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激突!? 湛増vs弁慶 ―『義経』vol.33「弁慶走る」

やっぱり、人ってそう簡単に変われるものじゃないですよね。このサブタイトルに先週のあの予告では、これは苦しいだろうなあとは思っていましたが、その予想に違わぬヘッポコな内容 (^^;)

せっかくの大物の登場にも関わらず、これをただの凡人に劣化させる素晴らしい脚本に演出。
あまりの中身の不毛さに脱力して、今回ばかりは「感想もパスしようかしらん」とも思いましたが(呆)、まあ、2~3、気になる点もあるので、ここは気を取り直して、書くとしましょうか φ(..)



 
では、まずは、平家側から。
相変わらず軍議の席での人の少なさがわびしいですね。先週、伊勢三郎に難なく取り込まれた田口教能の父上・田口重能の名前も出てきましたが、これは、今後、ご当人が登場して、例の裏切り行為もやるという前振りなのでしょうか。

そして、その裏側では、安徳天皇と守貞親王が仲良く(?)「貝合わせ」。テレビゲームなんぞない時代の室内での遊びとしては、大姫と義高がやっていた「双六」と、この「貝合わせ」は双璧でしょうね。

ところで、「貝合わせ」=「貝覆い」と呼ばれる遊びは、対のものを選び出す神経衰弱のようなものですが、絵柄で合わせるというよりは、ハマグリのような二枚貝の、元々対であった貝同士でないときちんと合わない特性(これが貞節の象徴とされ、やがて花嫁道具の一つに)を生かしたゲームですので、本来、絵がなくても遊ぶことはできるのですが、そうは言っても、貝殻そのままのでは合わせにくいことから(絵のないジグソーパズルを組み立てるようなもの)、後世になって、同じ趣向の絵を描いたり、和歌の上の句と下の句を分けて書いたり…といった細工が施されるようになったようです(どうせなら、能書家で知られる能子が和歌を書き付けるなんてことをしてもよかったのでは?)。

ここは、貝が割れてしまっても、新しいものを買い求めてくることができず、知盛さんがせっせと浜辺で拾い集めてきた…ぐらい平家が没落してしまった、あるいは、それでも駄々をこねずに大人しく遊んでいる安徳天皇の健気さに涙する…という場面なのでしょうが…、なぜか、そういう感慨もあまり湧いて来ないのですよね (-_-;)
だいたいが、安徳天皇の初セリフが今頃なんて…。こういったシーンも、平家絶頂期の頃から入れてくれていれば、その対比で、まだ、落ちぶれ加減もわかりやすかったのでしょうけど…、はっきり言って遅すぎます!


さて、京の法皇様、鎌倉の頼朝&政子も登場してましたが、こちらは大して意味もなかったのでスルーさせていただくとして、お次は今回のメインである弁慶話へ。とはいえ、熊野水軍の下っ端たちとのお笑い立ち回りは、突っ込むだけアホらしいので、これもスルーします(笑)。

しかし、あんな体たらくで、あっさりと湛増の所まで通してしまっては、弁慶が猛者というより、熊野水軍のヘタレ具合が目に付くだけなのですけどね。しかも、あの湛増のイデタチ。水軍の長ということで、とんでもない勘違いをなさっているような…(水軍=海賊=『北条時宗』の松浦党・佐志房…という思考か?)

熊野別当というのは、熊野三山(本宮大社・速玉大社・那智大社)の実質的な統治者として、熊野の僧兵と水軍を束ねる一方、朝廷から法橋(五位に準じる)の地位も与えられたれっきとした「僧侶」です(「本地垂迹説」=「神仏習合思想」が主流だったこの当時は、僧侶が神社を司る「社僧」の例も少なくなかった)。
しかも、院政期の法皇様方は、熊野参詣が大のお気に入りで、頻繁に行われた御幸の際には、法皇に拝謁ということもあり得る身分ですからね。あんな「いかにも」な山賊系はさすがにNGでしょう。

まあ、二人の口論シーンは、見た目はそれなりに迫力があったものの、何せ、弁慶の語る平家との戦の大儀が、所詮は、例の義経からの受け売りですからね。それに、長年にわたる平家への恩義と、湛増本人ならまだしも、手下を助けられた恩義を同列に語られても…。

