想夫恋・小督―vol.4 小督説話・誕生秘話?

魔性の女(?)小督をめぐる二人の男性のうち、前回 は高倉天皇を取り上げましたが、今回は残るもう一人 冷泉大納言 藤原隆房 をフィーチャー。
もし彼がいなければ、この「小督」の物語は世に出ることがなかったかも…というお話など…。



 
冷泉大納言 藤原隆房。
まず、この「冷泉」の称は彼の邸宅・冷泉万里小路第に由来するものですが、後に、その館は九条兼実に貸与して、自らは四条大宮の別邸に引き移ったことから、その子孫は「四条」の家号を称するようになります。

さて、隆房は、鳥羽院政期に法皇随一の権臣として鳴らした中納言・藤原家成を祖父に、その地盤を受け継いでさらに権大納言へと進んだ隆季を父に持ち、自らも源平争乱の嵐吹き荒れる混迷期に、その巧みな処世術で生き残りを図り、後の四条家(公爵家)へと繋がる基礎を築いたいわゆる勝ち組公卿。

権勢欲に魅入られ、鹿谷の政変を引き起こして非業の死を遂げた権大納言・藤原成親は叔父に当たりますが、政界遊泳においては隆季・隆房父子の方が二枚も三枚も上手だったようです。

一方、母方へ目を転じてみますと、彼の実母は藤原忠隆の娘。
平治の乱の張本・藤原信頼や元陸奥守・藤原基成らが伯父(叔父?)、摂政近衛基実の前妻も叔母に当たることから、その縁により、関白・近衛基通や奥州藤原氏四代目藤原泰衡の母とも従兄弟の関係になり、父方の維盛正妻や成経なども含めて、当時の有名どころと、意外にも多くの血縁関係を持つ人物でもあります。

さて、彼の正妻は『平家物語』にもある通り平清盛の娘。
両家は元々、祖父家成と平家のゴッドマザー・池禅尼(藤原宗子)が従兄妹同士という縁に始まって、持ちつ持たれつの友好関係を保っていましたが、その路線は隆季の代にも継承され、そうした流れに沿っての自然な成り行きで結び合わされた婚姻だったのでしょう。(詳細は本サイトの「こちら」を参照のこと)
ですが、ほんの少し角度を変えて見てみると、ちょっと気になる点も出て来たりします。

vol.2 では、平家の婿になり損ねた(?)小督の父成範のお話をしましたが、隆房に嫁いだ清盛の娘も、実は、隆房との縁組以前に別の人物と婚約していました。その人の名は藤原信親。といっても、これだけでは誰だかわからないかもしれませんが、信親の父親はあの信頼。保元の乱後、信西・信頼の実質二頭体制になると、清盛は両者それぞれと姻戚関係を結び、自らの保身を図ろうとしたのですが、続く平治の乱で双方共倒れとなり、結局二つの縁組もいずれもご破算に。

そこで、成範の相手は花山院兼雅に再嫁して嫡妻となり、信親の相手は(当時二人とも10歳に満たない少年少女だったので婚約のみと見るべきか?)改めて隆房の許へ嫁ぐことになったわけですが、先にも触れた通り、隆房と信親は母方から見ると従兄弟の関係に当たりましたから、もしかすると、一旦は縁談がまとまっていたのが壊れ、名目上バツイチ(?)に分類される曰く付きの娘の新たな伴侶としては、前夫(?)と血縁のある隆房が最適だったのかもしれません(「替りに引き取ってくれ!」という感じで)。

男女関係も現代と違ってかなり大らかだったといわれるこの当時、バツイチとかそういうこだわりが、どの程度、人の心に引っ掛かりを与えるものだったかはよくわかりませんが、花山院兼雅の「古女拾い(ふるめひろい)」が殊更語り継がれるほどのエピソードになっている所を見ると、世間的には珍しいこと=従来はどこか世間体の悪いイメージもあったのではないでしょうか。

それはさておき、隆房に嫁した清盛の娘は、彼女の産んだ子隆衡が嫡流を継いでいることから、平家が滅亡した後に至っても、隆房の正妻として遇されていたことに疑いはなく、実際、隆房は終生平家贔屓の立場を貫いた公卿としても知られています。

自著『安元御賀記』(『群書類従』雑部 巻529 )では、後白河法皇の五十の賀の祝宴(50歳のいわゆる誕生パーティー)での平維盛の華麗な舞姿などを書き留め、平家一門の輝かしい栄華の日々を綴った『平家公達草紙』もまた隆房の編纂によるものと目されています。

そして、もう一編、隆房の筆によるものと伝えられるものに、家集『艶詞』(つやことば:『群書類従』雑部 巻480 )があります。【後に絵巻化された「紙本白描隆房卿艶詞絵巻」の画像は 文化遺産オンライン にて見ることができます】

ある後宮女房との恋の顛末、彼女に対する尽きせぬ想いを綿々と書き綴った恋歌の歌集で、別名「恋盡」(恋つくし)とも呼ばれていたこの書には、相手の後宮女房が誰かは明示されていないものの、そこに所収の和歌のうち、

  「思ひかね 心は空に みちのくの 千賀の塩釜 近きかひなし」
  「たまづさを 今は手にだに 取らじとや さこそ心に 思ひすつとも」

と上記の二首が『平家物語』巻6「小督」にそのまま転載されていることから見ても(「延慶本」ではさらに一首増えて三首)、小督説話自体がこの『艶詞』を基にして作られたのは確かなことで、二人の艶聞は当時から誰知らぬ者のない公然のものだったということでしょう。

