天翔る龍の如く―『義経』vol.31「飛べ屋島へ」
今回のタイトルを見て、思わず「ガッ○ャマン」の主題歌を口ずさみかけた私って…、歳がバレてしまいますね(いや、さすがにリアルタイムで見た記憶はありませんよ。その後、繰り返しあった再放送のどれかだと…)。
まあ、そういうどうでもいい話はおいといて、今回は珍しく見ごたえのある内容だったな…と思ったら、何のことはない、ほぼ『平家物語』通りに話が進んだからなのですよね (^^;)
義経と景時の対立に、若干、従来のイメージとは異なるニュアンスも感じられましたが、こういう新解釈(?)的な試みも十分許容範囲内。
とはいえ、突然、義経のキャラが変わり過ぎた違和感も否めず、せめて、一ノ谷後のあのウジウジがなければ…と惜しまれます(今となっては、大姫がらみの話も必要だったものか…)。
冒頭部こそは、出陣を前にしての女達との別れ、熊こと鷲尾三郎の押し掛け郎党入りと、相変わらず、すんなりとは前に進まない組み立てでしたが(笑)、そんな中で、少し気になったのが正妻萌との関係。
「万一の時は、そなたのよきようになされよ。鎌倉へ戻るなり、心のままに…」
このセリフを聞いて、義経って「実は嫌なヤツ?」と思ってしまったのは私だけでしょうか? 逡巡(or 動揺?)している萌のリアクションが、妙にあからさまだったせいもあるかもしれませんが、何だか彼女を気遣ってというより、心を試しているような気がして…。
正式に認められた夫婦とはいえ、二人の間に跡継ぎの男子がいるわけでなし、そもそも「家」というものを持たない義経なのですから、その彼が戦死した場合、残された妻のとるべき道は、実家に戻るか、寺に入り落飾するか…のいずれか。
政略結婚による形ばかりの妻(しかもこの義経は指一本触れてない?)であれば、なおのこと、速やかに実家に戻り、縁があれば再婚…というのが自然な道すじでしょう。
にもかかわらず、こういうことをわざわざ口にしたのには、これは意地の悪い穿ちすぎな見方だとは思いますが、「私を想ってくれているのなら、出家して菩提を弔ってくれるよな」と釘を刺しているみたいに聞こえて、あまり良い印象を持てませんでした(義経の表情にも、言葉の端々にも、彼女に対する感情が何も見えて来ないので、余計にそう思ったのかもしれませんが)。
もっと単純に「鎌倉の御父上の許に戻られよ」ではいけなかったのでしょうか。
それはさておき、義経が平家追討のため京を発ったのは元暦2年(1185)1月10日(吉記・百錬抄)。その2日前の8日に、義経自ら四国攻めを院に強く願い出て、それが受け入れられての出陣だったようです(吉記)。
ただ、この申請が鎌倉の頼朝からの指示を受けてのものなのか、はたまた、義経が独自の判断で勝手に行なったものなのか…。
従来の解釈では、概ね前者を採っていましたが、近年は「義経の独断専行」とする説も注目を浴びており、後の兄弟不和の経緯も考え合わせると、義経のスタンドプレーであったと見る方が、何かにつけしっくり来るような気もします。
さて、屋島へ向けての船出は2月16日(『玉葉』『吾妻鏡』)。ということで、京を離れてから、1ヶ月以上もの時間を費やしたことになりますが、これは、水軍を持たない鎌倉軍のこと、軍船や兵馬の調達が、思うように捗らなかったためでしょう。
そして、そうした情報も、すぐさま屋島の平家の耳にも届き、善後策を練ったであろうことも疑いのない所ですが(時忠さんも随分とお久しぶりのご登場で)、ここに知盛さんがいるとはどういうことで? 九州に進軍中の蒲の兄上は、いったい、誰に手こずってらっしゃるのやら???
まあ、すぐに長門に向かうとの軌道修正も入りましたが、この時点では、最も臨戦態勢にあったであろう長門・彦島に、肝心要の知盛が不在とは考えにくく、体のいい人数合わせとしか思えない登場のさせ方には、甚だ疑問を感じます。
で、男達の軍議の影で、領子からスパイ容疑を掛けられている能子。
能書家としても知られる女性ということで、わざわざ筆を手にするシーンも入れられたのでしょうか。
しかし、義経からの密書って…、そんなものが誰の目にも止まらず、彼女の許に届けられるほど、屋島のセキュリティーは甘いってことなのですかね。現に、一条長成から書状が来ていたことも知られてなかったようですし… (^^;) そういう疑いを持つくらいなら、まずは、厳重な監視をつけておいてもよさそうなものですけど…。
ところで、先の義経の四国攻め申請に絡み、その前後の『吉記』の記事を眺めていた所、ちょっと面白いもの(?)を発見!
