早春の讃岐路を行く~vol.4 古戦場めぐり(1)

さて、屋島山上をひとめぐりして下山すると時刻ははや午後3時前。
予定時間をかなりオーバーしていましたが、ここからは親戚を訪ねるという同行人と一時別れ、徒歩での単独行動をとることになりました。



 
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屋島の合戦にまつわる史跡は、幸いなことにJR高徳線「古高松」駅・琴電志度線「八栗」駅の辺りから、海側へ向かっておよそ2km四方の間に密集していますので、今回は南側から順に攻めて北上して行こうとの目算でスタート。

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国道11号線沿いにあるJR「古高松」駅で車を降り、閑静な住宅街を地図に従って東進。
最初のうちは地図上と実際の距離感がややつかみづらく、「まだか?」と思いつつ歩き続けることおよそ5分。本道がなだらかな下りにさしかかる所で、左へ折れるやや急な上り坂の小道との分岐点になり、地図の位置関係を信じて左に折れて少し上ると無事「菜切地蔵」に到着。

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この先にある「瓜生ヶ丘」に義経軍が布陣した際に、弁慶がまな板代わりにこのお地蔵様の背で菜を切って汁を作り、義経を始め兵士らに供したとかで、今もその背には刀傷が残っていると言われているようですが、それは確認できず (^_^;)

しかし、いくら他になかったからとはいえ、よりよってまあ…(呆)。それも法体の身でのことですから、バチ当たりなことこの上なし!(だから義経主従はその後悲惨なことに?)

で、お次はその「瓜生ヶ丘」へ行きたい所でしたが、少し距離がありそうなのと、小さな石碑があるだけらしいとの事前情報もあり、今回は時間の都合上スルーすることに。

元の道に戻り、坂を下りてすぐの所を左へ折れ(今度はそこそこ道幅のあるちゃんとした?道です)、JRの線路を越えてもう少し行くと、こちらも弁慶ゆかりの「長刀泉」に出ます(下の写真はクリックで拡大表示可)。

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飲料水を確保するために、弁慶が自慢の長刀の柄で掘ったといわれる井戸の跡。
先ほどの「菜切地蔵」と共に、賄い仕事まで難なくこなす弁慶のマルチタレントぶりを伝える逸話です。

さて、「長刀泉」から国道11号線を渡って(目の前に信号がなく歩道橋を上がる)牟礼川沿いの道を北西へ10分弱行くと、左手に佐藤継信の墓が現れます。

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こちらは門が閉まっていて中に入れず、外から望遠での撮影を試みましたが写真の出来はイマイチで…。

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初代高松藩主松平頼重(栗林公園の項でもご登場)が、義経の身代わりとなった継信の最期を武士道の鑑(かがみ)と称え、寛永20年(1643)に建立したものだそうで、実は、屋島の合戦にまつわる史跡のほとんどが、この頼重によって整備&リメイクされたものだという話です。さすがは日本史オタクもとい『大日本史』の編纂で知られる水戸光圀公の兄上。血は争えませんね(^^;)

そして、佐藤継信の墓の隣には、義経が継信の供養料として志度寺に寄進した言われる名馬「太夫黒」の墓も(写真は失敗)。

「太夫黒」は義経が後白河法皇より賜り、一ノ谷の鵯越にも用いたという秘蔵の名馬で、合戦後しばらくは志度寺で飼われていたのが、その後逃げ出して継信の墓前まで来て斃れたとの後日談も。こういう所もしっかり押さえている頼重殿。これは相当な『平家物語』マニアだったと見るべき?(爆)


そして、この継信&太夫黒の墓のすぐお隣には「神櫛王墓」なるものも。
(下の写真はクリックで拡大表示可)

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神櫛王は第十二代景行天皇の王子で讃岐の国造の始祖だそうですが、そこまで古い時代になると私にはサッパリで…(~~;)


さて、神櫛王墓を過ぎると再び大きな道路に行き当たり、これを渡ると琴電「八栗」駅に(写真は撮り忘れ)。その駅前の小道を東へ少し行き、次の大きな道で左折してまた5分弱ほど行くと、左手に佐藤継信が馬から射落とされた場所だという「射落畠(いおちばた)」が。

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(この写真は総門側へ回り込んで撮ったものです)


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こちらの「射落畠」は門が開いていましたので中に入ることができました。
中央に聳え立つこの石碑は昭和6年に継信三十世の子孫によって建てられたものだそうです。

そして、この「射落畠」でまたまた左へ折れ、やや細い路地を行くこと約1分で平家軍「総門跡」に到着。
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牟礼の六万寺に安徳天皇の行在所が置かれていた頃に、海辺の防御の要として構築された総門の跡。屋島の平家本営を襲撃するため相引川を渡った義経本隊とは別に、副将の佐藤継信率いる一隊がこの総門を背後から攻め寄り、平家軍は慌てて海上に逃れたといいます。


ということで、ここまでの所用時間がおよそ40分。
しかし、古戦場めぐりはこの後もまだまだ続きます (^^;)


☆Next → 早春の讃岐路を行く~vol.5 古戦場めぐり (2)

☆Back → 早春の讃岐路を行く~vol.3 屋島



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by kiratemari | 2007-03-01 19:23 | Trackback | Comments(0)
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