そもそも、熊野別当家と平家との関わりは、清盛の父の忠盛の代にまでさかのぼり、忠盛は別当の娘と通じて、忠度を儲けたと言われています(忠度の母については他説もありますが…)。
しかし、いっそう両家の親密さを増したのは平治の乱後のこと。清盛が熊野詣でに出掛けた留守に源義朝らが挙兵し、急ぎ京に取って返す平家を熊野の衆が助けたことから、清盛はこれを恩に着て、以後、惜しみない援助を行い、また、忠度と別当湛快(湛増の父)の娘を娶わせ姻戚関係も結んでいます。

ところで、熊野には、この湛快・湛増父子の「本宮系」田辺別当家と敵対する「新宮別当家」というのもあり、その新宮別当家の娘と源為義との間に生まれたのが、例の疫病神・源行家になります。
が、平家の躍進と共に、これと結んだ本宮別当家が栄える一方で、その間、新宮別当家は日陰に甘んじることになりますが、治承4年の源頼政の挙兵辺りから情勢は一転して混迷へ。

以仁王の令旨を運んだのが、新宮別当家ゆかりの行家であったことも、勢力挽回には追い風となり、頼政の挙兵そのものは、いち早くその情報を察知した湛増の通報で露顕し、追討される憂き目に遭いましたが、その後、頼朝が挙兵し、富士川の合戦で勝利をおさめると、その機運に乗じて、翌治承5年に、新宮の衆徒が武装蜂起に及び、平家は紀伊の在地官人に討伐を命じるものの、これに大敗するという事態に陥ります。

この時は、湛増が新宮系に加担するようなことはありませんでしたが(といって、平家にも加勢しなかったようですが)、形勢を傍観しつつ、平家の将来に危ういものを悟っていたのではないでしょうか。

そして、平家は都落ちし、一ノ谷の合戦で惨敗、さらには、妹婿の薩摩守忠度も討ち死に…と、湛増と平家を結びつけていたものが薄らぐにつれ、熊野水軍の生き残りのためにも、その去就を明確にする必要に迫られます。
が、これまでのあまりに親密すぎた平家との関係を思えば、掌を返すように、すぐさま「源氏方へ!」というわけにもいかず、ここは一つ、天意を伺おうということで、闘鶏による占いが行われることになります。

白き鶏(源氏)vs 紅き鶏(平家)の7番勝負は、いずれも白が勝ち(始めから仕組まれた八百長ということも)、これは「源氏の勝利疑いなし!」として、ここに、ようやく源氏方への加勢を決定できた…。それほど、この時代、何を行うにも大義名分というものが必要だったわけですから、それを単なる「湛増 vs 弁慶」の対決に置き換えてしまうのは、あまりに安直すぎでしょう。しかも、その闘鶏も弁慶の負けという結末では…。

要は「この弁慶がそこまで惚れ込む者なら、義経というのは大した人物なのだろう」との論理で、湛増も源氏への加勢を決めた…と話を持って行きたかったのでしょうが、その肝心の弁慶さんが相変わらずのダメダメですからね。むしろ、これで説得されてしまった湛増が、えらく小者に成り下がった感が…。そもそも、千鳥ちゃんが現れなければ、弁慶の言うことになど聞く耳持たずだったでしょうし…。

結局の所、「おぬしの命、義経殿にくれてやるのよ」
このセリフを湛増に言わせたいがために、こういう意味不明な展開にしたのでは?という疑いも。
全く、こんな話で丸々1話を消化してしまうとは…。蒲の兄上の奮闘記とか、他に、もっとやることがあったでしょうに… (/_;)


さて、最後は、瀬戸内海をゆるゆると航行中の義経ご一行さま。
カモメ語(?)もわかるらしい「エスパー義経」の第六感で、備後・鞆の浦に立ち寄って見れば、お約束どおり、弁慶が大手を振ってお出迎え(汗)。それも、義経に見せる前に、勝手に書状を広げちゃって…。つい、風に飛ばされて顔面蒼白!なんてギャグも想像してしまいましたが、どうにか無事に義経の手許へ。しかし、この時にはまた、ちゃんと封の中に収まってましたね。弁慶も「しまった!」と思い、慌てて元に戻したのでしょうか(これは演出上のチョンボのような気も…)。