1月20日条の除目入眼の記事の中に「侍従藤原能成、故長成朝臣男」。
この能成は、一条長成と常盤の子ということで、義経の異父弟に当たりますが、注目すべきは「故長成」。常盤よりも、当のご本人の方が、既に亡くなっていたということですね(汗)。
今さら言っても詮無いことですが、いっそ、清盛よりも、長成との父子関係を軸にして、一ノ谷の戦勝を聞きながらのご臨終…という設定もよろしかったのでは?(死後半年以上経っていれば、前回分で触れた服解の問題もクリアーできそうですし、もちろん、常盤は最後まで存命させるということで)
閑話休題。
ここからは、鬼才(?)義経の屋島攻略作戦に話を向けますと、摂津源氏の渡辺党の協力を得て、まずは船40艘を確保。これに梶原水軍を加え計150艘ということでしたが、「梶原水軍? 景時さんて水軍もお持ちで?」と思い、ちょいとググッてみた所、どうやら「梶原水軍」=「沼島水軍」ということのようで…。
「沼島」は淡路島の南にある小さな島。
一ノ谷の合戦後、頼朝は、瀬戸内海周辺の平家方家人の突き崩しを図るべく、土肥実平・梶原景時の両名を惣追捕使として、播磨・美作・備前・備中・備後の5カ国に進駐させていましたが、その間に、梶原氏が麾下の水軍として、編成し直したらしいのがこの沼島水軍で、屋島の合戦に参戦していたのは事実のようです。
【沼島中学校HP内「沼島再発見」の項に詳しい考察が掲載されています】
始め、セリフで聞いただけでは、領地の相模から呼び寄せるのかと思ってしまいましたが(汗)、しかし、目と鼻の先の淡路島からなら、なおのこと、どうして到着までに何日もかかるのか…。間に合う、間に合わない以前に、先ほども触れたように1ヶ月以上の準備期間があったわけですから、その間にきちんと段取りをつけておくべきことでしょう。それに、沼島から一旦渡辺まで呼び寄せるよりは、義経一行が渡辺党の船でまずは沼島まで行き、そこから、全軍を挙げて、阿波なり、屋島なりへと向かった方が、ずっと効率的なようにも思えるのですが…。
この辺りの話については、『平家物語』自体、完全な虚構の可能性が高く、もしかすると、義経と景時は始めから別行動をとっていて、渡辺の津に景時の姿はなかった…なんてことも?
有名な「逆櫓論争」にしても、あるいは、院近臣の高階泰経が渡辺まで赴き、出陣を思い留まるよう義経を説得しようとした話(玉葉・吾妻鏡)と、後に流布した景時の讒言説がミックスされて作られた創作話だったりして?…とか。
当初は、義経が渡辺党を引き連れて沼島に立ち寄り、ここで景時らと合流した後、共に四国へ向かう…との策の許、双方で出陣準備を進めていたにもかかわらず、功を焦った義経が抜け駆けして単独で阿波国へ渡海してしまい、出遅れた景時は苦杯を嘗めることになった…などと考えてみると、また違った面も見えてくるような気がします。
まあ、そういう「もしも?」話はともかく、ドラマに話を向けると、およそ『平家物語』どおりだった逆櫓論争は、中々に見ごたえがありました。やはり、元の素材がよいのですから、下手に手を加えないのが「おいしく仕上がる秘訣」であることを、見事に証明してくれましたね。
景時相手に熱くなる義経。こういう彼の姿を心待ちしていた方も多いことでしょう。
とりわけ、今回の脚本で良かったと思われる点は、双方の主張が完全な対極にありながら、「どちらもわかるなあ…」と大いにうなずけた所。
景時の「わからん!」の一言が全てを物語る世代間、あるいは、天才と凡人のギャップの大きさ。加えて、所領を背負う重さ、それを持たない義経のためらいのなさ…と、うまく核心をついていたように思います。
とはいえ、演者の力量に少し差がありすぎて、残念ながら、義経に景時の大きさ(見た目ではありませんよ)を凌駕するだけのパワーは感じられず、時に、単に駄々をこねているようにしか見えなくなること、そして、そんな義経に論破されてしまう景時…というのにも、少なからず無理も感じました。
が、ともかくも、梶原景時をこれほど好意的に受け入れられる描き方をしてくれたことには、一種の感動もありましたし、これまでどこか偏見を持って見ていた梶原景時という人物の見方を少し改めてみるか…という気にもなりました(頼朝についても、こういう潔さを前面に出した美化なら、もっと受け入れやすかったのでしょうけどね)。
