母の愛は深し!―『義経』vol.29「母の遺言」

本題に入る前に、まずは一言。

今回に限ったことではありませんが、歴史物での「どこでもドアー」の使用はいかがなものでしょうかね。

またまた、唐突に屋島に現れた経子さん。女性の身で瀬戸内海も一っ飛びですか。
まあ、これ以前にも、うつぼは奥州、静・手古奈も鎌倉へ、簡単に行って帰って来ていますし、ドラマ世界では、当時の旅の苦労なんて、無きに等しいってことですよね(呆)。

都落ち後の平家の女性達にしても、いつ敵襲に遭うかもわからず、命の危険にもさらされながら、徒歩での逃避行では、足から血も流して逃げ回った…というようなエピソードが『平家物語』にあります。

にも関わらず、そういった難渋している所は一切スルーで、またぞろ、蛍見の宴(?)のような、のどかな場面ばかり流されては、相変わらず、世間ズレした気ままな女達…としか映らないでしょうし、演じ手の方々も、少しお気の毒のような気もします。




 
ともかくも、突然の経子出現のおもむきは「維盛入水」のご報告だったわけですが、実子の清経はとうの昔に入水しているし、つい先ごろの一ノ谷では、師盛も討死の上に晒し首の憂き目まで見ているのに、維盛の死だけをことさら悲しまれても…。ひょっとして、『源氏物語』の藤壺の宮のように、実は維盛のことを…(以下自粛)。

それにしても、いったい維盛はいつ出奔したのか…。知盛の説明によれば、一ノ谷より一旦屋島に戻って、それから程なく、人知れず…ということでしょうか。で、肝心の入水シーンが、お徳婆ならぬ、経子ママのナレの背景であっけなく片付けられたのは、一応想定内でしたが、なぜに、同船しているのは侍の風体の者ばかりなのか…。

『玉葉』寿永3年2月19日条に「維盛卿は三十艘許(ばかり)を相卒(ひきゐ)て南海を指して去り了(おは)んぬ…」とあるのが、史料として残る維盛の最後。これを見る限り、出奔というよりは、一門の行く末に見切りをつけて主流派ときっぱり訣別し、堂々と新天地を目指して旅立ったという印象すら受けます。

ただ、その後の足跡については確実な史料がないため、もっぱら『平家物語』に語られるものが定説とされていますが、高野山での出家、熊野詣、そして、那智の沖での入水…の一連の動きを見るにつけ、仏教布教活動の一翼も担うこの作品の性格上、虚構の可能性も非常に高いと思われます(実際に落人伝説とかもあちこちにありますし)。

とはいえ、「那智の沖で入水」という形を採用したからには、ここはやはり、『平家物語』を忠実に再現して然るべきでしょう。
維盛の出奔は3月15日未明のこととし、従者の与三兵衛重景と石童丸、そして船の漕ぎ手として武里という舎人を加えた都合四名が、小船に乗り込み、阿波国から船出して鳴門を通り紀伊国に上陸。

【経子ママは「紀州国」と言ってましたが、「紀州」=「紀伊国」ですから「国」をつけるのは蛇足では?(他に予州〈伊予国〉・江州〈近江国〉・奥州〈陸奥国〉など)】

維盛としては、紀伊国から陸路で都に残る妻子の許に戻るつもりでしたが、一ノ谷で生け捕られた重衡のように、虜囚の辱めを受けることを恐れて、やむなく断念すると、一転、年来の知己「滝口入道」のいる高野山を訪ねることに。
ここで、維盛・重景・石童丸の三名が出家を果たし(武里は維盛の最期を屋島の平家一門に伝える役目を負い出家せず)、熊野詣の宿願をも遂げると、3月28日に、滝口入道の見守る中、那智の沖で入水。

維盛に続き、重景・石童丸も身を投げ、武里も後を追おうとしたものの、滝口入道に止められ、泣く泣く屋島へと戻って行った…ということなので、船上の人々は、四人が坊主頭で、侍は武里一人のはずで…。それぐらいのことは、原典どおりにやっても罰は当たらないでしょうに…(たとえ遠景で顔がはっきりと見えなくても、あれが「滝口入道か?」と妄想するだけで、気の晴れる平家ファンもいるのですから)。それとも、坊主四人だと、どれが維盛かわからなくなる…なんて余計な心配をする向きもあったとか?(爆)

ところで、経子に維盛入水を知らせた「イエサダ」って、あの「殿上闇討」で有名な家貞ではないよね(あれは忠盛の時代の話ですし、平治の乱の頃にチラッと出てきたような気もしますが、さすがにもう…)なんてことを考えながら、ふと、郎党つながりで思い出したのが、盛国さん。清盛の死後、いつの間にかフェイド・アウトしてしまいましたが、重衡・維盛と相次いで脱落し、ついに、宗盛・知盛・資盛・清宗の四人になってしまった平家武将のショボサを思うにつれ、あの渋い低音が「もう一度聞きたいよ~!」

