『平清盛』vol.22「勝利の代償」
またまた週末まで持ち越しでどうもすみません。
今回は次回分とで1セットのような作りですし、ちょっとお休みしようかとも思ったのですが、先に決着のついた摂関家パートを中心に少し書き記しておくことにします。
保元の乱が終わっての戦後処理。
勝者の景気の良い話よりも敗者の末路がクローズアップされるのは『保元物語』などのエピソードの影響が大きいでしょうね。
この時代の有り様を後世に伝えるのに大きな役割を果たしたのが『平家物語』を始め『保元物語』『平治物語』あるいは『義経記』といった軍記物語ですが、これらはいずれも敗者側に立った記述が特徴的。これはそもそもの成り立ちが敗者たちの鎮魂を目的に書かれたものだから…とも言われています。
悲惨な末路をたどった敗者たちの悲哀をクローズアップすることで、単なる逆賊に留まらない人間的な魅力を開花させようという目論見があったのではないかと推測しますが、こうした名誉回復的な作業によって、やがては日本人の意識の中に「滅びの美学」が浸透して行くことにもなったとすれば…、中々罪深い存在でもありますね。
それはさておき、今回の注目は何と言っても鸚鵡ちゃん。
京で頼長さんに置いてけぼりにされた後、どうやって南都(奈良)の忠実さんのお屋敷までたどり着いたのか…、あの成り行きでは頼長の最期にも立ち合ったわけではなさそうなのに、どうして今わの際の言葉「チチウエ」を呟けたのか…とか、ツッコミどころは多々ありますが(爆)、あそこはまあ、悔恨の念に苛まれる忠実さんの見た白昼夢ということでよろしいのではないでしょうか。
なお、鸚鵡ちゃんの登場は一見すると早朝のようでしたが、ノベライズには巳の刻(午前10時)頃という表記がありました。
前夜からずっと呪縛にかかったように同じ場所に同じ姿勢で座り続けていた忠実。あるいはこの時の忠実は悔恨することすらも良しとせず、頑なに心を閉ざしていたのかもしれませんね。
そして、その扉をこじ開けるために現れたのがあの鸚鵡。「チチウエ、チチウエ」と執拗なまでに連呼し続ける様は少々滑稽にも映りましたが、これも見方を変えると忠実の心の壁の高さを物語っているようでもあり、ひとたび突き崩されるや、必死に押し隠して来た感情が溢れ出ることを止められなかった忠実同様、こちらの涙腺もあえなく決壊を余儀なくされることに。どんなにベッタベタな演出でもツボにはまってしまうと、もうどうしようもなくなるのですよね (^_^;)
ところで、頼長さんの代名詞とも言うべき「悪左府」。
この「悪」という言葉には単に善悪の「悪」の意味だけでなく、かつては人並み外れた能力、あるいは厳しさ・猛々しさに対する「畏敬の念」を込めた表現としても使われたと言います。義朝の息子の悪源太の場合は「猛々しさ」のチェックポイントが該当。頼長さんについては信西と日本一・二位を争う秀才の面と、法の遵守のためには処罰も厭わなかった厳格な面が該当項目になりましょうか。
それでも、だからと言ってこれらをただちに賛辞と解釈してしまうのも短絡的で、この当時でも「悪行」という言葉は現代と同じような意味合いで使われていたようですし、「悪僧」というのも厄介な存在として扱われています。これらを全く正反対のような意味合いで使い分けていたというのにも疑問ですし、ここは超人的な凄さは認めつつも、内心では「あいつやり過ぎ!」といった嫌悪感も併せ持っての表現と解釈する方が妥当ではないかと思います。
それにしてもまあ、その後の崇徳上皇や為義・忠正の処遇問題を見るにつけ、頼長の戦病死(ドラマ的には自害とすべきか)が摂関家を瀬戸際のところで踏み止まらせたとも言えるような気がして来ました。もし、生き延びて配流などの勅勘を蒙っていれば…、公的な罪人を出した摂関家の体面はさらに傷つくことになったかもしれませんし、忠実が断腸の思いで頼長を拒絶したのも、わが身可愛さよりも、ひとえに摂関家を守りたい一心でしたから…(少々異論もないわけではないですがそういうことにしておきましょう)。