それにしても、息子の景季の義経心酔度も、ますます高まって行くばかりですね。一ノ谷での逆落としはパスしちゃいましたが、それがよっぽど悔しかったのか(?)、今回の嵐をおしての渡海には「何が何でも!」と同行志願。若さゆえの無謀とはいえ、景時パパも気苦労の絶えないことで…(笑)。
一方、景時と遣り合って、義経も少しは応えたのか、継信相手に愚痴をこぼす一幕も。ここ2~3週に限っては、完全に 継信>弁慶 の扱いですね。これも、いよいよ次週に迫った最期のゆえでしょうが…(涙)。
おかげで、その分、割を食った形の弁慶は、諜報活動でも役立たずの上に、景時に食ってかかって行ったりと、ややもすると義経の立場も悪くしかねない非常識さで、存在価値そのものが危ういことになっています(汗)。
継信の死によって、突如、大変身!…という展開なら、かろうじてまだ間に合うかもしれませんが、すっかりお笑いキャラに堕ちた彼のイメージアップは急務ですよ!
そして、最後にもう一点。戦前の下調べはお手の物の義経郎党の中で、今回、特にその活躍ぶりが光ったのは駿河次郎でしたね。さすがに元漁師。船の漕ぎ手の手配まで、しっかり抜かりはありません。
『平家物語』では、「嵐の海には船を出せない!」と渋る船頭や梶取り達に、「船を出さなければこの場で射殺す!」と弓に矢をつがえた継信や伊勢三郎が脅しをかけ、「同じ死ぬなら難破して死んだ方がましだ!」と半ば破れかぶれで船を出した…などとあるのですが…。
これはもう、何度も言っていることですけど、このドラマに限っては、慈悲深い良識者の義経様ですから、そんな無体なことをさせるはずはありませんものね(しかし、この大仕事を引き受けされるのに、次郎はいったいどんな取引をしたものやら…)。
「我ら天翔る龍の如く飛び、阿波へと導かれようぞ!」
ついに、嵐の海に乗り出した船5艘。
揺れ動く船上(まだ立っていられるぐらいだから、そう大したこともない?)で、笑みさえ浮かべる義経に、きっと戦をしている間だけは、何の煩わしいことも考えずに済んで、一番幸せなのだろうな…という思いがふとよぎりました。
そして、そんな彼が、平和な世に存在することなどできないのだろうとも…。
まあ、そういうどうでもいい話はおいといて、今回は珍しく見ごたえのある内容だったな…と思ったら、何のことはない、ほぼ『平家物語』通りに話が進んだからなのですよね (^^;)
義経と景時の対立に、若干、従来のイメージとは異なるニュアンスも感じられましたが、こういう新解釈(?)的な試みも十分許容範囲内。
とはいえ、突然、義経のキャラが変わり過ぎた違和感も否めず、せめて、一ノ谷後のあのウジウジがなければ…と惜しまれます(今となっては、大姫がらみの話も必要だったものか…)。
冒頭部こそは、出陣を前にしての女達との別れ、熊こと鷲尾三郎の押し掛け郎党入りと、相変わらず、すんなりとは前に進まない組み立てでしたが(笑)、そんな中で、少し気になったのが正妻萌との関係。
「万一の時は、そなたのよきようになされよ。鎌倉へ戻るなり、心のままに…」
このセリフを聞いて、義経って「実は嫌なヤツ?」と思ってしまったのは私だけでしょうか? 逡巡(or 動揺?)している萌のリアクションが、妙にあからさまだったせいもあるかもしれませんが、何だか彼女を気遣ってというより、心を試しているような気がして…。
正式に認められた夫婦とはいえ、二人の間に跡継ぎの男子がいるわけでなし、そもそも「家」というものを持たない義経なのですから、その彼が戦死した場合、残された妻のとるべき道は、実家に戻るか、寺に入り落飾するか…のいずれか。
政略結婚による形ばかりの妻(しかもこの義経は指一本触れてない?)であれば、なおのこと、速やかに実家に戻り、縁があれば再婚…というのが自然な道すじでしょう。
にもかかわらず、こういうことをわざわざ口にしたのには、これは意地の悪い穿ちすぎな見方だとは思いますが、「私を想ってくれているのなら、出家して菩提を弔ってくれるよな」と釘を刺しているみたいに聞こえて、あまり良い印象を持てませんでした(義経の表情にも、言葉の端々にも、彼女に対する感情が何も見えて来ないので、余計にそう思ったのかもしれませんが)。
もっと単純に「鎌倉の御父上の許に戻られよ」ではいけなかったのでしょうか。