そうそう、時子の遺言捏造の懺悔もありましたが、これはもうどうでもいいです(笑)。どうぞ勝手に後悔でも何でもしてて下さいませ。
ただ、重衡・維盛以外、全く触れなかった所を見ると、一ノ谷での一門の戦死者はゼロということですかね???(呆) 倶梨伽羅谷で死んだ知度は、セリフで戦死を伝えてもらえただけ、まだマシだったわけですか…(怒)。

それと、平家の女性達の中で、特に明子に目をかけている設定なのであれば、これ以前に、もっと彼女の聡明さを表すシーンを入れておくべきでしたね。平家側にあまり時間をかけられないのなら、なおのこと、十把一からげの扱いではなく、他の嫁達とは明らかな差をつけるぐらいのことはしておかないと…。


平家話はこれくらいにして、お次は義経の無断任官問題へ参りましょう。
「義経」といえば、これは絶対に避けては通れない重要ポイントです。

その前に、『吾妻鏡』によれば、5月21日、頼朝は法皇の側近高階泰経に書状を送り、池殿平頼盛とその子息の解官の解除と、源範頼・源広綱・平賀義信の三名の国司への推挙を奏上。これが聞き入れられ、6月5日の除目で、範頼が三河守、広綱が駿河守、義信が武蔵守、さらに、頼朝の妹婿の一条能保(長成とは同族でない)が讃岐守に任じられています(6/20条)。そして、鎌倉ではその祝賀の宴が、6月21日に頼朝主催で開かれ、強く任官を望む義経を退け、自分を先に推挙してくれたことを範頼は殊の外大喜びしたとも…。

この時、頼朝が義経をなぜ推挙しなかったのかという理由は、実際の所、どうもはっきりとはせず、義経の台頭を恐れたとか、梶原景時の讒言があったなどの推測が幅を利かせていますが、その前に少し考えてみる必要がありそうなのが、当時の頼朝の地位が、いったい、どれほどのものであったのか…ということ。

鎌倉殿と呼ばれ、関東の武家の頂点に立っているとはいえ、それも並み居る御家人らの担ぐただの神輿にすぎない身の上とすれば…。一条能保については、朝廷との折衝役として、どうしても早急な格上げが必要との考えから、やむを得なかったとして、その上、範頼と義経の二人とも推挙したのでは、頼朝の身内贔屓と、御家人間の不満を生むかもしれない…。

【源広綱は源三位頼政の末子、平賀義信は信濃源氏と、同じ源氏一族ながら、最狭義の意味では頼朝の身内(手っ取り早く言うと血縁のみ)とはいえません。ただし、平賀義信については比企尼の婿なので、その意味では、身内との捉え方もできますが…】

ともかく、とりあえず、どちらか一方のみとなると、大手軍の総大将の範頼に軍配が上がり、義経については「また次の機会に」との考えがなかったとも言い切れないように思われます(「一ノ谷の逆落とし」自体が虚構の可能性もあり、義経の戦功が突出したものであったかどうかも疑わしいですし…)。

少し頼朝贔屓の見方かもしれませんが、必ずしも絶対君主ではない、微妙なバランスの上に立つ武家の棟梁とすれば、身内だからこそ、「ここは少し我慢してもらうか…」との甘えもあったのではないでしょうか。が、人の心というのは、推挙すればしたで、身内贔屓と警戒心を抱くくせに、推挙しなければ、今度は、両者の不和を囁き合ってみたり…と、何かと面倒なもの。また、こちらがどうにか苦心して良いようにするつもりでいたものを、他人の力であっさりと思い通りにされたのでは、面白くないという気持ちにもなりますし、そうした周囲の思惑に振り回される形で、互いに疑心暗鬼に陥り、取り返しのつかない亀裂を生んでしまった…ということも考えられるように思われます。

ただ、このドラマに関しては、本来ないはずの鎌倉下向までさせて、二人の対話の機会を作ったわけですからね。頼朝は何度も自分の目指す国作りを義経に語って聞かせ、理解させようとの努力もしているものの、その話し方が抽象的すぎるのか、結局、義経にはまるで理解できておらず、無断任官によって追討使からはずされても、「なぜだ!?」といぶかる始末で… (-_-;)

改めて、この兄弟の考えが段違いのレベルで食い違っていて、互いの視点もただの一度も交わることはなかった…ということを強調したかったのでしょうかね(この義経には、もっとはっきりと、そのものズバリと言ってやらなければわからないのでしょう)。