ところで、この書状の裏側に、墨絵のようなものがありましたが(烏をモチーフにしたカラス文字)、これは熊野の「牛王(玉)宝印」=「神社や寺院が発行するお札・厄除けの護符」で、これに誓約文を書くことは、取りも直さず「神にかけて誓う」ということ。ゆえに、もしそれを破れば、たちまち神罰が下り地獄へ堕ちるものとされていました。
実際に、湛増がこうした起請文を源氏方に差し出したという話は聞きませんが、ドラマ上ではまあOKでしょう。後に、義経も自らの潔白を兄頼朝に訴えるために、この熊野牛王を使った誓約文を書き送ったという伝承もあるようですし…。

が、これを安易に疑った伊勢三郎は「即刻、海へ突き落とすべし!」ですね(笑)。
むしろ「牛王宝印に書かれているので、熊野水軍の助勢は疑いなし!」ぐらいの説明セリフを入れるべきでしたし、もし今後、熊野水軍の動向に疑惑が生じるような展開なのなら、逆に、こんな手の込んだことなどせず、ごく普通の紙にしておけばよかったのですし…。

それにしても、今回の湛増話は、本来、屋島出陣前に済ませておくべき話なのですよ。まあ、『平家物語』でも屋島の後に置いてあるので、順番どおりといえば、順番どおりなのですが(そういう所だけ踏襲するか)、普通に考えても、熊野水軍の制海域を掠めての阿波への渡海とくれば、追い討ちをかけられて、屋島の平家との挟み撃ちに遭う危険性も大いにあったわけで…。どこよりも、まず、味方に引き入れておかないといけない重要な相手でしょう。そういう下工作に手間取ったために、京出立から出航までに1ヶ月もかかったと考えれば、納得もいきますし…。

さてさて、いよいよ壇ノ浦へのカウント・ダウンが始まったか…と思えば、次週もまた、何だか、どうでもいい話で浪費してしまうそうですね。盛り上げるつもりが、かえって水を差す…なんてことにならなければよいのですけど… (-_-;)
by kiratemari | 2005-08-23 20:26 | テレビ | Trackback(2) | Comments(6)
Tracked from えりかの平安な日々 at 2005-08-25 10:25
タイトル : 大河ドラマ「義経」第33回&弁慶と湛増
 大河ドラマ「義経」第33回の感想です。  今回は弁慶のワンマンショーといった感じでしたね。弁慶と湛増についてはのちに述べるとして、まず平家側のことから書かせていただきます。  「熊野水軍は必ず味方をしてくれる。」と信じている知盛さん、ちょっと脳天気な感じもしますけれど、それだけ湛増と平家の結びつきが強いという証拠のようにも思えます。しかし、あらかじめ湛増のもとに使者を送らなかったことが、平家の大きな誤算だったかもしれませんね。  貝合わせをする安徳天皇と守貞親王がかわいらしかったです。しかし、...... more
Tracked from 蒼き猫の言霊日記 at 2005-08-25 11:17
タイトル : 弁慶スペシャル?!・・・大河「義経」感想
今回は弁慶が熊野水軍の別当湛増に源氏につくよう説得に行くということで、「弁慶スペシャル」でありました。 義経郎党の中ですっかりヘタレ僧兵に成り下がった弁慶の面目躍如か?!と少々期待しておりましたが・・・。 合戦シーンでは全く目立たなかった、弁慶の怪力ぶりが突然復活したり、闘鶏で勝負を挑んだりとなんだかいまいち迫力不足の感が否めませんでした。 少し前の梶原景時と義経が対立したときと同じ図式(しかもBGMも同じ?)。郎党を率いる湛増と義経以外何も無い弁慶の立場の違い。 しかし、清盛への恩義を感...... more
Commented by ともp at 2005-08-24 05:24 x
手鞠様、おはようございます。
今回の「義経」、本当に「へっぽこ」の内容でしたね。
継信最期の後にコメディの今回をもってきたということは、ひょっとして昨年の今頃の「友の死」から「寺田屋大騒動」の流れを意識したものだったのでしょうか。だとしたら、大失敗だったと思います。

ところで、湛増のあの格好、私も佐志房を思い出しました。あれでよく熊野大社からクレームがつきませんね。NHKは、熊野水軍を、海賊だと思っているのでしょうか。
また、熊野の牛王宝印がでてきましたね。聞くところによると、郵政反対派の綿貫前衆院議長(神主でもあるそうです)は、熊野牛王印に反対派議員全員に署名させ、「この誓いを破ったら、血を吐いて死ぬ」と言ったとか。
現代においてもこれほど効力のある熊野牛王印を疑った伊勢三郎はすごいです。
最後にカモメ語のわかる義経様、この分では、余裕でイルカとも会話できそうです。
壇ノ浦、いろんな意味で楽しみです。

