人気ブログランキング |

非情も情?―『義経』vol.28「頼朝非情なり」

一ノ谷の合戦も終わって、エアポケットに突入か?と思われた今回は、重衡&義高のWスペシャルで、中身の方はそれなりに充実。が、その一方で、大河オリジナルの人物設定の悪影響が、随所に出てきた回とも言えそうですが…。

捕虜とはいえ、一時は公卿の地位にあった重衡の処遇を、源氏内部で勝手に話し合い、処理しようとする異常さもさることながら、「首を刎ねるべし!」と断固主張する梶原景時って…。鎌倉殿大事のあの報告魔が、頼朝にお伺いも立てずに、そういうことを言い出しますかね。

今の情け深い義経様に「平家諸将の首渡しを!」と、朝廷に半ば脅しをかけて要求するなんてことはさせられないし、幼馴染みの重衡を救いたい一念で「三種の神器」との交換を提案させるという迷案をひねり出した制作陣(脚本家)には、呆れるのを通り越して、いっそ、拍手でもしてさし上げましょうか(カナヅチ弁慶とどう結びつけるかと思っていた熊野水軍との関係も、千鳥がらみで簡単解決?)。

しかし、ちょっと考えてみてほしいのですよ。一つの改変によって、次の改変を迫られ、そうした積み重ねが、周りの人物造形にどれほど大きな影響を与えているか…。

義経本人さえ一本筋が通っていれば、周りの人間は、いくら言動や行動がちぐはぐでもどうってことない……そんなふうに安易に片付けてしまって良いものなのでしょうかね <最大の犠牲者は政子さんと景時パパですわな (-_-;)




 
ではでは、まずは、生け捕った重衡をタテに三種の神器返還を迫るというお話から。
まあ、義経の発案という無理やり設定はともかく、とりあえず、そうした試みは実際に行われたようなのですが、『平家物語』と『玉葉』『吾妻鏡』などの史料では、少し事情が違っています。

『平家物語』では、三種の神器の帰還を熱望する法皇の意向によって、重衡は渋々書状をしたため、院宣と共に屋島へ送り、これを断腸の思いで拒否する平家一門…と、およそドラマの通り(時子が涙ながらに懇願したとはあるものの、輔子があんなふうに宗盛に直訴したり、明子が知盛に詰め寄ったりという、いかにも…な、ちょっと萎えるシーンはドラマオリジナル)。

一方『玉葉』によれば、重衡が自ら進んで和睦の仲介を申し入れて屋島へ使者と書状を遣わし(2/10条)、その返事も概ね和睦に同意するもので、「三種の神器・安徳帝・建礼門院・二位尼時子は京にお戻しするが、宗盛はこれに同行しない(替りに嫡子の清宗を上洛させる)」、そして、「平家に讃岐国を賜りたい」とあったと伝えています(2/29)。

そもそも、激戦の最中に、討ち取られるのではなく、生け捕りにされたこと自体も少々異様。首を取られた一門の諸将と重衡を区別するものといえば、安徳帝の外叔父、棟梁宗盛の同母弟といった立場の違いはあるものの、命がけの戦闘状態にあって、果たして、源氏の兵全般が、それを適切に判別できるだけの冷静さを保つことができたものか…。

そう考えると、これは生け捕りではなく、重衡が自ら投降したと見る方が自然なような気もしますし、返書の中身からしても、少なくとも、宗盛には元々和平を願う気持ちもあり、それを実現させるために、重衡はあえて敵の懐に飛び込んだとも考えられるかと思います。

しかし、「三種の神器」という切り札をもってしても、一ノ谷での惨敗の後では、わずかに「讃岐」一国を望むのが精一杯。時機を逸した和睦策はついに実を結ばず、仲介も徒労に終わった重衡は、頼朝の申請により、やがて、鎌倉へ送られることとなります(3/10)。

その鎌倉への護送に当たったのは『吾妻鏡』によれば梶原平三景時。ドラマでは義経が自らこの役目を買って出て、入れ替わっていましたが、これもドラマオリジナル。実際は、京の守護のために居残り、永久に鎌倉へ戻ることはなかったとされています(史料の上では)。
まあ、こういう形ででも義経を関わらさなければ、その後の鎌倉での出来事を取り上げづらい…ということなのでしょうけど、やはり、無理がありますね。

実は、重衡との語らいの場を作るためだけなら、わざわざ義経まで鎌倉に赴かせる必要はないのですよ。
入京後の重衡は八條堀川堂(藤原家成が建立した御堂で当時の所有者は清盛の娘婿でもある隆季)に土肥実平の監視の下、幽閉されており、その間に、かつて情を交わした内裏女房と再会を果たしたり、法然と面会して戒を授けられるといったエピソードもありますが、その後、実平が西国へ赴くことになったことから、重衡の身柄は義経の館に移されており(『吾妻鏡』3/2条 )、出立までのおよそ1週間、二人は同じ館内で生活していたことになりますから、あるいは、互いの身の上を語り合うひと時もあったかもしれません。

