早春の讃岐路を行く~vol.6 古戦場めぐり (3)
さて、別行動をとっていた同行人とも無事合流でき、残る目当ての史跡はあと4つ。
再び屋島側へ渡り、まず最初に向かったのは「菊王丸の墓」。
古木に抱かれるように建つ宝篋印塔、向かって左側にはお地蔵様を祀った小さな祠も
(下の写真はクリックで拡大表示可)。
菊王丸は平家方の童(享年18歳)で、元は越前三位平通盛(小宰相との悲恋で知られる)に仕えていましたが、通盛が一ノ谷で討たれて後はその弟の教経に仕えるようになり、この時も主の教経が射落とした佐藤継信の首を取ろうと駆け寄った所を継信の弟忠信に射抜かれ落命。
能登守教経と言えば、当時すっかり公家化してしまっていた平家一門にあっては、珍しく一騎当千の猛将として知られた人物ですが、その教経も菊王丸の死を哀れむあまり、それっきり戦いをやめてしまったと言われています(まあそこから色々な妄想が生まれているわけですが…)。
そして、この菊王丸の墓の前で道が二手に分かれ、向かって左側の道を少し行くと、ほどなく「安徳天皇社」に行き当たります。
檀ノ浦の入り江を望み、背後には険峻な屋島の峰のそびえ立つ地の利を生かし、平家が行宮を置いていたと目される場所で、長門の壇ノ浦で平家が滅びた後、安徳天皇の死を悼み霊所として祀られるようになったとのことです。
ところで、ここまできちんと写真で示していませんでしたが、源平の史跡前には上の写真のように紅白の旗が立てられています。史跡めぐりの際にはどうかこれを目印に。
さて、先を急ぎましょう。
安徳天皇社を過ぎてすぐの所で細い路地を少し山側へ分け入ると(これが結構急な坂で…)、やがて路傍にズラッとお地蔵様の列が…。
そして、この先にあるのが、またもや「佐藤継信の墓」。
ここは屋島寺へ続く遍路道の道筋に当たり、巡礼者を通じて継信の忠節を広く世人に伝ようと、もう何度も出て来ました(汗)初代高松藩主松平頼重が、寛永20(1643)年に建立したものだそうです。いやあ、ここまで来ると源平マニアというより、継信ファンクラブ代表と言った方が相応しいかと…(^_^;)
ということで、これにて屋島・牟礼近辺の史跡めぐりもひとまず終了となるのですが、最後にもう一箇所。
屋島の対岸(五剣山のある側)の北端、瀬戸内海を望む庵治の「船隠し」へも行ってみました。
平家方が軍船五百隻を隠し置いていたという入り江で、海から攻め寄せる源氏軍を挟み撃ちにしようとの計画でしたが、義経はその裏をかいて阿波へ迂回し、陸路で背後から攻撃するという戦法をとったため、せっかくの軍船も逃走手段にしかならなかったようです。
そして、この「船隠し」から少し東の方向へ遠ざかってみると、なだらかな屋島の山影が浮かび上がります。
この辺りは屋島からちょうど真東に位置するので、上手くすれば屋島の向こうに沈む夕日が撮れるかも!と思い、一番最後にとっておいたのですが、午後5時少し前ではやや早かったでしょうか…。
でもまあ、何だかんだ言っても、朝から晩までたっぷり一日遊び回って、その最後の締めにこの景色。これで文句を言ってはバチが当たろうってもんですね。
今回は日帰り旅ということで、時間の関係で見送った史跡がいくつかあり、八栗寺や志度寺もとうとう行けずじまいでしたから、またいつの日か屋島めぐりに再挑戦できればとの思いはあります。ただ、これだけでも十分堪能できましたので、さすがにすぐにはその気になれませんけど… (^^;)
ということで、全6回でお送りしました屋島レポもこれにて完結。
本業が超多忙時につき、いつも通りの飛び飛びアップの上に、内容もかなり駆け足になってしまった部分がありましたが、最後までお付き合いいただき、どうもありがとうございました m(__)m
☆Back → 早春の讃岐路を行く~vol.5 古戦場めぐり (2)
再び屋島側へ渡り、まず最初に向かったのは「菊王丸の墓」。
古木に抱かれるように建つ宝篋印塔、向かって左側にはお地蔵様を祀った小さな祠も
(下の写真はクリックで拡大表示可)。
菊王丸は平家方の童(享年18歳)で、元は越前三位平通盛(小宰相との悲恋で知られる)に仕えていましたが、通盛が一ノ谷で討たれて後はその弟の教経に仕えるようになり、この時も主の教経が射落とした佐藤継信の首を取ろうと駆け寄った所を継信の弟忠信に射抜かれ落命。
