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早春の尾張・三河の旅 vol.6 伊良湖東大寺瓦窯跡

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早春の尾張・三河の旅 vol.6 伊良湖東大寺瓦窯跡_c0057946_19514771.jpg治承4年(1180)に平重衡を大将軍とする平家軍の焼き討ちにより灰燼に帰した東大寺大仏殿。その後、俊乗房重源の指揮の許、再建事業が行われましたが、その際に大仏殿の屋根瓦を焼いた窯の跡とされているのがここ伊良湖東大寺瓦窯跡です。


豊川用水「初立池(はつたついけ)」の南側斜面に残る三基の窖窯の跡。
1966(昭和41)年、ダムの造成中にここから「東大寺大佛殿瓦」と刻印された軒丸瓦や軒平瓦、平瓦などが出土し、現在もこのような状態で保存されています。

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東大寺瓦窯跡は他に岡山県瀬戸町(現伊方町)の万富にもあり、当時、備前国が東大寺造営料国(造営のための費用負担を課せられた国)になっていたことも鑑みれば、メインの窯は万富の方だったものと思われますが、この伊良湖で出土した瓦の「東大寺大佛殿瓦」の刻印についても、「東」の文字が東大寺鐘楼に実際に葺かれていた屋根瓦のものと一致したということで、実物に間違いないものと見られています。

大仏殿ではなく鐘楼の屋根瓦を比較対象にするのはおかしいと思われるかもしれませんが、今の大仏殿は鎌倉時代に再建された当時のものではなく、戦国時代に再び焼失した後、江戸時代に入ってから再々建されたもの。よって、鎌倉期の再建時のまま残っている鐘楼の方がこの場合の目的にはより適しているということになります。ただし、鐘楼は昭和41年に解体修理が行われ、その際に屋根の葺き替えが行われましたので(その時に下ろした瓦と照合して刻印が同じと確認)、現在の鐘楼にある瓦とは違いますので悪しからず…。

それはさておき、渥美半島では元々平安時代から鎌倉時代にかけて窯業が盛んで、一時は100群500基以上の窯場があったといわれているとはいえ、中世には「六古窯」と称される瀬戸(愛知)、常滑(愛知)、越前(福井)、信楽(滋賀)、丹波立杭(兵庫)、備前(岡山)などの名立たる産地がある中で、なぜここ伊良湖の窯に依頼が舞い込んだのか…。

一説に、伊勢の対岸に位置する伊良湖は伊勢神宮の神官領(伊良湖御厨)になっており、かねてより社寺向けの経筒などの宗教用具を数多く手がけていたことから、伊勢の神官が再建を指揮する俊乗房重源に特に推薦したのではないかと見られています。

東大寺造営に関わる責任者には伊勢神宮に参拝する慣例があり、重源も大勧進職に任命されて後の文治2年(1186)に総勢700人もの弟子を引き連れ参拝しているようですから、その時にそういった話が出たのかもしれません。ちなみにこの伊勢参拝時に重源は伊勢にいた西行を訪ねてもいるそうで、そこで鍍金用の砂金調達のための奥州行きを依頼したのではないかとも見られています。

何にせよ、一見、何の繋がりもないかのように思えるこの伊良湖の地で東大寺大仏殿の瓦が焼かれ、遠く離れた奈良の地まで運ばれたということは、想像以上に当時の海運が発達していたことの証とも言えるでしょうね。

ちなみに昭和55年(1980)の東大寺の昭和大修理落慶供養に合わせて、当時の寸法通りの平瓦を復元する試みが伊良湖で行われたそうですが、できあがったものは1枚の重さが何と15kgにもなったのだか。そんな重さのものを陸路で運ぼうとすればとんでもない時間と労力が必要になりますから、海路なくしては土台無理な話で…。それでも太平洋の荒波を越えても間違いなく送り届けられる前提がなければ、こんな所に依頼する発想すら浮かばなかったでしょうから、当時の海運にはかなりの信頼が寄せられていたという理屈になるのではないかと…。

なお、この東大寺瓦窯跡は文字通り遺跡のみで表面上しか見ることはできませんが、ここからそう遠くない場所にある「皿焼古窯館」(渥美運動公園内)に同時代の古窯の実物が展示されていて、詳しい構造などを知ることができるそうです。また、出土品についても「渥美町郷土資料館」に展示されているそうで、今回はいずれもスルーしてしまいましたが、興味のおありの方は一度訪ねてみられてはいかがでしょう。






ということで、伊良湖めぐりの最後を飾るのは一足早い春の訪れを告げる菜の花。

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渥美半島では毎年2~3月に菜の花祭が催され、あちこちでこのような黄色の花の絨毯を目にすることができます。

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幸いにしてこの日は穏やかな天候に恵まれ、大雪をもたらした前々日までの真冬日和が嘘のような暖かさ。そんな春爛漫の陽気に浮かれながら、伊良湖を後にしたのでした。
今にして思えば、それがいかんかったのかも… (~_~;)

お次がたぶん最終回の巻に~♪


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【このページの写真は平成20年2月11日に撮影したものです】



《メモ》
  東大寺瓦窯跡  【地図】
    渥美町伊良湖瓦場358-14

  皿焼古窯館  【地図】
    田原市小塩津町(渥美運動公演内)

  渥美町郷土資料館  【地図】
    田原市古田町岡ノ越6-4
by kiratemari | 2008-03-05 20:23 | ├中部 | Trackback | Comments(0)

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