それはさておき、問題の旅の途中での重衡と義経の語らい。予想どおり幼い日々の回想シーンが流れ、可愛いお子ちゃま達の戯れに心が和みましたが、ここまで、ほとんど、セリフらしいセリフもなく、およそ存在感が希薄だった重衡に、どれだけの視聴者が感情移入できたものか…。
今さらながらに、表面だけでなく、浅いなりにも少しは掘り下げられなかったものか…と恨めしくも思います。妻の輔子とも結局二人きりのシーンは皆無でしたが、それでも、日野での今生の別れはやるつもりなのでしょうね (-_-;)

さて、鎌倉での頼朝と重衡の対面。とりあえず、この対面シーンがあったのにはホッといたしました。ひょっとすると、お徳婆のナレの背景で済まされるのではないかと… (^^;)

が、その対面も、実際は、伊豆の北条館で行われたようです(『吾妻鏡』3/28)。
鎌倉では罪人と直に面会することに憚りがあってのことと思われますが、自ら伊豆まで出掛けて行った所に、かえって、頼朝の重衡(平家の公達)に対する並々ならぬ興味も伺えます。

とはいえ、平家首脳部の一人であり、A級戦犯間違いなしの重衡を、鎌倉幕府に迎え入れる…というのは、どう考えても飛躍のしすぎ。平家主戦派と早くに袂を分かっていた頼盛や時家(時忠の子ですが継母領子の讒言で東国へ流され、その後、頼朝の側近に)とは、さすがに同列には語れないでしょう。
恐らくは、死刑宣告を下すことにためらいのある法皇から彼の身柄を押し付けられ、法皇にも処断できない罪人を自らの手で断罪に処すこともできず…と、責任のなすり合いの果てに、とりあえず、保留状態のまま置いておくしかなかったということではないでしょうか。

それはともかく、重衡の堂々とした態度・物言いに感銘を受けた頼朝は、伊豆国住人狩野介宗茂に預け、丁重にもてなすようにと命じ、伊豆での対面から10日後の4月8日に重衡は鎌倉入り。外囲いをめぐらせた一軒家に住まわせ、狩野介の一族郎従10人ほどが常に守護に当たったと言いますから、一応、軟禁状態に置かれていたようです。
その間、無聊を慰めようと「千手前」という若い娘を差し向け、詩歌管弦に打ち興じたというエピソードもありますが、この辺りは、来週取り上げてくれたりするのか…(まあ期待はしてませんが)。


ところで、使える人材…といえば、今回から新加入の二人、大江広元(厳密にはまだ中原広元)と善信(三善康信)。
共に、京から迎えた文臣で、いずれ公文所別当→政所別当(大江広元)、問注所執事(三善康信)に就任する鎌倉幕府の草創期の要人ですから、日本史の授業で名前ぐらいはお聞き及びの方も多いと思います。

大江広元は外記という実務官人として摂関家・九条兼実などに仕えていましたが、兄弟関係にある中原親能(養子関係が複雑)と頼朝が長年に渡りよしみを通じていたことから、その推挙により側近として迎えられたと見られています(それにしても、大江はんの、妙に滑舌のいい、けったいなお公家言葉は…どうも受け付けませぬ)。

三善康信の方は、これまでにも何度か名前だけは登場していましたが、伊豆の流人時代から、頼朝の許に京の情勢をせっせと書き送っていた重要な情報発信者。
この善信については『吾妻鏡』にこの年(寿永3年)の4月14日に鎌倉入りと明確な記述が見られますが、大江広元の方は正確な時期は不明。しかし、『玉葉』の寿永3年3月23日条の記事に広元の鎌倉在留が認められる記載があり、また、『吾妻鏡』でもそれ以前に広元の名前が見当たらないことから、一ノ谷の合戦直後に、鎌倉にやって来たと見てよさそうです(ドラマ通りということですね)。

ともかくも、この二人がいなければ、あるいは、鎌倉幕府も成立しなかったかもしれない…。とりわけ、大江広元については、今後「腰越状」の一件も絡んでくるため、要注意人物です!


