想夫恋・小督―vol.3 若き帝王の素顔

小督をめぐる男性のうち、まずは高倉天皇をフィーチャー。
『平家物語』では、実に楚々とした手弱女のような(?)か弱い聖人君主も、ちょいと一皮向けば… (^^;)



 
高倉天皇は後白河院の第6皇子で、母は建春門院平滋子。
平清盛の正室時子や「平関白」の異名をとった平時忠は彼の伯母・伯父に当たり、その後ろ盾もあって、第3皇子の以仁王などを押しのけて、仁安3年(1168)2月11日にわずか8歳で天皇に践祚し、承安元年(1171)12月には従姉弟に当たる平徳子が入内しています。

といっても、その当時は高倉天皇もまだ11歳でしたから、17歳(『平家物語』では15歳になってますが)で完全な「姉さん女房」の徳子との間柄は、夫婦というよりも、姉弟に近いものだったと言わざるをえないでしょう。

さて、その高倉天皇が初めて父となったのは、安元2年(1176)16歳の春。
相手は帥局(そちのつぼね)こと藤原公重の娘でしたが、この女性は実は高倉天皇の乳母(年齢も30歳過ぎだったとか)。当時の乳母は時に性の手ほどき役も担っていましたから、それがつい度を越して、思いがけず懐妊という事態になってしまったのでしょうね。

彼女の生んだ第一皇女・功子(くにこ)内親王は、治承元年(1177)10月27日にわずか2歳で伊勢斎宮に卜定されましたが(『玉葉』同日条)、2年後の治承3年(1179)1月11日には母帥局の死去に伴い退下しています。

そして2人目の子が Vol.2 でもご紹介した通り、小督の生んだ範子内親王なります。生後まもなく中宮徳子の猶子となったことも既に触れましたが、実際に養育に当たったのは前治部卿・藤原光隆(『山槐記』治承2年6月17日条)。どこかで聞き覚えのある名前ですよね。そう、木曽義仲から「猫殿」と呼ばれていたあのお方です(笑)。

範子内親王は治承2年(1178)5月27日に賀茂斎院に卜定されていますが、父高倉院の崩御により治承5年(1181)1月14日をもって任期を満了。その後しばらくは、光隆の邸宅を御所としていたことから「猫間斎院」とも呼ばれていたようです。

終生未婚を通した範子内親王ですが、時代を少し下がって建久6年(1195)10月に異母弟後鳥羽天皇の准后とされたのを皮切りに、同年11月にはその第一皇子・為仁の養母とされ、その為仁がやがて建久9年(1198)1月11日に践祚して土御門天皇となると、養母の資格により未婚のまま皇后に冊立と、折りしも、京と鎌倉で政治的な駆け引きが熾烈を極めた最中に、否応なく表舞台へと引っ張り出されることにもなります。そうして、建永元年(1206)9月には「坊門院」の号をもって「女院」に列せられるに至りますが、承元4年(1210)4月12日に34歳の若さで急逝しています。


再び高倉天皇の話に戻しましょう。
『平家物語』によれば、小督との別離を気に病んで、その後、すぐにも亡くなったような印象を抱かせますが、史実の方を見てみると、いや~、この後がもうスゴいのなんのって… (^_^;)

小督が範子内親王を生んだその翌年の治承2年(1178)11月12日、中宮徳子に平家待望の皇太子・言仁親王(後の安徳天皇)が誕生していますが、ここから内裏は空前の出産ラッシュを迎えることになります。

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  安元 2年(1176)  春頃  功子 (藤原公重女=帥局)
  治承元年(1177) 11. 6 範子 (藤原成範女=小督局)
  治承 2年(1178) 11.12 言仁=安徳天皇(平清盛女=建礼門院徳子)
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  治承 3年(1179)  2.18 守貞=後高倉院 (藤原信隆女=七条院殖子)
               4.11 惟明 (平義範女=少将局)
               4.18 潔子 (藤原頼定女=按察典侍)
  治承 4年(1180)  7.14 尊成=後鳥羽天皇(守貞親王と同・七条院殖子)
 ----------------------------------------------------------

以上7人の皇子女は、いずれも何を隠そう高倉天皇のお子様達なのですが、治承3年なんてよく見ると、わずか2ヶ月の間に何と三人も! しかも4月のお二人にいたっては一週間違いですよ。もうちょっとで母親違いの双子誕生!なんて快挙が生まれていたかも…(爆) <そういうのは双子とは言わないって!

