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竜王・鏡の里へ~後編
しかし不思議なものですよね。
事実上平家断絶の場所と(六代や知盛遺児は存命してましたが)、そうさせた源九郎義経誕生の地がほぼ同じ場所というのは…。
これも奇しき因縁か、それとも後世の悪しきコジツケか?

 
義経元服の地には主に「鏡の宿」説と「熱田神宮」説とがあり、それぞれの出典は前者が『平治物語』、後者が『義経記』。

どちらも歴史書というよりは読み物ですから、史料的価値はまあどっこいどっこいという感じですが、鎌倉初期に書かれたとされる『平治物語』の方が、さらに時代を下った室町期の産物で判官贔屓の色合いも濃い『義経記』よりは信憑性が高かろうと、現在は「鏡の宿」説の方が優勢のようです。一昨年の大河ドラマ放映時も竜王町は「ウチが本家」と大々的にアピールしてましたよね。

義経絡みだけでなく、東山道・中山道沿いの歴史ある宿場町ということもあって、この界隈には様々な史跡が立ち並び、それらをめぐるベース・キャンプ的な存在として道の駅「竜王かがみの里」があります(周辺史跡のガイドマップも置いてありますので鏡の里めぐりのお供に)。



道の駅だけにマイカー利用者向けの施設で、最寄りのJR篠原駅からは徒歩30分の立地ですが、一駅東寄りの近江八幡駅と西寄りの野洲駅からバス(所要時間はおよそ20分)が出ているようですので、電車でお越しの場合はそちらを利用されるのがよろしいかと思います。


ということで、義経元服の地めぐりへいざ出陣!
と勇むまでのこともなく、この道の駅の真向かいに早速こんなそのままズバリの立て看板。


さすがは義経様様☆
宗盛さんの所のひっそり加減とはえらい違いです (^^;)
看板に書かれている通りに、ちょいと左側を向けば…、そこに義経の元服池はありました。




義経が元服する際、長い稚児髪を削ぐのにこの池の水を使ったとされ、また鏡池の名にふさわしく、池の水面を鏡代わりにして元服した姿を映してみたとの伝承も。この池は裏山の湧き水がしみ出て来ているもので、その昔は飲料水に用いられるほど澄み切った水だったそうですが…。

また、池の水を注いだ盥の底板と言われるものも残っているらしく、こちらは鏡の里保存会によって現在も大切に保管され、道の駅でのイベント開催時などに特別公開されることもあるようです。


さて、ここで元服を済ませた義経が、源氏の再興と武運長久を祈願したという鏡神社は、ここから東へ130mほど行った所にあります(先ほどの看板の右側)。




参道の左側に屋根つきで樹木の幹が祀られていますが、これは「烏帽子掛松」。



謡曲「烏帽子折」において、参拝の際に義経が松の枝に烏帽子を掛けたとあり、その松の木は明治6年に台風で倒れてしまったため、こうして株上2.7mを残し石垣上に安置保存されることになったとのことです。

そして、「烏帽子掛松」を過ぎて石段を登って行くと、やがて左側に鮮やかな朱塗り鳥居が現れます。





しかし、見事なほどに全く人けのない境内…。
そりゃあ静かでいいのですけど、でもちょっと淋しい気も… (-_-;)






本殿の前に竈のようなものがありましたが、これは祭事に使われるものか?
ちょっと調べてみたものの何も引っ掛からず謎のまま…。


ところで、この鏡神社の境内にはもう一つ八幡神社という社もあります(鳥居をくぐってすぐ右手)。




源義経と兵法に優れ国を栄えさせたといわれる第15代応神天皇を合祀した社で、京都鞍馬の方角へ向けて建てられているのだそうです。

なお、この八幡神社の横をさらに登って行くと、大正天皇が陸軍の特別大演習統監のため立たれたという「御幸山」に至りますが、同行者がいるし義経絡みでない…ということで今回はスルーしました。


ということで、鏡神社を後にして国道8号線をさらに東へ。
宿場町らしく加賀屋跡、本陣跡の立て看板に続け様に行き会います(右側のアップ画像はクリックでさらに拡大表示可)。



古代より中世の「東山道」時代には宿駅に指定されていた鏡の宿も、「中山道」となった江戸時代には宿駅から外されたものの、本陣・脇本陣が置かれ、紀州徳川家の定宿だった他、皇女和宮も降嫁の際に本陣で休息をとるなど多くの旅人で賑わっていたようです。

そして、本陣跡の次に現れるのが「義経宿泊の館・白木屋跡」。



「白木屋」は鏡の宿駅の長・澤弥伝(さわやでん)の営んだ旅籠で、先述の元服の盥の底板もこの白木屋に伝わるものだったそうです。昭和30年に台風で壊れる前までは藁葺きの屋敷が残っていたようですが、今は更地になっていて石碑と梅の木があるのみです。

あとこの先に烏帽子をあつられた五郎太夫家跡というものもあるらしいのですが、道沿いにはそれらしいものは見受けられず、探し当てることはできませんでした。

また、鏡の里と言えば、額田王ゆかりの地としても知られ、壬申の乱で戦死した額田王の父鏡王が葬られたという真照寺もすぐ近くにあり、古代から幕末まで幅広い時代の足跡の残しているのやはり宿場町ならではのことでしょうね。

何よりこの道筋が千年以上も昔から、ずっと変わらず人々の往来を見続けているとういうことに、改めて深い感慨を抱きました。


☆Back → 竜王・鏡の里へ~前編







by kiratemari | 2007-03-23 20:15 | Trackback(1) | Comments(2)
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Tracked from 日本史日誌 at 2007-10-02 19:52
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Commented by えりか at 2007-03-23 22:32 x
  手鞠さん、今晩は♪

 竜王・鏡の里旅行記、楽しく拝見しました。日帰り旅ながら色々見ることができたようで良かったですね。

 それにしても、宗盛さんの最期の地と、その宗盛さんを斬った義経の元服の地がこんなに近くにあるというのも不思議です。 やっぱりこれはこじつけなのかな。

 そう言えば大河ドラマでは、義経は尾張で元服していましたものね。そのためかどうかわかりませんが、現在でもかなり観光に力を入れているようですね。「こちらが本家だ」という意気込みが感じられます。

 実は私は、鏡の里というと額田王が頭に浮かんでしまうのですよね。彼女の歌が好きなので…。このように、古代から近代まで、様々な時代の舞台となった鏡の里、色々とロマンを感じられそうな土地ですね。
Commented by 手鞠 at 2007-03-24 01:25 x
えりかさん、こんばんは~♪
鏡の里も中々良い所でしたよ。何といっても、義経一辺倒ではなく、寂しいながらも平家方スポットも共存している所に好感が持てます(笑)。

しかし、宗盛の最期は他の史料も併せてほぼ間違いのない所ですが、義経元服については、何しろ決定的な判断材料に乏しいのでどちらとも判別しがたいですね。それだけに、大河のような全国放送のドラマで取り上げられるか否かで、学術的なことはともかく、世間一般への刷り込みの影響は大きいですから、どうしても躍起になってしまうのでしょうね。

私も鏡の里というと、むしろ額田王の方を先に思い浮かべました。でも、時代があまりに古すぎるせいか、お父さんの菩提寺の他に史跡らしいものが何もなかったのは少し残念でした(いや、もっとよく探せばあるのかもしれないですが…)。
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