では、そろそろ、今話最大のメイン・イベントへ参りましょうか。
今週の主役は何といっても大姫さまでしょう。さすがはあの政子さんの娘だけあります。こうと思ったら一途に、即実行へと移す行動派。が、その無謀さが世にも残酷な結末をもたらしてしまったわけですから…、悲しいことこの上なしです。

『吾妻鏡』によれば、義高の出奔が明るみになったのは、4月21日のこと(実は重衡と千手前の交誼の翌日)。頼朝に近侍する者達のひそひそ話を聞き込んだ女房が、それを大姫の耳に入れたのが事の発端でした。

「殺される前に…」と、木曽から同行していた海野小太郎幸氏という少年を身代わりに残して、義高は女房姿に身をやつし、物詣にかこつけて退出する大姫づきの女房達の一団に紛れて館を抜け出すと、前もって用意しておいた蹄に真綿を巻いた馬で逃亡を図ったものの、程なく露顕するや、すぐに追っ手が放たれ、26日に、入間川のほとりで堀藤次親家の郎従藤内光澄に討ち取られたとされています。

事の顛末を知った大姫は、嘆きの余り飲食を断って病床に就き、思い余った母政子が頼朝に猛抗議。果ては、討ち取った郎従を斬首に処するという、ある意味、ドラマ以上に無茶苦茶な展開をたどっています(6/27)。

ところで、この義高出奔については、政子の指図によるとの説もある一方で、頼朝が意図的に逃亡するように仕向けたとの見方もあるようです。いくら義仲の遺児とはいえ、何の咎もなく一方的に誅殺したのでは世間の非難が集中するため、わざと義高の身の上が危ういとの噂を流し、逃亡を図った所でこれを討ち果たす…というシナリオだったのではないか?…というもの。

まあ、そこまでやってしまったのでは、さすがに陰険すぎて、ドラマ的にNGになってしまうのは仕方のない所ですが、今回のタイトルに「非情なり」とつけるからには、これくらい、やってほしかったという気も…。

思えば、今回の大河の頼朝は非情どころか、情に厚すぎる(甘すぎる)キャラ設定。
何かと言えば、義経の理解を得ようと懸命に諭し、義高の処刑にしても、わずか一晩やそこらで、頬もこけてすっかり憔悴しきるほどに悩み抜く苦悩の人。捕えられた義高を見つめる悲しみにゆらめく瞳には、裏切りに対する失望、「逃げ出しさえしなければ、生かしてやれたものを…」との無念の思いが溢れていました。

もっとも、そんな頼朝像も悪くはないと思いますし、強く心に残る名演だったとも思います。が、頼朝のそうした「情」の部分を拡大すれば、それだけ、大姫の起こした行動の愚かさがいっそう際立つことにもなりますし、そうでなくても、義経が主役であれば、あえて取り上げる必要のないエピソードにも関わらず、わざわざ義経を無理やり絡ませ、挙句に、討ち取られる所か、斬首というさらに残酷な結末に書き換えたりして…。意外に、N○Kさんもデリカシーがなかったりするのですね(呆)。


さてさて、今度こそ頼朝兄上とは永遠のお別れ。
来週は母常盤の最後の出番に、維盛入水(やっぱりナレでおしまい?)、そして、今週はお休みだった法皇様の復活(?)。
個人的には、どうもイマイチ触手の動かない内容ではありますが… (^_^;)
by kiratemari | 2005-07-19 20:14 | テレビ | Trackback(2) | Comments(3)
トラックバックURL : https://kiratemari.exblog.jp/tb/2315725
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
Tracked from えりかの平安な日々 at 2005-07-20 08:51
タイトル : 大河ドラマ「義経」第28回&大姫の生涯
 大河ドラマ「義経」第28回の感想です。  今回の見どころは重衡と大姫&義高だったと思いますが?…、私個人としては重衡と頼朝の対面が一番印象に残りました。私が重衡のファンであり、しかも現在、彼を主人公にした小説を読んでいるので、よけいこの場面に感情移入ができたのかもしれませんけれど…。   あくまでも私の意見ですが、重衡と頼朝の対面の場面は間違いなく今までのこのドラマの№1です。重衡さん、とっても格好良かったです!  「平家が三種の神器を返さないことをどう思うか。」という質問に対して、「それは当た...... more
Tracked from 蒼き猫の言霊日記 at 2005-07-20 15:08
タイトル : 非情は非劇を招く・・・大河「義経」感想
今回は集中してテレビを観られない環境にあったため、見落としが多々あるかもしれません(退院した母が元気すぎて賑やかだったので(^^ゞ) 今回の内容は本来なら史実としては無いと思われる、義経の鎌倉行きが描かれており、どうしても木曽義仲の遺児、義高の悲劇と義経をからませるためのものだったような・・・。義経は結局、一度も鎌倉に戻れなくなるのですが。 出ました!重衡と頼朝の対面シーン!!もうこれしか期待してなかった(本気です)、しかも期待を裏切らない堂々たる態度を重衡殿は見せ付けてくれました。 た...... more
Commented by えりか at 2005-07-20 08:47 x
 手鞠さん、こんにちは♪

