愛し君に出会う旅 vol.5- 木津

奈良を後にして、向かうは重衡終焉の地・木津。
木津駅はJR奈良線・京都行きで2つ目の駅になります(快速では1駅目)。
関西本線・奈良線・学研都市線の3つの路線が集まるターミナル駅ながら、周囲の景色はグッとローカルな感じに。乗降客にもおよそ観光客らしき姿はなく、ごく普通の日常が営まれるありきたりな住宅街の風景です。



 
さて、目指す安福寺は木津駅の北側・木津川の手前に位置しますが、先に申し上げておくと道標の類は一切ございません。駅に簡単な周辺地図が掲示されていて「平重衡の墓」「安福寺」と明記はされているものの、本当に大まかすぎて、まるで駅前から一本道のように見えるのですが、実際のルートは次の地図にある通り、途中で二手に分かれます(青の線が道筋です)。
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まず、駅の改札口を出てすぐ右へ。程なく突き当たりになり左右に道が分かれます。
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方向感覚に自信のない方は ← 左 へ進むのが懸命でしょう。
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すぐに上の写真の幅の広い車道に出ますので、それを右に折れて、後はまっすぐ突き当たりまで行き、再び右に折れて(小さく見える青い道路標識で「加茂」と書いてある方向)、JRのガードをくぐればすぐそこ。まず道に迷うことはないと思います。

c0057946_11322034.jpg対する右側のルートは終始幅の狭い路地道を行くことになり、右の写真のJRのガードをくぐり抜けて、住宅街に入り込んだと思ったら、急に目の前に田園風景が広がったりしますから、「これで間違いないの?」とちょっと心配になるかもしれません。

というのも、5年前に初めてこの地を訪れた時に通ったのがまさにこの右ルートで、そういう不安を抱きながら歩いたものですから…(汗)。

しかし、当時もある程度下調べをして行って、その上でこのルートを選んだはずなのですよ。ですから、あるいは左ルートの車道は当時は存在せず、ここ最近にできた新しい道なのかもしれません(そういえば、まだ造成が不十分のように見られた地点もちらほら?)。

ということで、今回は往路は昔の記憶をたどりつつ右ルートで、復路は左ルートを通ることにして、いざ出発!

背の高くない私でも頭の上がちょっと気になるほどの低いJRのガードをくぐり、一つめの角を左に折れてしばらく行くと交差点に出ますが、ここは構わず道なりにまっすぐ進みます。
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やがて「上津町」の道しるべが現れ、その先に見える線路を越えて、またまっすぐ行くと広い車道へと行き当たります(駅からここまでおよそ15分くらい)。


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そこでパッと目に入る生い茂る緑。右下に小さく鳥居が写っていますように、こちらは橘諸兄が創建したと言われる御霊神社(ごりょうじんじゃ)。
目的地の安福寺は左側の方へ少し歩いた所ですので、どうぞお間違えなく。

ということで、ようやく安福寺に到着!
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この安福寺は通常一般人は拝観のできない非公開寺院なのですが、門戸は開放されていて、入ってすぐ左手(勝手口の真横)にある重衡の墓は出入り自由です。

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「平重衡卿之墓」の立て札の先に立つのは十三重石塔。
立派な構えからしてこの供養塔がお墓ってことでしょうね。また、その背後に写っている低めの白壁のすぐ前にも小さな石仏や塔が並んでいます。

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ここ安福寺は、別称「哀堂(あわんどう)」とも呼ばれ、木津川畔で処刑された重衡の菩提を弔うために建てられたものといわれ、本尊の阿弥陀如来像も重衡生害のときの引導仏と伝えられています。

「~仏を拝み奉って斬らればやと思ふは、いかがせんずる。あまりに罪ふかうおぼゆるに」と宣へば、知時、「やすい御事候や」とて、守護の武士に申しあはせ、そのへんにおはしける仏を一体迎え奉って出きたり。幸に阿弥陀にてぞましましける。河原のいさごの上に立て参らせ、やがて知時が狩衣の袖のくくりをといて、仏の御手にかけ、中将にひかへさせ奉る。    ~『平家物語』巻十一「重衡被斬」より ~

重衡の最期に立ち会うべく、木津までやって来たかつての従者・木工右馬允知時(もくうまのじょう・ともとき)は、重衡の「仏を拝んで死にたい…」との願いを聞き、その辺りの寺院を探し回って見つけてきた阿弥陀仏を今まさに処刑されんとする重衡の前に据え、自らの狩衣の袖の括り紐を解いて、その一方を仏像の手に掛け、もう一方の端を重衡に握らせた…という逸話に出てくる仏像を本尊にしたということでしょう。

ただ、その阿弥陀仏の元々あった寺が安福寺(またはその前身)だったのか、どこかの廃寺に転がっていたものを拾ってきただけで、重衡鎮魂のため新たに寺を建てるにあたりそれを本尊にしたのか…、そこのところはよくわかりません。

いずれにせよ、重衡追悼のために建てられたという由緒に従い、ここ安福寺では、毎年、重衡の命日にあたる6月23日には追善供養が営まれ、十三重石塔に立てかけられた塔婆に記される「821回忌」とは昨年のこと、来月には「822回忌」を迎えることとなります。