それはさておき、義経が平家追討のため京を発ったのは元暦2年(1185)1月10日(吉記・百錬抄)。その2日前の8日に、義経自ら四国攻めを院に強く願い出て、それが受け入れられての出陣だったようです(吉記)。
ただ、この申請が鎌倉の頼朝からの指示を受けてのものなのか、はたまた、義経が独自の判断で勝手に行なったものなのか…。
従来の解釈では、概ね前者を採っていましたが、近年は「義経の独断専行」とする説も注目を浴びており、後の兄弟不和の経緯も考え合わせると、義経のスタンドプレーであったと見る方が、何かにつけしっくり来るような気もします。
さて、屋島へ向けての船出は2月16日(『玉葉』『吾妻鏡』)。ということで、京を離れてから、1ヶ月以上もの時間を費やしたことになりますが、これは、水軍を持たない鎌倉軍のこと、軍船や兵馬の調達が、思うように捗らなかったためでしょう。
そして、そうした情報も、すぐさま屋島の平家の耳にも届き、善後策を練ったであろうことも疑いのない所ですが(時忠さんも随分とお久しぶりのご登場で)、ここに知盛さんがいるとはどういうことで? 九州に進軍中の蒲の兄上は、いったい、誰に手こずってらっしゃるのやら???
まあ、すぐに長門に向かうとの軌道修正も入りましたが、この時点では、最も臨戦態勢にあったであろう長門・彦島に、肝心要の知盛が不在とは考えにくく、体のいい人数合わせとしか思えない登場のさせ方には、甚だ疑問を感じます。
で、男達の軍議の影で、領子からスパイ容疑を掛けられている能子。
能書家としても知られる女性ということで、わざわざ筆を手にするシーンも入れられたのでしょうか。
しかし、義経からの密書って…、そんなものが誰の目にも止まらず、彼女の許に届けられるほど、屋島のセキュリティーは甘いってことなのですかね。現に、一条長成から書状が来ていたことも知られてなかったようですし… (^^;) そういう疑いを持つくらいなら、まずは、厳重な監視をつけておいてもよさそうなものですけど…。
ところで、先の義経の四国攻め申請に絡み、その前後の『吉記』の記事を眺めていた所、ちょっと面白いもの(?)を発見!
1月20日条の除目入眼の記事の中に「侍従藤原能成、故長成朝臣男」。
この能成は、一条長成と常盤の子ということで、義経の異父弟に当たりますが、注目すべきは「故長成」。常盤よりも、当のご本人の方が、既に亡くなっていたということですね(汗)。
今さら言っても詮無いことですが、いっそ、清盛よりも、長成との父子関係を軸にして、一ノ谷の戦勝を聞きながらのご臨終…という設定もよろしかったのでは?(死後半年以上経っていれば、前回分で触れた服解の問題もクリアーできそうですし、もちろん、常盤は最後まで存命させるということで)
閑話休題。
ここからは、鬼才(?)義経の屋島攻略作戦に話を向けますと、摂津源氏の渡辺党の協力を得て、まずは船40艘を確保。これに梶原水軍を加え計150艘ということでしたが、「梶原水軍? 景時さんて水軍もお持ちで?」と思い、ちょいとググッてみた所、どうやら「梶原水軍」=「沼島水軍」ということのようで…。
「沼島」は淡路島の南にある小さな島。
一ノ谷の合戦後、頼朝は、瀬戸内海周辺の平家方家人の突き崩しを図るべく、土肥実平・梶原景時の両名を惣追捕使として、播磨・美作・備前・備中・備後の5カ国に進駐させていましたが、その間に、梶原氏が麾下の水軍として、編成し直したらしいのがこの沼島水軍で、屋島の合戦に参戦していたのは事実のようです。
【沼島中学校HP内「沼島再発見」の項に詳しい考察が掲載されています】
始め、セリフで聞いただけでは、領地の相模から呼び寄せるのかと思ってしまいましたが(汗)、しかし、目と鼻の先の淡路島からなら、なおのこと、どうして到着までに何日もかかるのか…。間に合う、間に合わない以前に、先ほども触れたように1ヶ月以上の準備期間があったわけですから、その間にきちんと段取りをつけておくべきことでしょう。それに、沼島から一旦渡辺まで呼び寄せるよりは、義経一行が渡辺党の船でまずは沼島まで行き、そこから、全軍を挙げて、阿波なり、屋島なりへと向かった方が、ずっと効率的なようにも思えるのですが…。
この辺りの話については、『平家物語』自体、完全な虚構の可能性が高く、もしかすると、義経と景時は始めから別行動をとっていて、渡辺の津に景時の姿はなかった…なんてことも?
