする公卿の成範・脩範兄弟が、法皇の乳兄弟という縁により近臣として重用されたことを思うと、その姉妹も法皇の側近くに仕える方がどうも現実的(少なくとも都落ちの時点で残留組に入るのでは?)。

方や、貞憲は延慶本では朝子の子としていますが、『尊卑分脉』によれば母は近江守高階重仲女とあり、紀伊二位所生の子らとは一つ隔てを置く間柄だったという点を考慮すれば、阿波内侍は貞憲の娘とする方が、たとえ法皇に見忘れられていたとしても不思議ではない気がします。

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それはさておき、この一言寺。
石段を上っている時にお一方すれ違ったものの、境内に入ると人影はまるでなし。
非公開寺院の「安福寺」や知る人ぞ知るの「重衡の墓」はともかく、法界寺と言い、ここと言い、ゴールデンウィーク中とは思えない人けのなさは、人込みの苦手な私としては願ったり叶ったりですが、その反面、やはり淋しいものも感じますね。

なお、こちらの一言寺には、京都市の天然記念物にも指定される樹齢800年のヤマモモの木に、近年、3000本の紫陽花も植えられたそうで、最も楽しめるのはこれからの梅雨時と言えそうです。

今回、この後に門前まで行きながら、タイムオーバーで拝観のできなかった醍醐寺(16時まででした)を含め、この醍醐・日野界隈には見逃した史跡も数多くありますので、このリベンジの機会は是非その頃に設けたいものと既に思案中です(まあ今年は無理でしょうが)。


ということで、1日の行程としてはかなり盛りだくさんになった今回の旅。その記録の本編はこれにて終了ですが、目次を兼ねた簡単な総括のページを近日アップする予定ですので、よろしければそちらもご覧下さいませ。
長々とお付き合いいただきありがとうございました m(__)m


☆Next → 愛し君に出会う旅 vol.7- 総括

☆Back → 愛し君に出会う旅 vol.5- 木津



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by kiratemari | 2006-05-23 19:16 | Trackback(1) | Comments(4)
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Tracked from 神奈川県 鎌倉市藤沢市 .. at 2006-06-12 08:22
タイトル : 神奈川県鎌倉市・江ノ島のあじさい紹介
鎌倉・江ノ島のあじさいを紹介してみたいと思います。いろいろなところにアジサイが咲いてますので、鎌倉観光のご参考にしてください。また、鎌倉へ行って写真をとれたら追加しようかと思います。 ... more
Commented by ちゃんちゃん in 現場 at 2006-05-24 12:44 x
手鞠さん、こんにちは。

色々行かれてますねー

そう、奈良は田舎なんです(笑)
昨年、僕の父方の実家が吉野の方なんで、お盆に行ったのですが、息子が車に酔うので二人で電車旅を楽しみました。 近鉄ですが、当然の様に単線の部分も有り、無人駅も有りです。
途中で長く駅で停車することも有るわけで、その時には息子と二人で山のにおいをかいで過ごしました。
今年も行くと思うのですが、今年は娘も電車で行きたがると思いますので、3人での電車旅になりそうです。(嫁さんは留守番で息抜きかな?)
たまの父子での旅は凄く楽しみです。
Commented by 手鞠 at 2006-05-24 19:42 x
ちゃんちゃんさん、お久しぶりです。
そうでしたね。ちゃんちゃんさんはよく吉野へ行かれるのでしたね。親子で電車の旅、いいですよね。日常が時間に追いまくられているような生活ですから、ゆったりのんびりと他愛もない話をしながら過ごせる時間は貴重ですよね。

それに、短時間で行ける特急電車があれば「もっと気軽に行けるのに」との思いもあるものの、現実には、不便な場所だからこそ、まだある程度の自然が保たれている…という面もあるでしょうし、何だかんだ言っても、やはり「このままでいいのかな?」と思いますね。
Commented by bluecat at 2006-05-25 09:43
手鞠さま、こんにちは~♪
昨夜、偶然にもNHKで東大寺大仏のことを放送していましたよね!冒頭に、聖武天皇没後1250年の法要のようすが出ておりました。
重衡殿亡き後、800年も経ていると、日本などは地震も多いし、建物は木造なので火事にあうことも多いでしょうし、なかなか、お墓やお寺は創建当時のままや、場所も変わらずに存在することが難しいのでしょうね。
でも、時を隔てても、往時の人の想いが、今も脈々と受け継がれているというのは、それだけ、重衡殿が仏罰者でありながら、その人柄を伺わせるエピが、人々の彼に対する思慕をひきおこしているのだなと思うと、私もなんだかうれしいです(*^_^*)

一日だけとはいえ、中身の濃い、充実した旅でしたね!手鞠さんのおかげで、いっしょに愛し君に出会う旅ができました(^^)
Commented by 手鞠 at 2006-05-25 19:28 x
bluecatさん、こんばんは~♪
昨夜のNHKの「その時…」、私も見ましたよ。本当、タイムリーな企画(笑)。
時代は違えど、重源の再建時も似たようなものだったのではないかと思います。

何であれ、形あるものは皆、いつかは壊れ、無くなってしまうのは免れられない定め。でも「想い」は多くの人々を介しながらも、時を経て確実に受け継がれて行く…。そう思うと、人間てすごいですよね。かつて重衡殿を愛した人々の想いはちゃんと私達にも伝えられているのですから… (^_^;)

拙い駄文ではございましたが、旅の雰囲気を少しでも感じていただけたのであれば、私も大変嬉しゅうございます。

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