長崎珍道中記 vol.9 - 長崎事始め
さて、伯母宅で一泊して迎えるはいよいよ長崎滞在最終日。
午前中はまた市内観光をということになりましたが、何しろ夕刻までに北九州へたどりつけないといけないので(船が出るぞ~)、あまり時間もないことですし、お土産購入も兼ねて定番中の定番スポットへいざ Ready Go!
グラバー園に行くつもりで、四海楼そばの駐車場に車を入れて外へ出てみると、なぜか反対の海岸方向へ歩いて行く伯母達。よくわからないままとりあえず後を着いて行くと、こんな所に行き当たりました。
ナガサキ ピース ミュージアム
1987年から今年までおよそ20年にわたり、毎年8月に平和祈念コンサートを行ってきた歌手・さだまさしさんの「長崎に平和発信ミュージアムをつくろう」という呼びかけにより、NPO法人「ナガサキ ピースフィア 貝の火運動」の募金活動で2003年4月に完成したホールだそうです。
館内にはコンサートの写真や記事が多数展示されていて、ビデオも流されていました。
私は特にさださんのファンというわけでもなく、このコンサートもテレビで何度か見かけた記憶はあるけど…くらいですので、あまり大した感慨もありませんでしたが(汗)、思い入れの強い方には一種の聖地みたいな場所なのでしょうね。
入場無料でしたが、入館料代わりにほんのわずかばかり寄付をしたら、記念にと「戦争ほうき」なるバッジや演奏旅行機材運搬車のチョロQをいただきました。
さて、ここからまた山側に戻り、長い上り坂をえっちらおっちらと登って大浦天主堂に。
教会の内部は以前に見ているので、今回は外観だけの見学でスルー。
このまま右に折れて少し行くとグラバー園の入口になります。
グラバー園 は国指定重要文化財の「グラバー邸」を中心に、市内に点在していた6つの明治期の洋館を一箇所にまとめて移築復元したものです。園内は広大で、かなりの高低差もあるので、一巡りするのにも結構な体力がいりますが、「動く歩道」や車椅子用の「モノレール」など設置されて、バリアフリー化が進行中。
その「動く歩道」はエスカレーターとは違い、足許はベルトコンベアに乗っかっている状態でずっと斜めに進むので、どうしても重心が後ろに行きがちで、手すりにつかまっていないと後ろ向きにひっくり返りそうな怖さもありますが、それでも、ほとんど歩かずに頂上まで行き着けるのはやはり助かりますね。
最上部にある「旧三菱ドッグハウス」からの眺め。
さすがに「動く歩道」を2つ乗り継いで来ただけに、抜群の見晴らしの良さです。
オペラ「マダムバタフライ(蝶々夫人)」を2000回以上も演じたプリマドンナ・三浦環の像(画像をクリックすると拡大表示できます)。
原作小説の蝶々夫人のモデルは、実はグラバー夫人のツルではないかといわれ、ここグラバー園は蝶々夫人ゆかりの地としても知られているそうです(実際のツルさんは、終生、愛妻家の夫グラバー氏と共にそれは裕福に暮らしていたそうなのですが…)。
お馴染み「グラバー邸」。
1863年に建てられた日本で最も古い西洋風建築として知られ、国の重要文化財に指定されています。
テーブルの上の料理は150年前の西洋料理を再現したものです。
トーマス・ブレーク・グラバー( Thomas Blake Glaver:1838~1911)氏の銅像(画像をクリックすると拡大表示できます)
スコットランドの出身で、開港まもない頃に長崎にやって来て、わずか2年の間にグラバー商会を設立。薩摩、長州、土佐といった討幕派に武器や船舶などの軍需品を供給して支援したり、日本初の蒸気機関車アイアン・デューク号を走らせたり、高島炭鉱の開発にも着手しますが、維新後、諸藩からの売掛金回収が滞り倒産。
その後、岩崎弥太郎率いる三菱商会に招かれ、晩年は妻ツルと共に東京へ移住。外国人としては初めて勲二等旭日重光章も授与されたそうです。
長崎伝統芸能館
長崎市内にある諏訪神社にて行われる祭礼行事「長崎くんち」を紹介する施設で、これもグラバー園内にあります。
奉納踊りを先導する傘鉾
龍踊りの白龍と青龍
時間的な問題もあり、およそ1時間ほどでグラバー園の見学も切り上げ、大浦天主堂前界隈の土産物店をしばらく物色して駐車場へ戻ったのですが、その坂道の傍ら、アクセサリーショップと自販機に挟まれるように、窮屈そうに立っていたのがこの「ボウリング日本発祥地」の碑(画像をクリックすると拡大表示できます)。
さらに下って、長崎ちゃんぽんの生みの親として知られる老舗中華料理店「四海楼」のすぐ前にも、やはり「ボウリング発祥の地」の石碑がありました。
日本最初の英字新聞であり初の近代活版新聞である『ザ・ナガサキ・ショッピング・リスト・アンド・アドバタイザー』に文久元年(1861)6月22日の日付で「インターナショナル・ボウリング・サロン」の新装開店の広告が掲載されたことから、昭和47年に6月22日が「ボウリングの日」と制定されたそうです。
その後、元治元年(1864)に横浜で、明治2年4月20日に神戸でもオープンしていて、それぞれに「ボウリング発祥の地」の碑があるそうですが、あくまでもここ長崎が本家本元のようで… (^_^;)
他にも「国際電信発祥の地」とか、先述の蒸気機関車アイアン・デューク号により「鉄道発祥の地」とか、さすがにどこよりも早く外国に開かれていた町だけのことはありますね。
☆Next → 長崎珍道中記 vol.10 - 和布刈&門司
☆Back → 長崎珍道中記 vol.8 - 長崎歴史めぐり
午前中はまた市内観光をということになりましたが、何しろ夕刻までに北九州へたどりつけないといけないので(船が出るぞ~)、あまり時間もないことですし、お土産購入も兼ねて定番中の定番スポットへいざ Ready Go!