有名な「逆櫓論争」にしても、あるいは、院近臣の高階泰経が渡辺まで赴き、出陣を思い留まるよう義経を説得しようとした話(玉葉・吾妻鏡)と、後に流布した景時の讒言説がミックスされて作られた創作話だったりして?…とか。
当初は、義経が渡辺党を引き連れて沼島に立ち寄り、ここで景時らと合流した後、共に四国へ向かう…との策の許、双方で出陣準備を進めていたにもかかわらず、功を焦った義経が抜け駆けして単独で阿波国へ渡海してしまい、出遅れた景時は苦杯を嘗めることになった…などと考えてみると、また違った面も見えてくるような気がします。
まあ、そういう「もしも?」話はともかく、ドラマに話を向けると、およそ『平家物語』どおりだった逆櫓論争は、中々に見ごたえがありました。やはり、元の素材がよいのですから、下手に手を加えないのが「おいしく仕上がる秘訣」であることを、見事に証明してくれましたね。
景時相手に熱くなる義経。こういう彼の姿を心待ちしていた方も多いことでしょう。
とりわけ、今回の脚本で良かったと思われる点は、双方の主張が完全な対極にありながら、「どちらもわかるなあ…」と大いにうなずけた所。
景時の「わからん!」の一言が全てを物語る世代間、あるいは、天才と凡人のギャップの大きさ。加えて、所領を背負う重さ、それを持たない義経のためらいのなさ…と、うまく核心をついていたように思います。
とはいえ、演者の力量に少し差がありすぎて、残念ながら、義経に景時の大きさ(見た目ではありませんよ)を凌駕するだけのパワーは感じられず、時に、単に駄々をこねているようにしか見えなくなること、そして、そんな義経に論破されてしまう景時…というのにも、少なからず無理も感じました。
が、ともかくも、梶原景時をこれほど好意的に受け入れられる描き方をしてくれたことには、一種の感動もありましたし、これまでどこか偏見を持って見ていた梶原景時という人物の見方を少し改めてみるか…という気にもなりました(頼朝についても、こういう潔さを前面に出した美化なら、もっと受け入れやすかったのでしょうけどね)。
それにしても、息子の景季の義経心酔度も、ますます高まって行くばかりですね。一ノ谷での逆落としはパスしちゃいましたが、それがよっぽど悔しかったのか(?)、今回の嵐をおしての渡海には「何が何でも!」と同行志願。若さゆえの無謀とはいえ、景時パパも気苦労の絶えないことで…(笑)。
一方、景時と遣り合って、義経も少しは応えたのか、継信相手に愚痴をこぼす一幕も。ここ2~3週に限っては、完全に 継信>弁慶 の扱いですね。これも、いよいよ次週に迫った最期のゆえでしょうが…(涙)。
おかげで、その分、割を食った形の弁慶は、諜報活動でも役立たずの上に、景時に食ってかかって行ったりと、ややもすると義経の立場も悪くしかねない非常識さで、存在価値そのものが危ういことになっています(汗)。
継信の死によって、突如、大変身!…という展開なら、かろうじてまだ間に合うかもしれませんが、すっかりお笑いキャラに堕ちた彼のイメージアップは急務ですよ!