さて、問題の追討使派遣ですが、一旦鎌倉入りしていた範頼も、8月8日には再び京に向けて鎌倉を発ち、27日に入洛。なお、重衡護送のため下向していた梶原景時(史実では)は、4月末には土肥実平らと共に平家追討のため西国へ向かい(『吾妻鏡』4/29条)、6月には播磨国・備前国辺りにいたことも知れているので(『玉葉』6/16条)、この範頼軍には含まれていません(景季も多分パパに同行)。

そして、29日に追討使の官符を賜わり、9月1日に西国へ発向。その間に、検非違使左衛門少尉への無断任官のことが、義経自身からの書簡によって鎌倉に報告され(8/17)、これに激怒した頼朝は、義経の出陣を差し止め、その一方で、河越太邸重頼の娘を正妻にと遣わした(9/14)…といったことは『吾妻鏡』の記す所です。

さらに、この後、9月18日には義経は叙留されており(左衛門尉・検非違使に留まったまま、従五位下に叙される優遇措置)、こうした一連の動きの中で、それら全てを関連付けて、さも、兄弟不和が既に深刻化していたように受け取られがちですが、はたして、本当にそうだったのか?という若干の疑問も。

そもそも、いかに一ノ谷の圧勝で源氏の勢威の程を世に示したとはいえ、8月には伊勢・伊賀方面で平氏の残党が挙兵して、これを義経が鎮圧(『山槐記』8/12条、『吾妻鏡』8/26条)…と、必ずしも平穏とは言えなかった時期のこと。範頼・義経の両大将が揃って都を離れるのはリスクも大きく、また、この段階では、追討とはいっても、まだ、平家殲滅までは頼朝も考えておらず、山陽から九州にかけての平家派を源氏に靡かせ、平家の孤立化を図ることが第一目的…という位のものだったとしたら、範頼で十分事足りるだろうとの考えもあったのではないかと思われます。

また、正妻の件にしても、静ちゃんがらみの感情論は別として、頼朝がもっとも尊重する比企尼の孫娘であり、範頼もまた、同じ比企尼の孫娘にあたる安達盛長女を妻にしていることから見ても、頼朝には義経を何とかして自分達の側に引き寄せたいとの思惑はありこそすれ、さも悪意があったかのように(スパイ目的とか)捉えるのはあまり適切ではないような気もします(もちろん、これも、個人的な推測であって、真相は藪の中…)。

一つのボタンの掛け違いが、次の歪を生み、その積み重ねが、どんどん兄弟の間を隔てて行く…という悪循環の中で、せめて、義経の郎党の中に、頼朝の意向を的確に察知できる人材が一人でもいれば、手の施しようもあったのでしょうが、どいつもこいつも使えない部下ばかりで…(^^;) 
郎党の中では、まだ若干マトモと思われる佐藤継信も、屋島でいち早く消えてしまうとなると、壇ノ浦後の義経の転落人生は、自明の理というヤツですね。

そんな中にあって、ただ一人、義経の行く末に確かな不安を抱くのは、やはり、実母の常盤。
病をおして…というより、生霊を思わせるスケルトン演出には、いっそマジで生霊か死霊にして、立ち去った直後に逝去の報が届き「エーッ???」となるファンタジー展開にでもすれば?と突っ込みを入れたくなりましたが(汗)、懇々と処世術を説く所などは、苦労人らしい、説得力も感じられましたし(でも、その忠告も、結果的に無駄に終わるのよね…)、う~ん、これでお亡くなりとは惜しい!

が、が、がー! 実際の常盤さまは、まだまだ、ご健在だった模様。
頼朝に追われ、義経逃亡中の文治2(1186)年6月に、義経の母(与州母)と妹が捕えられ尋問を受けたとの記録もあり(『吾妻鏡』6/13条)、この妹については、清盛女の廊の御方(ドラマでは能子)ではなく、一条長成との間の娘と見た方がよいかと思いますが、いずれにせよ、常盤は義経の死後まで存命していた可能性すらあり、なぜ、こんなに早く死なせなくてはならなかったのか…(これも演じる女優さんのスケジュールの都合とか言うヤツですかね?)。

それと、土御門(源)通親の名前を出すなら、九条兼実も出してくれないと…。このドラマ、摂関家の存在自体を完全無視ですからね(松殿基房は出てきたけど、大して意味なかったし…)。兼実さんは、義経のことも小まめに書き留めてくれていて、そのおかげで、後世に伝えられていることもたくさんあるのに…、恩を仇で返す…とはこのことですよ(『炎立つ』では出てきたのに…)。