また、少し穿った見方かもしれませんが、保元の乱の主要人物の中で、頼長が唯一の戦死者となったことが、信西に極刑の断を下させる引き金になったようにも…。頼長ほど国のためを思っていた人間でも死を持ってその罪を贖ったのだから、為義・忠正らも流罪などで済ませてなるものか…。頼長の日記をしみじみと読みながら、やがてキッと顔つきを変えた信西の様子にふとそんなことも思いました。
なお、この当時に死刑は有名無実の刑になっていて200年以上行われた例はなく、実質的には流刑が最極刑。そのため、忠正を探させた清盛も(これは忠清のスタンドプレイを庇ったようにも)、為義を探させた由良も、それこそ信西以外の誰もが流罪以上の重罪に問われるとは夢にも思っていなかったというのがミソなのですが、戦国物では敗者は首を捕られて当然なところがありますから、その感覚で見るとドラマ内のキャラ達の見込みの甘さにイラッと来る向きもあるでしょうね。
ノベライズでは為義・忠正らの処遇について「無論、厳罰、にござりましょうな」の後に「流罪ということに」と続いていたのですが、ここはカットしない方が良かったのではないでしょうか。
ということで、何か物凄い中途半端で申し訳ないのですが、源氏・平氏パートについては、どうしても次回のネタバレに触れずにはおれなくなるので、今回は保留とさせていただきます。
でも、一つだけネタばらしを!
源平の御曹司、清三郎くんと鬼武者くん、この二人にはちょいとご注意めされませ!
さすがにバスタオルとまでは申しませんが、せめてハンカチぐらいはご用意されていた方が無難だろうと… (^^ゞ
今回は次回分とで1セットのような作りですし、ちょっとお休みしようかとも思ったのですが、先に決着のついた摂関家パートを中心に少し書き記しておくことにします。
保元の乱が終わっての戦後処理。
勝者の景気の良い話よりも敗者の末路がクローズアップされるのは『保元物語』などのエピソードの影響が大きいでしょうね。
この時代の有り様を後世に伝えるのに大きな役割を果たしたのが『平家物語』を始め『保元物語』『平治物語』あるいは『義経記』といった軍記物語ですが、これらはいずれも敗者側に立った記述が特徴的。これはそもそもの成り立ちが敗者たちの鎮魂を目的に書かれたものだから…とも言われています。
悲惨な末路をたどった敗者たちの悲哀をクローズアップすることで、単なる逆賊に留まらない人間的な魅力を開花させようという目論見があったのではないかと推測しますが、こうした名誉回復的な作業によって、やがては日本人の意識の中に「滅びの美学」が浸透して行くことにもなったとすれば…、中々罪深い存在でもありますね。
それはさておき、今回の注目は何と言っても鸚鵡ちゃん。
京で頼長さんに置いてけぼりにされた後、どうやって南都(奈良)の忠実さんのお屋敷までたどり着いたのか…、あの成り行きでは頼長の最期にも立ち合ったわけではなさそうなのに、どうして今わの際の言葉「チチウエ」を呟けたのか…とか、ツッコミどころは多々ありますが(爆)、あそこはまあ、悔恨の念に苛まれる忠実さんの見た白昼夢ということでよろしいのではないでしょうか。
なお、鸚鵡ちゃんの登場は一見すると早朝のようでしたが、ノベライズには巳の刻(午前10時)頃という表記がありました。
前夜からずっと呪縛にかかったように同じ場所に同じ姿勢で座り続けていた忠実。あるいはこの時の忠実は悔恨することすらも良しとせず、頑なに心を閉ざしていたのかもしれませんね。