グラバー園に行くつもりで、四海楼そばの駐車場に車を入れて外へ出てみると、なぜか反対の海岸方向へ歩いて行く伯母達。よくわからないままとりあえず後を着いて行くと、こんな所に行き当たりました。
ナガサキ ピース ミュージアム
1987年から今年までおよそ20年にわたり、毎年8月に平和祈念コンサートを行ってきた歌手・さだまさしさんの「長崎に平和発信ミュージアムをつくろう」という呼びかけにより、NPO法人「ナガサキ ピースフィア 貝の火運動」の募金活動で2003年4月に完成したホールだそうです。
館内にはコンサートの写真や記事が多数展示されていて、ビデオも流されていました。
私は特にさださんのファンというわけでもなく、このコンサートもテレビで何度か見かけた記憶はあるけど…くらいですので、あまり大した感慨もありませんでしたが(汗)、思い入れの強い方には一種の聖地みたいな場所なのでしょうね。
入場無料でしたが、入館料代わりにほんのわずかばかり寄付をしたら、記念にと「戦争ほうき」なるバッジや演奏旅行機材運搬車のチョロQをいただきました。
さて、ここからまた山側に戻り、長い上り坂をえっちらおっちらと登って大浦天主堂に。
教会の内部は以前に見ているので、今回は外観だけの見学でスルー。
このまま右に折れて少し行くとグラバー園の入口になります。
グラバー園 は国指定重要文化財の「グラバー邸」を中心に、市内に点在していた6つの明治期の洋館を一箇所にまとめて移築復元したものです。園内は広大で、かなりの高低差もあるので、一巡りするのにも結構な体力がいりますが、「動く歩道」や車椅子用の「モノレール」など設置されて、バリアフリー化が進行中。
その「動く歩道」はエスカレーターとは違い、足許はベルトコンベアに乗っかっている状態でずっと斜めに進むので、どうしても重心が後ろに行きがちで、手すりにつかまっていないと後ろ向きにひっくり返りそうな怖さもありますが、それでも、ほとんど歩かずに頂上まで行き着けるのはやはり助かりますね。
さすがに「動く歩道」を2つ乗り継いで来ただけに、抜群の見晴らしの良さです。
オペラ「マダムバタフライ(蝶々夫人)」を2000回以上も演じたプリマドンナ・三浦環の像(画像をクリックすると拡大表示できます)。
原作小説の蝶々夫人のモデルは、実はグラバー夫人のツルではないかといわれ、ここグラバー園は蝶々夫人ゆかりの地としても知られているそうです(実際のツルさんは、終生、愛妻家の夫グラバー氏と共にそれは裕福に暮らしていたそうなのですが…)。
1863年に建てられた日本で最も古い西洋風建築として知られ、国の重要文化財に指定されています。
トーマス・ブレーク・グラバー( Thomas Blake Glaver:1838~1911)氏の銅像(画像をクリックすると拡大表示できます)
スコットランドの出身で、開港まもない頃に長崎にやって来て、わずか2年の間にグラバー商会を設立。薩摩、長州、土佐といった討幕派に武器や船舶などの軍需品を供給して支援したり、日本初の蒸気機関車アイアン・デューク号を走らせたり、高島炭鉱の開発にも着手しますが、維新後、諸藩からの売掛金回収が滞り倒産。
その後、岩崎弥太郎率いる三菱商会に招かれ、晩年は妻ツルと共に東京へ移住。外国人としては初めて勲二等旭日重光章も授与されたそうです。
長崎伝統芸能館
長崎市内にある諏訪神社にて行われる祭礼行事「長崎くんち」を紹介する施設で、これもグラバー園内にあります。
時間的な問題もあり、およそ1時間ほどでグラバー園の見学も切り上げ、大浦天主堂前界隈の土産物店をしばらく物色して駐車場へ戻ったのですが、その坂道の傍ら、アクセサリーショップと自販機に挟まれるように、窮屈そうに立っていたのがこの「ボウリング日本発祥地」の碑(画像をクリックすると拡大表示できます)。
さらに下って、長崎ちゃんぽんの生みの親として知られる老舗中華料理店「四海楼」のすぐ前にも、やはり「ボウリング発祥の地」の石碑がありました。
日本最初の英字新聞であり初の近代活版新聞である『ザ・ナガサキ・ショッピング・リスト・アンド・アドバタイザー』に文久元年(1861)6月22日の日付で「インターナショナル・ボウリング・サロン」の新装開店の広告が掲載されたことから、昭和47年に6月22日が「ボウリングの日」と制定されたそうです。
その後、元治元年(1864)に横浜で、明治2年4月20日に神戸でもオープンしていて、それぞれに「ボウリング発祥の地」の碑があるそうですが、あくまでもここ長崎が本家本元のようで… (^_^;)
他にも「国際電信発祥の地」とか、先述の蒸気機関車アイアン・デューク号により「鉄道発祥の地」とか、さすがにどこよりも早く外国に開かれていた町だけのことはありますね。
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by kiratemari
| 2006-09-11 19:29
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