さても、今回だけでも、維盛に常盤と、一人また一人と、櫛の歯が欠けたように減って行くばかりで、もはや、勢いのある新規加入者は大して望めないキャストを思うと、淋しさ以上に、どうも尻すぼみの感が否めません。既に、半分以上が終了しているとはいえ、これで最終回まで、もたせられるのでしょうか。特に、壇ノ浦後はかなりヤバそうと思うのは私だけでしょうか(後は「富樫」役に豪華ゲストがあるかどうか…ぐらい?)。
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by kiratemari | 2005-07-26 20:24 | テレビ | Trackback(3) | Comments(4)
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Tracked from えりかの平安な日々 at 2005-07-27 10:10
タイトル : 大河ドラマ「義経」第29回&維盛入水の真相
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Tracked from 日本史日誌 at 2005-07-28 00:22
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Tracked from 蒼き猫の言霊日記 at 2005-07-30 15:47
タイトル : やっと観た・・・大河「義経」感想
なかなか録画しておいたビデオを観る暇が無く、結局再放送のある土曜日にやっと観られた次第です。 ああ、維盛様の入水シーンがぁ・・・(>_<) 継母経子さんの語りで終了だなんて。 いや、このドラマでは実母なんですか??? 彼女は実の子たちももうすでに今回の戦で何人も亡くしているのでは?! 美男維盛殿はドラマでは一ノ谷に居たはずなんですが、いつの間にやら消えて(逃げて?)しまわれて、気がつけば出家姿でとっとと入水ですか。。。 なんとも唐突。 兄の一族脱落と死、これに奮起して、弟のヘタレ資盛...... more
Commented by えりか at 2005-07-27 10:06 x
 手鞠さん、こんにちは♪大河ドラマのご感想、今回も楽しく興味深く読ませていただきました。

 経子さんはどのようにして瀬戸内海を渡ったのか、私も不思議でした。しかも戦乱の世、京から出ることさえ難しかったのではないでしょうか。

 そう言えば盛国さんを最近見かけませんよね。彼は平家都落ちに参加しているはずなのに…。それから兼実さんを出して欲しいと私も思います。でも、平家の婿であった基実、基通が無視されてしまったのですから、彼も多分無視なのでしょうね。残念です。

 頼朝がなぜ義経任官を推薦しなかったかについては、手鞠さんの文章を読んで納得という感じがします。何か、ドラマも回を追うごとにつっこみ所が多くなってきましたよね。本当に、壇ノ浦が終わったらどうなるのか、私も心配です。後ほどトラックバックさせていただきますね。
Commented by bluecat at 2005-07-27 15:57
手鞠さんこんにちは!今回は実はまだ観ていないので、私自身の感想は後になりますが、先に感想読ませていただきました(^^ゞ
あらら、気がかりだった維盛入水は経子さんの語りで終わりですか・・・何のためにここまで出演させてきたのでしょう?そうそう、盛国さんも清盛死去から突然いなくなってしまったし、私もずっと気になっていましたが、手鞠さんも同じくそうお思いでしたか(^_^;)
兼実さんも出てきませんね。彼を語り部にしても面白かったのでは、と思ってしまうのですが。
義経が無断で任官を受けてしまったというのは、頼朝の心中を察すると、兄の心弟知らず、といったところでしょうか?!
ではでは、録画したビデオを早々に鑑賞して感想を記したいと思います!
Commented by kiratemari at 2005-07-27 18:57
えりかさん、こんにちは~♪
どうも回を追うごとに、義経アンチと化して行く自分がちょっと悲しいです。書きながら「何で頼朝の弁護をしなきゃならんのだ?」と思いつつ、義経のあのダメダメっぷりを見ていると「そりゃあ、あんたが悪い!」と突っ込まずにはいられなくて…(汗)。

それにしても、つくづく、キャストの人選ミスを感じますね(演者ではなく登場人物ですよ)。何度も言うようですが、小松家全員カットで、門脇家の皆様を出した方が、一ノ谷も、屋島も、壇ノ浦も、断然おもしろくなったと思います。平家方は、実質、知盛一人で立ち向かうことになる壇ノ浦。それを倒したからといって、果たして、義経をヒーローと思えるものか… (-_-;)
Commented by kiratemari at 2005-07-27 18:59
bluecatさん、こんにちは~♪
まだご覧になっていないのに、先にネタバレしちゃってて大丈夫なのでしょうか? まあ、維盛入水関係は先に知っておいた方が、過分な期待をせずにすみますかね (^^;)

兼実さんを語り部にという話、実は私も放送開始前から思っていたのですよ。日記を綴るように、もちろん皮肉も交えて、ズバッと当時の世相を斬っていただくのも悪くないのではと…(できれば狂言師の野村萬斎さん辺りにお願いしたいですね)。

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