平清盛の死因を探る?

只今、不定期更新中の人形劇『平家物語』レビュー。
その第24話(第2部・栄華-第12話)の中で、医師・阿部麻鳥が清盛の病を「瘧(ぎゃく)」と見立てるくだりがありましたが、これがちと気になりましてね…。

せっかくなので、この際少し突っ込んでおこうかな?と思い立ち、レビューの続きもそっちのけで、あれこれ当たってみたのですが…。



 
まず麻鳥所見の「瘧」(「ぎゃく」or「おこり」)という病ですが、これは今で言う「マラリア」に当たり、主な症状は高熱と激しい悪寒・震えに襲われる発作が何日かおきに繰り返し起こるというもの。

当時としてはわりあいポピュラーな病気で、『玉葉』や『吾妻鏡』などの史料を紐解いてみても、後白河法皇や八条院(美福門院を母とする後白河の異母妹)、近衛基通、源範頼らの罹患の記録が見られます。

この瘧は蚊を媒介にして感染することから、その性格上、夏場に感染して秋口頃に発症するというのが一般的で、中国の古い医学書『諸病源候論』にも「夏日暑ニ傷ケバ、秋必ズ瘧ヲ病ム」とあるようなのですが…。

ここで「おや?」と思うのが、清盛が亡くなったのは閏2月4日(今の暦で3月20日頃)。
各種史料をざっと見た感じでは、前月の2月25日前後(今の暦で3月10日過ぎ)に発症したと推測され、マラリアの潜伏期間はおよそ2週間と言いますから、感染したのは2月10日前後(今の暦で2月25日前後)との計算が一応立てられますが、これって普通に考えて蚊のいる季節じゃないですよね (^_^;)

入道相国病ひつき給ひし日よりして、水をだに喉へも入れ給はず。身の内の熱き事、火を焚くが如し。臥し給へる所四五間が内へ入る者は、暑さ耐へ難し。ただ宣ふ事とては、「あたあた」とばかりなり。少しもただ事とは見えざりけり。

比叡山より千手井の水を汲み出し、石の舟に湛へて、それに降りて冷え給へば、水おびただしく沸き上がって、程なく湯にぞなりにける。もしや助かり給ふと筧の水をまかせたれば、石や鉄(くろがね)などの焼けたるやうに、水ほどばしって寄りつかず。おのづから当たる水は、炎となって燃えければ、黒煙殿中に満ちみちて、炎渦巻いて上がりけり。


古典『平家物語』では異様な「高熱」描写が展開され、そこから「熱病」といえば「マラリア」との連想が成ったと容易に想像できますが、高熱を発するのは何も「マラリア」ばかりでなく、この時節なら「インフルエンザ」や「肺炎」の方がより現実的のような気もします。

しかし、それより何より、そもそもこの『平家物語』の描写をいったいどこまで信用してよいものか…、むしろそちらの方が一番の問題だと思われるのですが…。

何といっても、前年末の南都焼討のショックもまだ覚めやらぬうちの清盛の急死。
世の人々の中には、これこそ仏罰であり、その死は決して安らかであってはならず、壮絶に苦しみのた打ち回るものでなければならない! との意識が強く働き、そこに正確な情報が漏れてこない状況も相まって、誰彼ともなしに語られ始めた流言飛語ばかりがいつの間にか勝手に一人歩きして定着してしまった…ということも十分ありえる気がします。

そこで、文学書である『平家物語』からは離れ、今少し堅実と思われる他の史料を当たってみることにしますと…、

『百錬抄』(治承5年閏2月4日条)
 入道太政大臣(清盛公。法名浄海)薨ズ(年六十四)、天下走騒、日来所脳アリ、身ノ熱火ノ如シ、世ニ以ッテ東大興福ヲ焼クノ現報ト為ス

『愚管抄』(第五巻)
 平相國入道ハ同五年閏二月五日。温病大事ニテ程ナク薨逝シヌ

『養和元年記』
 去月廿二日頭風気ヲ発ス、同廿四日温気発動、コレヨリ以来、五内焦クガ如シ、雪ヲ器ニ盛リ、頭上ニ置カシメ、水ヲ船ニ洪ギ、身体寒ユト雖モ、煙毛穴ヨリ騰リ、雪水湯ノ如シ