能登守教経と言えば、当時すっかり公家化してしまっていた平家一門にあっては、珍しく一騎当千の猛将として知られた人物ですが、その教経も菊王丸の死を哀れむあまり、それっきり戦いをやめてしまったと言われています(まあそこから色々な妄想が生まれているわけですが…)。
そして、この菊王丸の墓の前で道が二手に分かれ、向かって左側の道を少し行くと、ほどなく「安徳天皇社」に行き当たります。
檀ノ浦の入り江を望み、背後には険峻な屋島の峰のそびえ立つ地の利を生かし、平家が行宮を置いていたと目される場所で、長門の壇ノ浦で平家が滅びた後、安徳天皇の死を悼み霊所として祀られるようになったとのことです。
ところで、ここまできちんと写真で示していませんでしたが、源平の史跡前には上の写真のように紅白の旗が立てられています。史跡めぐりの際にはどうかこれを目印に。
さて、先を急ぎましょう。
安徳天皇社を過ぎてすぐの所で細い路地を少し山側へ分け入ると(これが結構急な坂で…)、やがて路傍にズラッとお地蔵様の列が…。
そして、この先にあるのが、またもや「佐藤継信の墓」。
ここは屋島寺へ続く遍路道の道筋に当たり、巡礼者を通じて継信の忠節を広く世人に伝ようと、もう何度も出て来ました(汗)初代高松藩主松平頼重が、寛永20(1643)年に建立したものだそうです。いやあ、ここまで来ると源平マニアというより、継信ファンクラブ代表と言った方が相応しいかと…(^_^;)
ということで、これにて屋島・牟礼近辺の史跡めぐりもひとまず終了となるのですが、最後にもう一箇所。
屋島の対岸(五剣山のある側)の北端、瀬戸内海を望む庵治の「船隠し」へも行ってみました。
平家方が軍船五百隻を隠し置いていたという入り江で、海から攻め寄せる源氏軍を挟み撃ちにしようとの計画でしたが、義経はその裏をかいて阿波へ迂回し、陸路で背後から攻撃するという戦法をとったため、せっかくの軍船も逃走手段にしかならなかったようです。
そして、この「船隠し」から少し東の方向へ遠ざかってみると、なだらかな屋島の山影が浮かび上がります。
この辺りは屋島からちょうど真東に位置するので、上手くすれば屋島の向こうに沈む夕日が撮れるかも!と思い、一番最後にとっておいたのですが、午後5時少し前ではやや早かったでしょうか…。
でもまあ、何だかんだ言っても、朝から晩までたっぷり一日遊び回って、その最後の締めにこの景色。これで文句を言ってはバチが当たろうってもんですね。
今回は日帰り旅ということで、時間の関係で見送った史跡がいくつかあり、八栗寺や志度寺もとうとう行けずじまいでしたから、またいつの日か屋島めぐりに再挑戦できればとの思いはあります。ただ、これだけでも十分堪能できましたので、さすがにすぐにはその気になれませんけど… (^^;)
ということで、全6回でお送りしました屋島レポもこれにて完結。
本業が超多忙時につき、いつも通りの飛び飛びアップの上に、内容もかなり駆け足になってしまった部分がありましたが、最後までお付き合いいただき、どうもありがとうございました m(__)m
☆Back → 早春の讃岐路を行く~vol.5 古戦場めぐり (2)
by kiratemari
| 2007-03-09 20:16
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Comments(4)
手鞠さん、今晩は♪
旅行記完結お疲れ様でした。もうしばらくお仕事がお忙しいようですが、どうかお体を大切になさって下さいね。
能登殿関連の史跡というのは菊王丸のお墓だったのですね。「ふむ、ふむ、こんな所だったのか~」と写真を興味深く拝見しました。「童」という記述から13,4才くらいかなと思っていたのですが、18才だったのですね。いずれにしても短い生涯だったわけですが、こうしてお墓が整備され、地元の人たちがずっと忘れずにお墓を守って下さるというのは幸せですよね。
それにしても水戸黄門のお兄さん、よっぽど継信さんが好きだったのですね。今だったら本当に、「継信ファンクラブ」の会長さんになれるかもしれません。
旅行記完結お疲れ様でした。もうしばらくお仕事がお忙しいようですが、どうかお体を大切になさって下さいね。