そして、最後にもう一点。戦前の下調べはお手の物の義経郎党の中で、今回、特にその活躍ぶりが光ったのは駿河次郎でしたね。さすがに元漁師。船の漕ぎ手の手配まで、しっかり抜かりはありません。
『平家物語』では、「嵐の海には船を出せない!」と渋る船頭や梶取り達に、「船を出さなければこの場で射殺す!」と弓に矢をつがえた継信や伊勢三郎が脅しをかけ、「同じ死ぬなら難破して死んだ方がましだ!」と半ば破れかぶれで船を出した…などとあるのですが…。
これはもう、何度も言っていることですけど、このドラマに限っては、慈悲深い良識者の義経様ですから、そんな無体なことをさせるはずはありませんものね(しかし、この大仕事を引き受けされるのに、次郎はいったいどんな取引をしたものやら…)。
「我ら天翔る龍の如く飛び、阿波へと導かれようぞ!」
ついに、嵐の海に乗り出した船5艘。
揺れ動く船上(まだ立っていられるぐらいだから、そう大したこともない?)で、笑みさえ浮かべる義経に、きっと戦をしている間だけは、何の煩わしいことも考えずに済んで、一番幸せなのだろうな…という思いがふとよぎりました。
そして、そんな彼が、平和な世に存在することなどできないのだろうとも…。
by kiratemari
| 2005-08-10 12:53
| テレビ
|
Trackback(1)
|
Comments(4)
Tracked
from えりかの平安な日々
at 2005-08-11 16:47
タイトル : 大河ドラマ「義経」第31回&廊の御方
大河ドラマ「義経」第31回の感想です。 今回の見どころは、やはり義経と景時の対決だったと思います。 できるだけ早く屋島に出発したいという義経と、水軍が来るまで出発は待った方が良いと思っている景時。二人の心情のすれ違いがよく描かれていたと思いました。 結果的には義経の屋島への奇襲作戦が戦いに勝利する大きな要因となったのですけれど、嵐の中少人数で船をこぎ出すという義経の行為、私にはどう見てもスタンドプレイとしか思えませんでした。かえっつて義経をいさめた景時の方がよっぽど常識的に思えます。 ...... more
大河ドラマ「義経」第31回の感想です。 今回の見どころは、やはり義経と景時の対決だったと思います。 できるだけ早く屋島に出発したいという義経と、水軍が来るまで出発は待った方が良いと思っている景時。二人の心情のすれ違いがよく描かれていたと思いました。 結果的には義経の屋島への奇襲作戦が戦いに勝利する大きな要因となったのですけれど、嵐の中少人数で船をこぎ出すという義経の行為、私にはどう見てもスタンドプレイとしか思えませんでした。かえっつて義経をいさめた景時の方がよっぽど常識的に思えます。 ...... more
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bluecat at 2005-08-11 09:08
手鞠さん、おはようございます!感想、興味深く読ませていただきました。
実は今回は完全に土曜日の再放送を待たねば観られないゆえ、手鞠さんの文章で画面を創造しながら読みました。
今回は「平家物語」そのままの部分が多かったようですね。それにしても常盤より夫で義経の義理の父にあたる一条長成さんのほうが先に亡くなられていたとは!!
やっぱり常盤は生かして後のお話にからませるべきでしたね~(^_^;)
お笑い郎党に成り下がった弁慶の今後のキャラが心配ですね、手鞠さんのおっしゃるように、継信亡き後、豹変するんでしょうか?資盛が教経の代役するくらい無茶ですね?!
無茶といえば、壇ノ浦では義経は非戦闘員である船頭・舵取りを射殺すという暴挙に出るのですが、それはやはり慈悲深い今回の義経ではスルーでしょうね・・・。
実は今回は完全に土曜日の再放送を待たねば観られないゆえ、手鞠さんの文章で画面を創造しながら読みました。
今回は「平家物語」そのままの部分が多かったようですね。それにしても常盤より夫で義経の義理の父にあたる一条長成さんのほうが先に亡くなられていたとは!!
やっぱり常盤は生かして後のお話にからませるべきでしたね~(^_^;)
お笑い郎党に成り下がった弁慶の今後のキャラが心配ですね、手鞠さんのおっしゃるように、継信亡き後、豹変するんでしょうか?資盛が教経の代役するくらい無茶ですね?!