『明月記』(閏2月5日条)
 去夜戌時入道前太政大臣已薨之由、自所所有其告、或云、臨終動熱悶絶之由巷説云々


「身ノ熱火ノ如シ」「温病」「五内焦クガ如シ」「動熱悶絶」と、いずれもやはり「熱病」をイメージし易い内容のようですね (^_^;)

しかし『百錬抄』は鎌倉中期・亀山天皇の時代、『愚管抄』も著者・慈円の晩年(清盛の死から40年後ぐらい)の成立と言いますから、信憑性にはいささか疑問符のつく所。
また『養和元年記』にしても、成立期は不明ですが、その似通ったオーバー描写ぶりには、『平家物語』とどちらが先か?と思うほどですし…(恐らく『養和元年記』→『平家物語』だと思いますが)。

そんな中で、最後の『明月記』は、百人一首の選者としても知られる藤原定家の日記ですので、ほぼリアルタイムに書かれたものと思われますが、ただこれも「巷説」とある時点で信頼度が一つダウンしてしまいます。


ということで、こういう時に頼るべきはやはりコレ!『玉葉』 の記事はというと…、

  2/27-禅門頭風ヲ病ムト云々
   28-禅門ノ頭風、事ノ外増アリト云々
   29-今日、基輔朝臣ヲ以ッテ、禅門ニ遣ハス
 閏2/ 1-禅門ノ所労、十ノ九ハ、其ノ憑ミ無シト云々
    2-使ヲ以ッテ禅門ヲ訪フ
    3-禅門所脳、殊ニ進ム
    4-夜ニ入リテ伝聞、禅門薨去云々、但シ実否知リ難ク尋ネ聞クベキ也
    5-禅門薨去一定也ト云々


「頭風」とはいわゆる「頭痛」のこと。
そして、先に挙げた史料とは異なり、27日に発病の第一報が入って以来、兼実は何度も使者を遣わし病状を探っているのにも関わらず、熱発を思わせる記載がまるで見えないのは、そもそういう情報が兼実の許に一切入って来ていなかったということではないかと思われます。

というのも、多彩な情報網を有する都で随一の事情通とはいえ、時には「巷説」などの未確認情報でも『玉葉』に載せている兼実ですから、『明月記』にある「臨終動熱悶絶之由」なんて「巷説」を耳にしようものなら、何を置いても書き残してあると思うのですよね。それこそ「南都焼討の仏罰が当たった!」と鬼の首を取ったように書き立てそうなもので…。
それをしていないというのは、逆に、藤原定家こそどこからそんな噂話を仕入れて来たのか?と、別の意味で疑いも…。

それと、兼実自身も脚気などを長く患っていたこともあって、病気に関する記事の多さも『玉葉』の特徴の一つ。そこから兼実の医学に関する造詣の深さは玄人はだし…との見方もでき、もし仮に「瘧」であれば、耳に入る断片的な情報からでも「あるいは瘧か?」という具合に個人的所見を載せても不思議ではないように思うのですよね。

それが「頭風を病む」と書き残しているのですから、ここはやはり「頭痛」にこだわると、その中で命に関わるようなもの…といえば、まず「脳出血」あたりが妥当な線ではないかと考えますよね。

で、そんなことを頭に置きながら、ネット上であれこれ検索を試みていた所、いくつか気になる本が引っ掛かったものですから、先日、久しぶりに図書館へ赴き、次の4冊をまとめ借りして参りました。

  『カルテ拝見 武将の死因』 (杉浦守邦 著)
  『偉人たちのお脈拝見・英傑の死の謎にせまる』 (若林利光 著)
  『英雄たちの臨終カルテ』 (大坪雄三 著)
  『病気が変えた日本の歴史』 (篠田達明 著)


いずれも本職はお医者さまという著者が、医学的な見地から歴史上の著名人の死因を解明するという異色の書で、平清盛と共に源頼朝も4つの書に共通して取り上げられている他、後白河法皇、平重盛を取り上げているものもあります(これらの書についての詳細は、後日、別記事にてお送りする予定です)。

で、問題の清盛の死因についてですが、とりあえず全書で共通しているのは「マラリア」説には否定的なこと。劇症を引き起こす「熱帯熱マラリア」ならいざ知らず、日本で発生する温帯性の「三日熱マラリア」は比較的症状も穏やかな方で、いきなり死に至るほどの病ではないとの見解です。