そもそも、ここに挙げたのはあくまでも懐妊した女性達のみですから、天皇が実際に手をつけた女性の数はこれ以上であることは確定事項!
どこからどう見ても、とても虚弱体質だったとは思えない精力ぶりには、もはや唖然とするばかりです(汗)。

とはいえ、こうした未だかつてない出産ラッシュも、ある方面では非常に喜ばしいことだったようで、『山槐記』の著者・中山忠親は「近年は人材不足で、伊勢斎宮・賀茂斎院のいない困った状態が続いていたが、ここへ来て、皇女が相次いで誕生して斎王も復活できた。これはひとえに神の思し召しだろう」(思いっきり意訳です)との祝辞をのたまっています(『山槐記』治承2年6月27日条)。
いや、もちろん半分は女色に溺れる帝への皮肉でしょうけど…(汗)。

それでも、実際、先代の六条天皇は2歳で即位→5歳で退位→13歳で崩御して結局子供を儲けることはできず、その前の二条天皇は23歳まで存命したものの、やはり皇子女は極少数でしたから、代替わりや両親の死去によってその任を解かれる斎王の性質上、短期間に目まぐるしく天皇交代が行われ、その度に新任を選ぶとなると、特に幼帝・少年帝の集中する院政期には、斎王の候補者不足は切実な問題だったかもしれません。

しかし、それにしても、小督説話の優しく儚げな高倉天皇をイメージしているところに、この子沢山で女性に節操のなかった現実を知ると…、さすがにちょっと幻滅してしまいますよね (^_^;)

でも、上の表をよくよく見てみると、乳母の帥局はともかく(あれは一種の事故でしょうから)、彼が異常なまでに女色に溺れるようになったのは、どうやら小督が去って以後のことと言えそうです。初めて心から想いを寄せた人との別離が、あるいは、恋に一途だった彼の人格をも変えてしまったのか…(ちょっとメロドラマみたいですけど)。

さらに、平家の期待を担う徳子がついに懐妊したことで「義務は果たした!」との思いから、理性の箍(たが)がはずれてしまったということもあるかもしれませんね。恐らくは「徳子が懐妊するまでは…」との周囲のプレッシャーも相当なものだったでしょうし、また、思春期を経て大人の男性へと変貌する時期において、天皇という最高の位に就きながら、実際は、お飾りに祭り上げられていることに、強い虚無感を覚えるようになっていたとの想像も働かせられます。

とはいえ、高倉天皇の崩御は治承5年(1181)1月14日(享年21歳)のことで、別れの時から既に3年も経っている小督との悲恋が、その死の直接の原因とするのはかなり無理があるでしょうが、しかし、もし小督が天皇の許を去ることなく、その後もずっとそばにいたなら…、これほど多くの女性達を相手にすることもなく、それこそ小督一筋に、精神的にもハリのある日々を送れて、少しは寿命も延びていた…ということはあるかもしれません。

たとえ間接的であっても、やはり小督を失った痛手が、何より高倉天皇の命を縮めた…、そう考えたくなるのは、少々センチメンタルが過ぎるでしょうか…。


さて、お次はもう一人のセンチメンタルなあの方のお話など…。
Vol.4 へと続きます。
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by kiratemari | 2006-02-03 19:36 | 歴史語り | Trackback(1) | Comments(6)
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Tracked from 古今チップス at 2006-04-06 11:57
タイトル : 歴史チップス(4月号栄光味)更新
 本日、歴史チップス(4月号栄光味)、 「史上最大! 超大富豪! 栄光は没落の始まりなり!   ~ 永久政権「朝廷」千八百年目の失墜! 承久の乱!! 」  更新。  図表などは追々追加します。  また、メルマガ「月刊・歴史チップス」に不備がありましたので、HPでは修正いたしました。御了承ください。  本文3  ×藤原秀郷 ⇒ ○藤原純友  本文5  ×北条朝時(義時の弟) ⇒ ○北条朝時(泰時の弟) ● 月刊・歴史チップス 栄光味 ●  http://www.ge...... more
Commented by えりか at 2006-02-03 21:39 x
 手鞠さん、今晩は♪