そして、その扉をこじ開けるために現れたのがあの鸚鵡。「チチウエ、チチウエ」と執拗なまでに連呼し続ける様は少々滑稽にも映りましたが、これも見方を変えると忠実の心の壁の高さを物語っているようでもあり、ひとたび突き崩されるや、必死に押し隠して来た感情が溢れ出ることを止められなかった忠実同様、こちらの涙腺もあえなく決壊を余儀なくされることに。どんなにベッタベタな演出でもツボにはまってしまうと、もうどうしようもなくなるのですよね (^_^;)
ところで、頼長さんの代名詞とも言うべき「悪左府」。
この「悪」という言葉には単に善悪の「悪」の意味だけでなく、かつては人並み外れた能力、あるいは厳しさ・猛々しさに対する「畏敬の念」を込めた表現としても使われたと言います。義朝の息子の悪源太の場合は「猛々しさ」のチェックポイントが該当。頼長さんについては信西と日本一・二位を争う秀才の面と、法の遵守のためには処罰も厭わなかった厳格な面が該当項目になりましょうか。
それでも、だからと言ってこれらをただちに賛辞と解釈してしまうのも短絡的で、この当時でも「悪行」という言葉は現代と同じような意味合いで使われていたようですし、「悪僧」というのも厄介な存在として扱われています。これらを全く正反対のような意味合いで使い分けていたというのにも疑問ですし、ここは超人的な凄さは認めつつも、内心では「あいつやり過ぎ!」といった嫌悪感も併せ持っての表現と解釈する方が妥当ではないかと思います。
それにしてもまあ、その後の崇徳上皇や為義・忠正の処遇問題を見るにつけ、頼長の戦病死(ドラマ的には自害とすべきか)が摂関家を瀬戸際のところで踏み止まらせたとも言えるような気がして来ました。もし、生き延びて配流などの勅勘を蒙っていれば…、公的な罪人を出した摂関家の体面はさらに傷つくことになったかもしれませんし、忠実が断腸の思いで頼長を拒絶したのも、わが身可愛さよりも、ひとえに摂関家を守りたい一心でしたから…(少々異論もないわけではないですがそういうことにしておきましょう)。
また、少し穿った見方かもしれませんが、保元の乱の主要人物の中で、頼長が唯一の戦死者となったことが、信西に極刑の断を下させる引き金になったようにも…。頼長ほど国のためを思っていた人間でも死を持ってその罪を贖ったのだから、為義・忠正らも流罪などで済ませてなるものか…。頼長の日記をしみじみと読みながら、やがてキッと顔つきを変えた信西の様子にふとそんなことも思いました。
なお、この当時に死刑は有名無実の刑になっていて200年以上行われた例はなく、実質的には流刑が最極刑。そのため、忠正を探させた清盛も(これは忠清のスタンドプレイを庇ったようにも)、為義を探させた由良も、それこそ信西以外の誰もが流罪以上の重罪に問われるとは夢にも思っていなかったというのがミソなのですが、戦国物では敗者は首を捕られて当然なところがありますから、その感覚で見るとドラマ内のキャラ達の見込みの甘さにイラッと来る向きもあるでしょうね。
ノベライズでは為義・忠正らの処遇について「無論、厳罰、にござりましょうな」の後に「流罪ということに」と続いていたのですが、ここはカットしない方が良かったのではないでしょうか。
ということで、何か物凄い中途半端で申し訳ないのですが、源氏・平氏パートについては、どうしても次回のネタバレに触れずにはおれなくなるので、今回は保留とさせていただきます。
でも、一つだけネタばらしを!
源平の御曹司、清三郎くんと鬼武者くん、この二人にはちょいとご注意めされませ!
さすがにバスタオルとまでは申しませんが、せめてハンカチぐらいはご用意されていた方が無難だろうと… (^^ゞ
by kiratemari
| 2012-06-08 23:43
| テレビ
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