 「義経」の感想、今週も興味深く読ませていただきました。

 梶原景時の「重衡の首をはねるべきだ。」というせりふには私も違和感を感じました。確かに政子と景時はこのドラマの犠牲者ですよね。

 政子が義高を逃がしたのは、実は頼朝の陰謀だったという説もあるのですね。この説が事実なら、頼朝という人物はものすごく非常ですよね…。
 それと当時の公家の日記からは、重衡さんは自分から進んで源氏の捕虜になった……とも読みとれるのですね。このように色々なとらえ方ができるなんて、歴史って面白いなと感じます。

 では、では、後ほどTBさせていただきますね。
Commented by bluecat at 2005-07-20 10:32
手鞠さんこんにちは!今回もとても楽しく読ませていただきました。

重衡と頼朝の対面シーンは、いちばん見応えがありましたね、やっぱり(*^_^*)ただ哀しいかな、南都焼き討ちにしろ、妻の助命懇願にしろ、きちんと描かれていなかったゆえ、視聴者に印象が薄いのが気がかりです(>_<)

手鞠さんの、重衡生捕は自らすすんでではないのか?とのご意見、これは私も思わず納得してしまいました。重衡ほどの剛の者が、いくら馬を射られたとはいえ、カンタンに生捕られるとはとうてい思えませんでしたから・・・何か考えがあっての投降だとみるのが妥当ですね。長年の疑問が一つ、解けたような気がします。
Commented by kiratemari at 2005-07-20 17:09
えりかさん、bluecatさん、こんにちは~♪
お二方ともTBありがとうございました。後ほど伺わせていただきますね。

重衡が和睦の仲介を申し出したというのは『玉葉』から読み取れるのですが、「自ら投降…」の件は、その後の彼の行動と結果から導き出した個人的な私論です。『平家物語』などに語られる「武人の鏡」とするような表現の数々を見るにつけ、「生け捕り」という事実がどうもそぐわない気がして…。本当はどうだったか…というより、そうであって欲しいという願望のままに、書きつけてしまいました… (^^;)

重衡と頼朝の対面シーンは、私もこのドラマにしては出色の出来だったと思います。そして、このシーンを入れてくれるための義経の鎌倉下向捏造なら、大目に見てあげるか…という気にもなります(これまでの重衡の人と成りの描写が激しく不足していたことは恨めしいですけど)。

義高出奔の舞台裏といい、史料に明記されていない部分には、いろいろな人間模様などが隠されているような気もして、そういう所に想像をめぐらせては楽しんでおります。これも一種のミステリーですし…。

「きらめきの刹那」 別館  花や史跡の探訪記録や源平&時代物ドラマ話など何でもござれの雑記帳


by kiratemari

プロフィールを見る
更新通知を受け取る

ブログパーツ

最新の記事

京の桜ダイジェスト⑤御室・大..
at 2019-04-15 20:49
初瀬 長谷寺
at 2019-04-11 20:52
佐保川
at 2019-04-10 19:18
京の桜ダイジェスト④嵐山・勧修寺
at 2019-04-09 19:51
京の桜ダイジェスト③六孫王神..
at 2019-04-05 21:30
京の桜ダイジェスト②平野神社..
at 2019-04-02 20:49
宝塚花のみち
at 2019-04-01 19:07

リンク

カテゴリ

お知らせ
歴史語り
「きらめきの刹那」関連
書籍
テレビ
エンターテイメント
グルメ
関西探訪
├京都
├大阪
├兵庫
├奈良
├滋賀
└和歌山
旅の記録
├東北
├関東
├中部
├北陸
├四国
├中国
└九州
お出かけ
つれづれ

タグ

(611)
(265)
(159)
(130)
(118)
(111)
(92)
(86)
(63)
(47)
(41)
(40)
(34)
(30)
(23)
(21)
(20)
(17)
(11)
(8)

最新のコメント

情報によって7kmという..
by 手鞠 at 21:10
 これは凄いですね!! ..
by ちゃんちゃん at 12:32
ちゃんちゃんさん、こんば..
by 手鞠 at 17:33
どの桜も凄いですね。 ..
by ちゃんちゃん at 17:52
ちゃんちゃんさん、こんば..
by 手鞠 at 18:07
どれも見事ですが、本満寺..
by ちゃんちゃん at 22:28
あまり強すぎるのも困る時..
by 手鞠 at 17:20
 陽射しが有るのと無いの..
by ちゃんちゃん at 21:07

最新のトラックバック

「天龍寺の蓮たち」/京都..
from 京の昼寝〜♪
アジサイ、梅雨に鮮やか
from ローカルニュースの旅
醍醐寺の紅葉◆3
from ディア・ルカラシティ
晩秋の風物詩 長谷寺で紅..
from ローカルニュースの旅

以前の記事

2019年 04月
2019年 03月
2019年 02月
2019年 01月
2018年 12月
2018年 11月
2018年 10月
2018年 09月
2018年 08月
2018年 07月
more...

検索