ただ、マラリアは症状が治まっても、発作を引き起こす「原虫」が体内に残っていわゆる潜伏状態が持続され、その後も繰り返し発症する…という例も多々あり、後白河法皇などは慢性化したマラリアのために命を落としたと見られていますから、清盛の場合も絶対にないとは言い切れない所も…。

また、福原で日宋貿易を行っていた関係上、時に東南アジア方面からの積荷もあったかもしれませんし、それに現地の蚊が紛れ込んで日本に流入し、たまたま「熱帯熱マラリア」に清盛が感染してしまったという可能性も厳密に言えば100%否定できないような…。

それでも、過去に清盛が「瘧」を持病としていたことを示す文献はなく、また、もし万一、日本国内に「熱帯熱マラリア」が持ち込まれていたとなれば、感染は清盛一人に留まるとも思えず、それこそ福原で大流行という事態にもなりかねませんから、そうした記録もまるで見当たらない事実を踏まえれば、まずその可能性はないと見て間違いないかと思われます。

では「瘧」でないとすれば、いったい何だったのか?
ここで、各書が挙げる清盛の死因を見てみると、中々バラエティーに富んでいます。

 ・腸チフス (カルテ拝見 武将の死因)
 ・髄膜炎 (偉人たちのお脈拝見)
 ・脳出血による視床下部・中脳圧迫 (英雄たちの臨終カルテ)
 ・猩紅熱の他、脳出血・肺炎の可能性も (病気が変えた日本の歴史)

  
やはり「高熱」を発する点を重視しているのは共通していますが、面白いのは、他に手掛かりが少ないせいか、いずれの書も『平家物語』の文面をかなり事細かに注視していて、例えば発病直後から「あたあた」としか言えなくなったことに言語障害を疑ったり、あるいは、死の二日前に二位尼が遺言を尋ね、それに答えていることから大きな意識障害はなかったとか、いや、手足に麻痺があったと書かれていないから脳出血などは考えにくい…などなど。

しかし、「あたあた」は単に高熱の程度を強調するための言葉の綾かもしれませんし、遺言も昨年の大河ではありませんが(汗)、時子などのでっち上げだったり、発病前に清盛自身が口にしていたことを遺言に代えたということもありえるでしょうし、何もそこまで一々こだわらなくても…という気もするのですが…。

それでも、脳出血から視床下部・中脳圧迫を引き起こし、呼吸や体温調節・発汗などを司る自律神経中枢に深刻なダメージを受けた…として、異常な高熱、大量の発汗、呼吸困難や水さえ喉を通さない嚥下障害など、『平家物語』上の各ポイントも全てうまく説明をつけてしまっている『英雄たちの臨終カルテ』の説には、かなり説得力があるように思いました。ここまで言われれば反論のしようがないというぐらい… (^_^;)

とはいえ、どこまで深く掘り下げてみた所で、所詮は推測の域を出ず、現在残る史料だけでは決定的な答えは望むべくもありません。願わくば同時代の公卿日記『山槐記』と『吉記』の記録でも残っていれば…(いずれも欠巻につき当該時期の記事が現存せず)。

そもそも『玉葉』の著者・九条兼実は摂関家の人間ですので、一種の政敵関係にある平家側がトップの生死に関わる情報をそう易々と漏らすとも考えにくいですし、その点、兼実よりもずっと平家寄りだったと思しき中山忠親(甥の花山院兼雅が清盛の娘婿)であれば、もう少し詳しい病状を耳にしていたことも考えられます。

また、その聡明さから、後に頼朝の信頼を得て議奏公卿に取り立てられる吉田経房であれば、定家のいう「巷説」について、もっと違った捉え方をしていたかもしれませんしね。

しかしまあ、真実がわからないからこそ、それを夢想・探求することにロマンを感じるのもまた人の性(さが)。もし、清盛の死因がそのものズバリ書き残されていたのでは、それこそ、こういうレポートもどきを書く楽しみすらなくなってしまいますからね。