能登殿関連の史跡というのは菊王丸のお墓だったのですね。「ふむ、ふむ、こんな所だったのか~」と写真を興味深く拝見しました。「童」という記述から13,4才くらいかなと思っていたのですが、18才だったのですね。いずれにしても短い生涯だったわけですが、こうしてお墓が整備され、地元の人たちがずっと忘れずにお墓を守って下さるというのは幸せですよね。
それにしても水戸黄門のお兄さん、よっぽど継信さんが好きだったのですね。今だったら本当に、「継信ファンクラブ」の会長さんになれるかもしれません。
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えりかさん、こんばんは~♪
どうにか完結までたどりつけました(汗)。
菊王丸、18歳で童と呼ぶのはどうかと私も思いますが(12歳前後で元服していた時代ですから)、それでも短すぎる生涯ですよね。
それにしても、菊王丸のお墓だけでなく、どの史跡もゴミ一つ落ちていない綺麗な状態で、花が手向けられている所もあって、地元の方々の強い愛を感じました。訪れる側も節度ある行動を心がけなくてはいけませんね。
黄門様の兄上と屋島の史跡との関係は事前に全く知らなかったものですから、本当驚きました。江戸時代にできたものだと聞くとちょっとガッカリな面もありますが、でも、頼重殿が作ってくれなければ、こうしてゆかりの地をめぐる楽しみも半減していたでしょうから、よくぞ作ってくれました!という気持ちにもなりますね。
本業の方は、例年にも増してバタバタしておりまして明日も出勤ですが、あと5日でとりあえず切羽詰った状態からは開放されますので、それまでは忍の一字で頑張ります!
どうにか完結までたどりつけました(汗)。
菊王丸、18歳で童と呼ぶのはどうかと私も思いますが(12歳前後で元服していた時代ですから)、それでも短すぎる生涯ですよね。
それにしても、菊王丸のお墓だけでなく、どの史跡もゴミ一つ落ちていない綺麗な状態で、花が手向けられている所もあって、地元の方々の強い愛を感じました。訪れる側も節度ある行動を心がけなくてはいけませんね。
黄門様の兄上と屋島の史跡との関係は事前に全く知らなかったものですから、本当驚きました。江戸時代にできたものだと聞くとちょっとガッカリな面もありますが、でも、頼重殿が作ってくれなければ、こうしてゆかりの地をめぐる楽しみも半減していたでしょうから、よくぞ作ってくれました!という気持ちにもなりますね。
本業の方は、例年にも増してバタバタしておりまして明日も出勤ですが、あと5日でとりあえず切羽詰った状態からは開放されますので、それまでは忍の一字で頑張ります!
お疲れ様でした。いつか讃岐に上陸する際の参考にさせていただきますφ(..)メモメモ
それにしても、すごい盛りだくさんの旅でしたね。これで日帰りというのにちょっとビックリですw(゜o゜)w
それにしても、すごい盛りだくさんの旅でしたね。これで日帰りというのにちょっとビックリですw(゜o゜)w
sanraku2さん、こんばんは~♪
ご覧いただきどうもありがとうございます。
是非、讃岐にも一度足をお運び下さいませ。半ばスタンプラリーみたいで(笑)、全制覇できればかなりの満足感も得られると思いますよ。ただ、この記事が参考になるかどうかは怪しいものがありますが…(^^;)
古戦場めぐりの(1)(2)分はそれぞれが本当に至近距離にあるので、数は多いようでも2時間ぐらいあれば、もれなく全部回れると思いますが、後はやっぱり車の力が大ですね。電車やバスの利用である程度はフォローできるものの、待ち時間のロスを考えると一日でこれだけ回るのは苦しかったでしょうから。
ご覧いただきどうもありがとうございます。
是非、讃岐にも一度足をお運び下さいませ。半ばスタンプラリーみたいで(笑)、全制覇できればかなりの満足感も得られると思いますよ。ただ、この記事が参考になるかどうかは怪しいものがありますが…(^^;)
古戦場めぐりの(1)(2)分はそれぞれが本当に至近距離にあるので、数は多いようでも2時間ぐらいあれば、もれなく全部回れると思いますが、後はやっぱり車の力が大ですね。電車やバスの利用である程度はフォローできるものの、待ち時間のロスを考えると一日でこれだけ回るのは苦しかったでしょうから。
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