手鞠様の御考察は、無知な私には、勉強になることばかりです。あまりの不毛さに、今回は感想をパスしようかしらと思われたそうですが、そうおっしゃらず、これからも色々御教授下さいませ。
Commented by kiratemari at 2005-08-24 19:30
ともpさま、こんばんは~♪
お盆休み前後のこの時期は、番組的にも中休み…というのが、例年の慣例のようですね。でも、それなら、いっそ、前半の回想シーンで綴るダイジェスト版にしてくれた方が、まだ、壇ノ浦に向けての盛り上げに一役買いそうな気もするのですが…。

「牛王宝印」の件は、伊勢三郎に疑わせたのが間違いなのですよね。物を知らなさそうな喜三太や鷲尾三郎なら、まだ、許せた話のような…(でも、キャラ的にこの二人にそういうことを言わせると、別の意味で問題ですけど…)

いや、何だかんだ言いながらも、感想文は最終話まで書き続けると思いますので、どうぞご心配なく(笑)。
Commented by えりか at 2005-08-25 10:44 x
 手鞠さん、こんにちは♪

 私もようやく感想を書き上げましたのでTBさせていただきました。と言っても、今週は以前予告したように短く、大したことも書いていないのですが…。

 本宮別当家と新宮別当家の対立について、大変興味深く読ませていただきました。この二つの別当家がそれぞれ源氏と平家に味方をしていたというのは面白いですね。

 さて、今回の放送についてですが……、本当に安直でしたよね。あのストーリー展開では、もし千鳥が現れなかったら湛増は絶対に義経に味方することはなかったでしょうし。闘鶏のシーンも、なぜ赤い鶏が勝ったのか意味不明でした。

 安徳天皇の初せりふが今頃というのも首を傾げてしまいますよね。来週もどうでもいいような内容みたいですし、壇ノ浦がますます心配になってきます。
Commented by bluecat at 2005-08-25 11:16
手鞠さん、こんにちは。
いつも勉強になります、手鞠さんの感想は(^^)
湛増の手紙の記号のような、絵のようなものはなんだったのだろう?と思っていたので、スッキリいたしました。ホント、熊野の牛王宝印を見ても湛増の加勢を疑う義経の郎党たちっていったいどこまで・・・以下略(ーー;)
安徳天皇と弟親王の貝あわせで遊ぶシーン、これも平家の没落ぶりを強調させるためには手鞠さんのおっしゃったような演出がよかったですよね。
それにしても知盛殿の所領であったこの彦島、壇ノ浦の合戦後は源氏軍がしばらく逗留するのですが、かなりの悲劇があったそうな・・・。
Commented by kiratemari at 2005-08-25 19:10
えりかさん、TB&コメントありがとうございます。
「本宮系vs新宮系」の争いも中々面白そうですよ。
ややこしくなるので、本文の中には書きませんでしたけど、湛増の母は行家の姉(為義の娘)という説もあるので、それで行くと、湛増と義経は従兄弟にあたり、これでもし、弁慶が湛増の息子であれば…、何かすごいことになってくるのですよね(現実的には年齢差に無理がでてきそうですが…)。
まあ、そういう血縁関係はともかく、かなりのやり手だったらしい湛増には、いつも「強い者に靡く…」という考えしかなかったのでしょうけど…。
Commented by kiratemari at 2005-08-25 19:12
bluecatさん、TB&コメントありがとうございます。
牛王宝印のことは、実は私も知らなかったのですよ (^^;)
「絵文字か?」とのたまった、うちのパパさんよりはまだましですが、何だろうと気になりながらネットサーフィンしていた所、「牛王宝印」とわかり、あれこれ調べることができました。本当、この大河は、別の意味でいろいろと勉強させて下さいますね(笑)。

彦島に残る悲劇の伝承は聞いたことがありますが、まずはスルーでしょうね。この義経様は絶対にそういうことは許さないでしょうし、京に引き上げた後の残留組が何をしようと、ドラマでは触れられることはないでしょうから… (-_-;)

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