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なお、現在境内に並び立つ大小2つの御堂はいずれも見るからに新しく、残念ながら昔日の面影を偲ぶことはできません(確か以前来た時は改修工事中でした)。
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先述のとおり非公開寺院につき、ただ外から眺めることしかできず、よって本尊の阿弥陀様を拝むことはできませんでした。

ということで、重衡殿の墓参はつつがなく果たすことができましたが、ここまで来たらあと一つ、是非とも立ち寄っておきたい場所があります。実は前回訪ね忘れてのリベンジ。

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安福寺の門外へ出て右手にあるJRのガードをくぐり、最初の角を右に折れて民家の立ち並ぶ中をまっすぐに進みます(右に折れる道に何度か行き会いますが構わずまっすぐに)。
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突き当たりは木津川の土手になりますが、その前の道を右に折れた行き止まりにあるのが通称「首洗池(くびあらいいけ)」と「不成柿(ならずがき)」です。
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柿の木は上の写真ですぐにおわかりになると思いますが、首洗池はその柿の木のすぐ右横の背の低い茂みの辺りかと思われます。

ちょっと曖昧な書き方ですが、実はこの場所にやってくるや、お隣の敷地の番犬くんが突進してきて、やたらと吠え立てられまして、ちょっとでも柿の木に近づこうものなら飛び掛らんばかりの威嚇行動。

「どうしたものか…」と困っていたところ(犬は過去に飼っていた経験もあり特に怖くはなかったのですが、とにかく凄まじい声が辺り中に響いてご近所迷惑なのが…)、聞きつけた飼い主らしき方が現れ、そうしたら途端になぜか番犬くんは左側の土手めがけて逃走。

c0057946_19204886.jpgその隙に急ぎ近づいて立て札や石碑の写真を撮ったのですが、やっぱり動揺していたのでしょうね。

柿の木ばかりに気を取られ、池の存在はすっかり抜け落ちてしまっていたらしいのです(汗)。

帰ってから「しまったー!」と思いましたが、後の祭りでした (~~;)

まあ、それはさておき、柿の木のそばにある立て札に謂れなどが書かれていましたので、一応その文面を載せておきますと、

平清盛の五男、平重衡は、治承4年(1180)12月28日、源氏に味方する東大寺・興福寺を焼き打ちしました。
その後、一ノ谷の戦いで源氏に敗れた重衡は、虜囚となって鎌倉の源頼朝のもとへ送られましたが、南都の衆徒の強い引き渡し要求に頼朝も折れ、元暦2年(1185)6月23日、木津の地まで送られてきました。南都の衆徒は、木津川の河原で、念仏を唱える重衡の首をはね、奈良の般若寺にさらしました。
その際、この池で首を洗い持参したと伝えられています。その後、重衡を哀れんだ土地の人々は柿の木を植えましたが一向に実のらず、このことから不成柿(ならずがき)と称せられています。
国鉄奈良線の東側にある安福寺には、重衡の引導仏といういわれをもつ阿弥陀如来を納めた哀堂(あわんどう)と十三重の供養塔があります。
   昭和53年3月  木津町教育委員会


処刑に臨む重衡が最後に食したものが柿で(時期的に干し柿でしょう)、それにちなんで彼の死後に地元の民が柿の木を植えたらしく、一部には重衡が食べたその柿の種から芽が出て、それが成長したものという説もあるようです(うちのさくらんぼの木みたい)。

しかし、この木には一向に実が成らず、その後も何度植え継いでもやはりダメで、そこから「不成柿」の称がついたらしいのですが、現在は…ちゃんと実も成るそうです(汗)。

というのも、奈良線(当時は国鉄)の開通や自然災害による近隣の土地整備に伴い、柿の木も首洗池も二度ほど場所が移転されており、今現在のものは、いずれも元々のものとは別物なのだそうです。柿の実の検分は秋でないとできませんし、首洗池の再リベンジも含め、次の機会は秋に訪ねてみなくてはなりませんね(しかし番犬くん対策もしないと…)。


こうして木津での任務はとりあえず終了。
なお、安福寺の前の道路を西へ行けば「和泉式部の墓」もあり、少し惹かれるものもあったのですが、地図を見る限り、木津駅-安福寺間と同じくらいかそれ以上の距離があるようでしたので、残り時間と体力面を考慮して今回はパスすることにしました。

といっても、「みやこ路快速」は30分置きにしかなくて、このまま戻っても発車直後ぐらいになりそうで(実際駅前に着くや発車する電車を見送る羽目に…)、その次の電車まで30分近く待たなくてはならないので、時間的にはギリギリ行って来れなくもなさそうではあったのですけど、要は体力に自信がなかったわけで… (^^;)

やむなく(?)電車の待ち時間は駅前のイートイン・コーナーのあるパン屋さんで、パイシューを頬張りつつ小休憩。既に2時半を回り、次の日野ではお茶する時間も場所もないとの予想が立っていましたので、ここで最後の燃料補給を(爆)。

そして、14:46発の電車に乗り込み、車窓を流れる木津川の風景に重衡殿の最期を偲んだり(下の写真は電車の窓越しに撮影した木津川)、

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宇治川の急流に橋合戦や先陣争いを思い浮かべたりしつつ電車に揺られること約30分。降り立った駅は「六地蔵」。

最終目的地の日野はもうすぐそこです。



☆Next → 愛し君に出会う旅 vol.6- 日野

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by kiratemari | 2006-05-14 21:37 | Trackback(1) | Comments(0)
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