紅葉を求めて錦秋の京へvol.5 - 神護寺・番外編

『平家物語』フリークにとっては、神護寺と言えばやはり「文覚」さん。
頼朝に挙兵を勧めたとか、先に高山寺の項でも触れた六代助命に奔走したとか、出番は少ないながらも、何気に大きなことをやってのけている怪僧に、今回は特別枠を設けて迫って(?)みたいと思います。



 
まずは文覚の略歴からざっと記しておきますと、

俗名は遠藤盛遠(えんどう・もりとお)。生年は保延5年(1139)と推定されていますが、これは神護寺蔵の伝藤原隆信筆『文覚画像』に「建仁3年(1203)7月21日、65歳没」と記載されているところから逆算したもので、『平家物語』(巻12)では80余歳没としているなど異説も見られ、実否は定かならず…。

元は摂津渡辺党に属する武士の出自で、鳥羽天皇の皇女・上西門院(統子内親王:後白河天皇の同母姉)の北面に勤仕していたと言われ、その彼が出家するに至った動機として、同僚(源渡)の妻(袈裟)に横恋慕して、誤って彼女を殺してしまったという『源平盛衰記』のエピソードが有名ですが、これも実否のほどは不明です。

出家して後の文覚は諸国をめぐって過酷な修行に身を投じ、仁安3年(1168)の秋頃にかねてより尊崇していた弘法大師(空海)の旧跡である神護寺を訪れ、その著しい荒廃ぶりを目の当たりにして再建を決意。草庵を結んで修復につとめていましたが、承安3年(1173)4月29日に、復興の財源にすべく荘園の寄進を求めて後白河法皇の御所・法住寺殿に乱入したことから逮捕され伊豆国へ配流されることに。

そこで同じく伊豆に流されていた源頼朝と出会い、やがて平家打倒の挙兵を煽動する役割を担うことになったとは『平家物語』の記すところですが、配流の時期を頼朝挙兵の前年の治承3年(1179)とするなどの明らかな改変も見られ、そのまま鵜呑みにはできない部分も…。ただ『愚管抄』においても、文覚が頼朝挙兵の背後で暗躍していたことを伺わせる記述があることなどから、当時から少なくともそうした風聞はあったと見て間違いないかと思われます。

それはさておき、配流から5年後の治承2年(1178)に許され帰京した文覚は再び神護寺再建に動き、寿永元年(1182)にはついに後白河法皇から念願の寄進の約諾を取り付け、翌寿永2年に実現。さらに頼朝からの寄進もあって、元暦2年(1185)までに神護寺領として六庄が寄進されて、ここにようやく神護寺の復興も成り、その後は東寺・高野山大塔・西寺の修造や東大寺の再建などにも尽力したと言われています。

また、壇ノ浦で平家が滅亡した直後には、平孫狩りにより捕えられた維盛の子六代の助命嘆願のために自ら鎌倉へ赴き、頼朝に直談判してその身柄を貰い受け、弟子としたことなど(『平家物語』巻12)、頼朝からも一目置かれる存在だったことを示すエピソードも残っています。

しかし、そうした頼朝との関係が「虎の威を借る」的な横暴な振る舞いにも繋がり、世の人々の反感を買っていたらしいことも藤原定家の日記『明月記』(正治元年3月20日条)などで確認でき、そのためか正治元年(1199)正月に頼朝が亡くなるや、程なく逮捕され(3月17日)、佐渡国配流の厳罰を蒙ることとなります。罪状は源通親襲撃の陰謀に加担したためなどと言われていますが、要は朝廷内における親幕府派一掃のとばっちりを受けたといった所でしょうか。

この時の佐渡配流は、3年後の建仁2年(1202)12月25日には許され(この間に源通親が死去)、京に召還されていますが、それから2ヶ月と経たない間の翌建仁3年(1203)2月13日に、先の流罪中に没収された神護寺領について抗議したことから、今度は対馬へ配流されることになります。

『延慶本平家物語』では、この対馬配流を隠岐国に置き換え、処断を下さした後鳥羽上皇を文覚が激しく恨み、その霊が「承久の乱」を起こさせ、上皇を隠岐に導いたとの因果応報的な説話に仕立てられています。

そして、その「延慶本」によれば、文覚は死を前に「自分の首を京の高雄へ持ち帰り、都を一望できる高い場所に葬るように」と遺言したと言い(その心は「都を傾けむ」だそうで…)、その遺言通り(?)、高雄神護寺には文覚上人の墓と言われるものが確かに存在するようです。

となれば…、これは行かずばなりますまい!(汗)
しかし、過去二度の神護寺訪問でも足を向けたことのない未体験ゾーン。しかも、頼りはこんな大雑把な地図一つ…。

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それでも、金堂の裏手にある多宝塔の向かって右側の横にそれらしい道があり、「これでいいのか?」と少々不安に駆られながらもともかく発進。

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ところが、多宝塔を過ぎると途端に、薄暗いに森の中に突入し、木の根や石がゴロゴロしている山道に…。

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人だらけだったと境内とは別世界のような、まるで人けの感じられない静寂さに一気に増して来る孤独感。「これってちょっとマズイ?」なんて思いも頭をよぎりながら、それでも足は一歩一歩前へと前進するのみ。時折、西明寺からの鐘の音や、周山街道を走るバスなどのエンジン音が聞こえて来るのがせめてもの慰めか…。

始めの参道の石段に比べれば、傾斜自体はそれほどきつくはないものの、長く続くだらだら坂、自然に形作られた道の足許のおぼつかなさに、5分も行かないうちにまた汗が噴き出して来る始末…。何度も「ここで引き返そうか」と思いつつ、その度に「後もう少し…」と粘って行くと、やがて分かれ道に行き当たり、そこにようやくこの道標が!