無茶といえば、壇ノ浦では義経は非戦闘員である船頭・舵取りを射殺すという暴挙に出るのですが、それはやはり慈悲深い今回の義経ではスルーでしょうね・・・。
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kiratemari at 2005-08-11 13:04
bluecatさん、こんにちは~♪
まだ放送をご覧になっていないのですね。でも今回は、ネタばれが気になるほどのものはありませんでしたから、まあ大丈夫でしょうか。
長成さんについては、正確な没年はわからないものの、こういった記録によって、推測の幅を狭められるってことはありますね(『吾妻鏡』の常盤尋問の記事にしても)。しかし、本当に、常盤は最後まで生かしておいて欲しかったです!
しかし、お気楽キャラばかりの義経郎党も、来週の継信戦死ではシリアスにお願いしたいですね。泣き笑いみたいなことをされては興ざめですから。これは大役を仰せつかった(?)資盛さんにも言えることですけど。
壇ノ浦での例の残虐行為も間違いなくスルーでしょう(やったら逆に尊敬します!)。その分、確実に平家の水軍も大したことなかった…というマイナス効果をもたらしてくれることと… (-_-;)
まだ放送をご覧になっていないのですね。でも今回は、ネタばれが気になるほどのものはありませんでしたから、まあ大丈夫でしょうか。
長成さんについては、正確な没年はわからないものの、こういった記録によって、推測の幅を狭められるってことはありますね(『吾妻鏡』の常盤尋問の記事にしても)。しかし、本当に、常盤は最後まで生かしておいて欲しかったです!
しかし、お気楽キャラばかりの義経郎党も、来週の継信戦死ではシリアスにお願いしたいですね。泣き笑いみたいなことをされては興ざめですから。これは大役を仰せつかった(?)資盛さんにも言えることですけど。
壇ノ浦での例の残虐行為も間違いなくスルーでしょう(やったら逆に尊敬します!)。その分、確実に平家の水軍も大したことなかった…というマイナス効果をもたらしてくれることと… (-_-;)
手鞠さん、こんにちは♪ようやく感想をUPできましたので後ほどトラックバックさせていただきますね。
さて、手鞠さんの感想を今週も興味深く読ませていただきました。
私も、景時が常識的で好意的に見えたのですが、やはり役者さんの力量が大きく影響しているのでしょうね。
「吉記」に故長成」と記述があるのは興味深いです。私も以前の記事に「義経が父だと思っていたのは清盛ではなく長成なのではないか。」と書いたことがありますが、手鞠さんのおっしゃるように義経と長成の父子の絆を描いた方が面白かったような気がします。「清盛を父だと思っていた。」という設定は絶対に無理がありますもの。
お笑いキャラ弁慶の大変身、私も期待しています。
さて、手鞠さんの感想を今週も興味深く読ませていただきました。
私も、景時が常識的で好意的に見えたのですが、やはり役者さんの力量が大きく影響しているのでしょうね。
「吉記」に故長成」と記述があるのは興味深いです。私も以前の記事に「義経が父だと思っていたのは清盛ではなく長成なのではないか。」と書いたことがありますが、手鞠さんのおっしゃるように義経と長成の父子の絆を描いた方が面白かったような気がします。「清盛を父だと思っていた。」という設定は絶対に無理がありますもの。
お笑いキャラ弁慶の大変身、私も期待しています。
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kiratemari at 2005-08-11 19:59
えりかさん、こんばんは~♪ TBありがとうございました。
景時の言動に、一々「そうだ! そうだ!」とツッコミを入れていたのは、私もご同様です(笑)。個人的な希望としては、義経には、外見が30歳前後に見える方をお願いしたかったですね。やはり、タッ○ーでは、どうもおぼこすぎるのですよ(笑)。
清盛を父のように慕う…この設定が諸悪の根源でしょうね。平家対して憎悪を向けられず、義経が戦いに身を投じる理由付けが「兄上のため」だけでは、あまりにも弱すぎますよ。本当に、自ら無謀な設定を組んで、自分の首を絞めているのですから、目も当てられません (>_<)
景時の言動に、一々「そうだ! そうだ!」とツッコミを入れていたのは、私もご同様です(笑)。個人的な希望としては、義経には、外見が30歳前後に見える方をお願いしたかったですね。やはり、タッ○ーでは、どうもおぼこすぎるのですよ(笑)。
清盛を父のように慕う…この設定が諸悪の根源でしょうね。平家対して憎悪を向けられず、義経が戦いに身を投じる理由付けが「兄上のため」だけでは、あまりにも弱すぎますよ。本当に、自ら無謀な設定を組んで、自分の首を絞めているのですから、目も当てられません (>_<)
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