解けそうで解けない…、そういうもどかしさもまた歴史の醍醐味とすれば、清盛の死にまつわるヒントの残り具合も、意外に絶妙な匙加減と言えるかもしれませんね (^_^;)
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by kiratemari | 2006-10-18 18:44 | 歴史語り | Trackback | Comments(6)
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Commented by さくら at 2006-10-19 18:24 x
手鞠さん、こんにちはー
読めば読むほど感動です。
あまりすごいので、プリントアウトしてしまいました…(^^;
わたし、こういうこと考えるが好きなのですが、こんなに裏付けされたのを読むと感動しきりです!
とても興味深く、面白く読ませていただきました。
…わたしはなんとなく、輸入されたものにくっついていたんだ…と思っていただけでしたので…(^×^;
考察しながら、自分なりの答えを出してゆく作業は、わくわくして楽しいですね。
Commented by 手鞠 at 2006-10-19 20:17 x
さくらさん、こんばんは~♪
素人の妄想炸裂の駄文をそのようにお褒めいただくのは、少しこそばゆいところもありますが(汗)、どうもありがとうございますm(__)m

何せ疑り深い性格なもので、コレとはっきりしたソースを確認するまでは信じられないのですよ。特に『平家物語』は明らかな脚色が満載なので、鵜呑みにすると危ない危ない…(笑)。

思えば、こういう史料と衝き合せながら自分なりの考えを練る楽しみを覚えてから、いっそうこの時代にはまってしまったのですよ。元々は創作小説の時代考証のために始めたのですが、今やどっちが主かわからなくてなってしまっています (^_^;)
Commented by けろ子 at 2006-10-19 22:42 x
手鞠さん、こんばんは。
清盛の死因の考察、すばらしいです。
「熱にうなされ、熱さましにかけた水が一瞬にして蒸発するような病気って何だろう?」くらいにしか考えてなかったので、手鞠さんの分析は目からウロコです。
毎回、ホント勉強になります。
今回の記事のカテゴリが「歴史語り」ということで、過去の記事もちらっと見たのですが、「想夫恋・小督」のシリーズが気になりました。
あとでゆっくり読んでいこうと思います。
Commented by えりか at 2006-10-19 23:17 x
 手鞠さん、今晩は♪

 私は、清盛の死因は単純に「熱病」か「マラリア」だと思っていたのですが、実ははっきりわかっていなかったのですね。確かに「平家物語」の記述は大げさですものね。今回の手鞠さんのご考察、興味深く読ませていただきました。このようにはっきりわかっていないことを自分なりに解明していくのは楽しいですよね。

 それで私は、あの情報通の兼実さんの所に、清盛さんの詳しい病状が伝わっていなかったところに興味を引かれました。やはり、権力者の病気については隠されていたのかな…と思ったら、定家さんの所には伝わっていたみたいで、これはいったいどういう事なのか、気になりますね。いったいどこからそんな噂を聞いて来たのか…。八条女院御所あたりが怪しいかなと思ったりしますが…。これはあくまでも私の妄想です。

 
Commented by 手鞠 at 2006-10-20 12:53 x
けろ子さん、こんにちは~♪
そのように言っていただけて、嬉しいやら恥ずかしいやら…(^_^;)
『平家物語』が史実を記した歴史書ではないと知った時から、何でもまず疑う癖がついてしまいまして…。特に清盛死去のくだりは普通ではありえない描写の連続ですので、焼け落ちた大仏と対比して書いたのでは?という気がしてならなかったものですから、今回いろいろ調べてみる気になったのですよ。

想夫恋シリーズもそうでしたが、基本的にどうも腰が重いもので(汗)、何かきっかけがないと中々取り掛かれない所が悩みですね (^_^;)
Commented by 手鞠 at 2006-10-20 12:59 x
えりかさん、こんにちは~♪
おっしゃる通り、結論としては清盛の死因は「わからない」が正解ですね。
マラリアの可能性も100%ないわけではないし、もしかすると兼実の「頭風」も平家側がわざと流したガセネタに踊らされたということも…(まあそこまでの知恵者が平家にいればあんな簡単に滅びはしなかったでしょうけど…)。

定家の情報元が八条院周辺という可能性は十分ありえるでしょうね。その場合、頼盛辺りが漏らしたことになるのかしら?
あそこもいわば反平家の巣窟ですから、清盛が仏罰で死んだと巷に流布させて庶民の不安を煽り、打倒平家の機運を高めようと画策したとしても不思議ではないですしね。

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