 小督の特集、楽しみに拝見させていただいています。定家が病気見舞いをした後すぐに亡くなってしまったのかなと思っていたのですが、80歳くらいまで生きていたという説もあるのですね。すご~い。

 さて、本日の高倉天皇について、興味深く読ませていただきました。わずか3年くらいの間に7人の子供を作るとは、お盛んだったのですね。
 でも、その原因が小督にあったという手鞠さんの説、うんうんと納得してしまいました。確かに小督がずっと高倉天皇のそばにいたら、彼もこれだけ子供を作ることはなかったでしょうね。そして、歴史も変わっていたかも…。それだけ小督は、天皇にとって大切な女性だったのだろうなと思います。そんな天皇の思いが人々の口から口へと伝えられ、あの「平家物語」の中にある悲恋物語になったのかもしれませんね。
Commented by 手鞠 at 2006-02-03 22:31 x
えりかさん、こんばんは~♪
小督が80歳まで生きたという説は、何しろ元ネタが「延慶本」なので(「仏教を信じて極楽往生!」の奨励本)、あまり信用が置けない気が…。面識のまるでなかったらしい定家まで見舞いに駆けつけたぐらいですから、この時既に重篤で、そのまま亡くなったと考える方がしっくりくるような気がします。

高倉天皇については、単純に史実だけを抜き出してみると、本当救いようのないお方ですけど(汗)、虚構の産物とはいえ『平家物語』が伝えるこの方の心情には、ある部分では、真実も投影されているのではないか?と思えるのですよね。まあ、そうあってほしいという願望が強いだけでしょうけど…。
Commented by bluecat at 2006-02-07 09:46
手鞠さま。
ひぇ~っ!あの若死にの高倉天皇、虚弱体質っぽいと思っていたのにずいぶんとお盛んだったんですねぇ・・・まさに種○!
ま、ご乱淫も命を縮める元といいますから、そのせいでしょうか、早くに崩御されたのは?!そうなったのも、小督とムリヤリ引き離された故と思えば、憐れではあります。
Commented by 手鞠 at 2006-02-07 19:46 x
bluecatさん、高倉天皇には私も「騙されたー!」と思いましたよ(笑)。
これじゃあ若死にも自業自得だろう…と。
しかし『平家物語』の夢も一遍に覚めるリアルな現実。実際は、小督も天皇のそういう所を嫌って離れて行ったのかも?とも思わなくはありませんが(汗)、それじゃあ、ロマンもへったくれもないので、なるべく好意的な解釈でまとめておきました(爆)。
Commented by tensai-dekopon at 2011-05-10 23:56 x
平家物語の皇室免罪符乱発振りは見ていて痛々しいレベルに達しております。
大体小督にそこまで寵愛が傾くならまた迎えれば良いだけの話でしょう。上皇なんだからある程度融通は利くし、どうせ生臭寺院だらけだったんですから弱みを握って還俗させるよう圧力をかける手もあります。
Commented by 手鞠 at 2011-05-11 22:48 x
tensai-dekopon さん、初めまして!
随分前の記事にコメントをいただきましたもので、拝見するのが遅くなり申し訳ありません。

平家物語の皇室免罪符乱発振り…ですか。
どうなんでしょう。このエピソードについては皇室云々よりも、とにかく平清盛の傲慢さを強調する意味合いの方が強いように感じられるので、自力ではどうにもできない無力な存在としてあえて描く必要があったのではないでしょうか。あくまでも鎌倉幕府や当時の朝廷の情勢に都合の良いストーリー展開でなければ、大っぴらに流布できないというような時代背景もあるでしょうし。

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