その関係がいつ頃始まったものかは定かではないものの、高倉天皇の寵愛を受けるようになると、途端に冷たくあしらわれるようになったとの隆房の言を信用するなら、少なくとも範子内親王が誕生する前年の安元2年(1176)よりも前、およそ小督18歳、隆房28歳前後の頃との推測が立ちます。ちなみに、その頃の高倉天皇は15歳前後になりますから、そろそろ女性を意識し始めるお年頃。隆房との恋に心ときめかせ色香の増した小督がそばにいて、気にするなという方が無理な話でしょうね…(汗)。

時の天皇が相手では、一廷臣に過ぎない隆房になす術などあるはずもありませんでしたが、それでもどうにも諦めきれずに、彼女を付回して恋文を送ったりしたものの、つれない仕打ちを受けて、涙ながらに書き綴った「失恋手記」。
しかし、そんな隆房の未練によって、小督と高倉天皇の悲恋話が世に送り出されたかと思うと、何やら皮肉めいたものも感じずにはいられません。

とはいえ、狂おしいまでの情念を小督に傾けたと思われる隆房も、史実をちょいと紐解いてみると…、どうやら、ただ恋にのみ生きた愚者ではなかったようなのですよね (^_^;)

権門の子弟らしく順調に進んでいた彼の官途は、仁安元年(1166)6月に右近衛少将に任じられて以後、治承3年(1179)11月に右近衛中将に昇進するまで、およそ13年余りも少将に留まったままでした。

これについては、小督との恋愛沙汰に絡み、恋敵の高倉天皇もしくは、妻の実家である平家一門から疎まれたためとする説がありますが、一方で、この間にも位階の方は、27歳までに正四位下まで進んでいることから、むしろ目覚しい躍進と見る向きもあります。考えてみれば、当時の花形職は軒並み平家の公達で占められていましたから、とても隆房にまでお鉢が回って来なかったというのも十分ありえそうな話です。

しかし、平家の婿という立場は、平家全盛の時代には有効でも、彼らが都を追われてしまえば、却って致命的なウィークポイントになりそうなもの。ところが、こと隆房に関しては、平家都落ちの後も何ら支障を来たすことなく、むしろ、上位者だった平家公達が一掃されたことで、難なく参議=公卿への昇進も果たしてしまっています。

これにはもちろん裏もあって、隆房は清盛の娘という正妻がありながら、その一方では、後白河院の寵臣・高階泰経の娘も新たに正妻として迎えていたのでした。元々、祖父の家成が鳥羽法皇の近臣として実力をつけたのに習い、後白河院の近臣だった父隆季と共に、同じく院の近臣の列に連なっていた隆房は、「平家」と「院」と宮廷における二大陣営のいずれにも組しながら、しかし、双方ともどっぷりと浸りきることなく、常に良い所取りをして来た知恵者の側面も持っていたと言えましょう。

それでも、平家の人々に対する思い入れも決して捨てはしない…、そこがまた隆房という人物の面白さでもあるのですよね。
一ノ谷の合戦で生け捕られた平重衡や壇ノ浦から帰還した建礼門院のために、自家の所有する八条堀川の御堂を宿所として提供したり、出家後の女院にも物心両面から援助を行ったりと、朝廷も鎌倉方の顔色を伺う微妙な時期にも、平家との縁を断ち切るどころか、進んでそれを世に示してもいる…。

もちろん、それだけ法皇の信頼も厚く、自らの身が危うくなることは絶対にないとの強い自信があってこそ取れた行動でしょうが、とはいえ、単なる軟弱貴族にはちょっと真似のできない芸当。
「小督」ではどうもそのダメっぷりが強調されている隆房も、その実体は、大した漢(おとこ)だったのかもしれませんね。



さて、お次は謡曲「小督」では主役を張るあの人物の話など…。
vol.5 へと続きます。
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by kiratemari | 2006-02-04 22:41 | 歴史語り | Trackback | Comments(2)
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Commented by ともp at 2006-02-06 14:04 x
手鞠様、こんにちは。
ついに隆房の登場ですね。「待ってました!」と、声をかけたい気分です。
前にも申し上げましたが、私はこの隆房が大好きなのです。
確かに小督をめぐる物語では、情けない振られ男ですが、そこもご愛嬌というか、可愛げのある男というか…。
とにかくこの人のおかげで、今の天皇家に清盛の血が受け継がれたのですから、それだけでも功績大だと思うのですが、親平家派であることを隠しもせず、強かに宮中を泳ぎわたったところなど、本当に大したものだと思うのです。できれば、そのコツを聞いてみたいです(後白河法皇の信頼があつかったことから、ひょっとして…と思わないでもないのですが…。それでも親平家派を貫いたことはすごいと思うのです)。

次回はあの方ですね。楽しみにしております。
Commented by 手鞠 at 2006-02-07 00:09 x
ともpさま、こんばんは~♪
隆房殿、私もファンになってしまったようです(笑)。知れば知るほど、本当、奥深い人物で…。次にこの時代をドラマ化という時には、是非この隆房も登場させて欲しいですね。
法皇様との間に、○○関係(?)があったという話はさすがに聞きませんが(汗)、維盛同様、舞姿を誉め讃える記録が残っているようですからね。
そっち方面の触手が動きやすい素養は十分にあったかもしれませんね(爆)。

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