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ここまで来ればもうこっちのもの。道幅も急に広くなってかなり歩きやすい感じになりましたし、何よりこの先に確かに目的のブツがあると思うと気持ちも軽く~♪

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5分という表示でしたが、そこまでかからずに終着点へ。

さあ、これが文覚さんのお墓です。
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思いの他立派なものでちょっと驚き~♪

ところでお隣にはこんな方のお墓も…。

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性仁親王は後深草天皇の第四皇子で仁和寺の第12世御室だったそうですが、仁和寺の御室のお墓が「なぜにこんな所に?」と思ったら、何でも神護寺にも住持して「高尾御室」と言われていたそうです(守備範囲外につきそれ以上の経緯はわかりません)。

しかしそれにしても、文覚さんも性仁親王様も非常に素晴らしいロケーションにお住まいで…。これぞ絶景かな! 苦労してここまで登って来た甲斐がありました。

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こちらのズーム写真は 嵐山-高雄パークウェイ の駐車場付近。
この辺りも深紅の紅葉がたくさん植えられているようで…。


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こちらの写真の山と山の間にうっすらと見えるのは京都の市街地でしょうね。
これぞまさしく文覚さんのご注文通りの立地ではありませんか(爆)。

もっとも、文覚の墓と伝えられるものは他に岐阜県にもあるようで、また、この見るからに性仁親王のお墓と対のような構えと言い、どうも「延慶本」の説話などに基づいて、後世に建てられたもののような気も… (^_^;)
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まあ、とにもかくにも文覚さんのお墓参りも無事完了。
随分長いこと歩いたようでも、時間にしてみるとせいぜい20分ぐらいのものだったようで、下りは15分もかからずに多宝塔に到着。女性の一人歩きはあまりお薦めしませんが(って私も一応女ですけど…)、とりあえずチャレンジしてみる価値はあると思いますよ。
ただし、それなりの格好(特に靴)でお越しになるのが前提ですが…。


ということで、神護寺の巻もこれにて完。
次回は高雄から清滝・嵐山へ抜ける紅葉紀行・最終回編をお送りします~♪


☆Next → 紅葉を求めて錦秋の京へvol.6 - 高雄より清滝・嵐山へ

☆Back → 紅葉を求めて錦秋の京へvol.4 - 神護寺



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by kiratemari | 2006-12-07 19:44 | Trackback | Comments(4)
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Commented by えりか at 2006-12-07 22:15 x
 手鞠さん、今晩は♪

 文覚特集、興味深く読ませていただきました。

 そもそも私が、「神護寺に行きたい~」と思った理由は、「平家物語」を読んで文覚さんにすごく興味を持ったからなのですよね。脇役ですけれど、本当に存在感があると思います。
 改めてその生涯をたどってみると、波瀾万丈ですよね。後白河上皇、頼朝、六代御前、、源通親など、歴史上の有名人とも深く関わっていますし。何か、一編の小説になりそうですね。

 でも、残念ながらお墓までは行くことができませんでした。

 そこで、文覚さんのお墓を拝見させていただきました。立派なお墓です。もしこのお墓が本物の文覚さんのお墓だったとしたら、その眺めの良さにさぞ満足していることでしょうね。
Commented by 手鞠 at 2006-12-08 01:01 x
えりかさん、こんばんは~♪
私の場合も初めての高雄行きは文覚さんに呼ばれたからでした(笑)。
時に翻弄し時に翻弄される、その破天荒な生き様に惹かれたと言いますか…。その割りに、お墓まで行ったのは今回が初めてだったのですけど…(汗)。

こういうお墓は大抵辺鄙な所にあるものとはわかっていましたが、こんな山の上の明るい場所にあるとはちょっと予想外でした(やっぱり草葉の陰というイメージが…)。それに、一応罪人として死んで行った人間と、仮にも親王様のお墓が隣り合ってあるのって問題にならなかったのでしょうかね(汗)。
Commented by さくら at 2006-12-11 18:04 x
手鞠さんへ
こんにちは
またまた読みごたえがあったので、プリントアウトしてみました。
A4サイズで5枚になりました。すごい(@。@)です。
わたしも、文覚さんのお墓参り行っておけばよかったです…清麿さんだけで断念してしまって…
でも、この人の人生って豪快ですよね。面白い人だなぁと思います。こういう人を題材に大河やってくれないでしょうかね(^^;
Commented by 手鞠 at 2006-12-11 18:49 x
さくらさん、こんばんは~♪
いやあ、分量が多いのは写真が場所をとっているせいでしょうし、ほとんど専門書数冊から切り貼りしただけですから、全然すごくないですよ(^_^;)

さくらさんは清麻呂さんのお墓はいらしたのですね。後で調べてみたら、清麻呂さんのお墓はせいぜい5分くらいの所にあったらしいので、行けなくはなかったなとちょっと後悔。まあ、次回にとっておいたと思えば…(汗)。

文覚さんの生き様には、何か惹きつけられるものがあるのですよね。そもそも一番最初に神護寺を訪れた動機も、紅葉よりもむしろ文覚さんゆかりのお寺だったからですし…。

主役は無理としても、狂言回し的に使えば、保元の乱~承久の乱までもれなくカバーできますし、『平家物語』の中でも超人設定ですから、相当無茶なことをさせても全然OK。今どきの史実無視が大好きな大河の素材としては結構魅力的かも…???

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