情けある漢!―『義経』vol.47「安宅の関」
さてさて、やって参りました「勧進帳」の巻!
いや~、47回目にして「初めてちゃんとしたお芝居が見られた!」という充足感。やはり演技というものは「受け手」が重要だと再認識させられました。
何といっても、あの弁慶が「ただの大根」から「偉大なる大根」に大変身ですからね(一応褒め言葉ですよ)。これはもう、ひとえに富樫殿のおかげと言うしかないでしょう。
しかしまあ、今回が「良かった!」と思えた要因はいくつか挙げられますが、まずは、あまり横道へは逸れず(巴再登場はありましたが)、ほぼ「勧進帳」一本に絞った構成だったことでしょう。
加えて、鎌倉サイドの露出が序盤に2分足らずと極少だったことも、不快指数上昇の軽減に大きく貢献してくれましたし(正直もうあのメンツは極力拝みたくない)、そのおかげで、ちょっと有り得ない巴さんの再登場シーンにもすんなりと見入ることができたのかも…。
ということで、先週のラストにようやく越前入りとなった義経主従は、今週は加賀国へ。で、ふと気がつけば…、弁慶殿が思いっきりロン毛になっているではありませんか!
先週分の録画を見直してみた所、京を出立する時点からラストまで終始いつもの坊主頭。この間半年ほど経過しているはずですが、この頃までは髪の毛のお手入れもできていたのですかね?
それにしても、越前-加賀間で一気に肩にかかるぐらいになっているのは、ちょっと伸び方が異様に早すぎやしませんかね(細かくてスミマセン)。
どうせなら、逃亡生活に入った吉野の頃から徐々に伸ばしていくふうにすれば、時間経過も表せて一石二鳥だったでしょうに…(鬘代がもったいないって?)。
それはさておき、雪が降りしきる寒空の下で侘しく野宿という所を、運良く一夜の宿を供された義経主従。本当は、ここまでに野宿に震える1コマとか、さらっとでも入れておいて欲しかったですけど(どうも悲惨度が激しく不足気味)。
で、その宿主の妻がかの巴御前だったというのは、毎度おなじみの御都合主義ながら、どん底を経験した彼女の何か付き物が落ちたような清々しさ、穏やかさがとても印象的で、意外にこれは素直に受け入れられました。
史実というより、伝承では義仲との別離の後、出家して死者の菩提を弔ったとも、鎌倉方に捕えられて和田義盛の側室となり朝比奈三郎義秀を生んだともいわれる巴ですが、今回のドラマのような落ち着き方も、救いがあって悪くないと思えました。
ただ、義高のことに全く触れなかったのはいただけません。義経も自分が守ると請け合っておきながら、結局は守れなかったのですから、詫びの一つも入れる然るべきでしょう。その上で巴が「仕方のないこと」と許せばそれで済む話ですし(あの巴ならそう言うと思いますよ)。それと蛇足ながら「もよ」って名前がね…。もうちょっとセンスの感じられるネーミングはできなかったものか…。
さて、その巴の証言も考慮して、白山ルートではなく安宅関突破を選んだ義経くんですが、関守の情に頼ろうとする所がまた彼らしいですね(汗)。
ところで、彼らが山伏に扮して逃避行を続けた理由の一つに、各関所で徴収される「関手(せきて)」と呼ばれる通行税を山伏は免除される特権を有していたことが挙げられます。
『義経記』にも、本物の山伏かどうかを見分けるために、関守がわざとこの「関手」を要求し、もしあっさりと払えば、そうした山伏の常識も知らぬ「偽山伏」といって、真偽を見極める判断材料にしようとしますが、もちろん弁慶はそのウソ発見器には引っ掛からず(笑)、「何時の習ひに羽黒山伏の関手なす法やある。例無き事は適ふまじき」と突っぱねて、疑いを晴らしたというエピソードがあります。
しかし、この山伏に扮するという妙案も、逆に、同じ山伏から不審を抱かれる危険性もはらんでおり、道中の行き交いで山伏と出会った場合は、越後国直江津までは「羽黒山伏の熊野参詣からの帰り」、それ以後は「熊野山伏の羽黒参詣の途中」と称することをあらかじめ取り決めています(安宅は直江津より西なので逆になっちゃってますけど…)。
という具合に、『義経記』は義経伝承の宝庫であるにも関わらず、実はそのままズバリ「安宅関」あるいは「勧進帳」というものは出てきません。それどころか、「安宅の関」そのものが実在しない関所だとも言われ、よって、ここからの話は、後世に謡曲「安宅」、歌舞伎十八番「勧進帳」へと発展した偉大なる創作エピソードと見るべきかと思われます。
しかし、だからといって、全くの捏造というわけでもなく、『義経記』巻七の、加賀国富樫庄の富樫の介の館に弁慶が単身で乗り込み東大寺勧進の品々を見事せしめる「平泉寺御見物の事」と、越中国如意の渡で渡守に見咎められた義経を弁慶が咄嗟の機転で打擲(ちょうちゃく)する「如意の渡にて義経を弁慶打ち奉る事」のくだりが、その原型であることは疑いのない所です。
ところで、この「勧進帳」とは言わずもがな、平重衡によって焼き討ちされた東大寺大仏再建のための寄付を募る依頼書。
その南都焼討では東大寺のみならず、お隣の興福寺も焼け落ちましたが、こちらは何といっても藤原氏の氏寺ですからね。
京都の公家社会の8割以上が藤原氏という状況下で、摂関家が牽引役となり、再建への動きも急ピッチで進められた興福寺に対し、東大寺の方は聖武天皇建立の国立寺院ながら、長きに渡った戦乱による財政逼迫に加え、その造営規模の壮大さもネックとなって遅々と進まず、「造東大寺大勧進職」に就任した俊乗坊重源は、全国各地に寄付金を募る勧進聖達を遣わすに至ります(『玉葉』元暦元年6月23日条には、奥州の藤原秀衡が五千両、頼朝が千両を寄進したという記録も)。
そうした背景があっての「勧進帳」。もしも重衡殿が大仏を焼き払っていなければ、この演目も生まれ得なかったというめぐり合わせの不思議。こういう所にも歴史の妙が感じられて、中々、感慨深いものがあります。
とまあ、前置きはこのくらいにしてドラマの感想へ行きますと、これみよがしの錫杖の鈴の音や太鼓の合いの手は興ざめの感が否めなかったものの、弁慶と富樫の息詰まる頭脳戦はさすがに目が離せませんでした。
ヘベレケ状態でご登場も、始めから怪しいとにらみ、「和泉坊」の名乗りで九分九厘義経本人と確信、後はいかにボロを出させるかと、次から次へと無理難題を吹っかける富樫の老獪さ。
対する弁慶も、突きつけられる難癖に多少の動揺もみせながら、持てる限りの知能をフルに駆使してこれに応戦。が、富樫の方が一枚も二枚も上手で、どんどん窮地へと追い込まれ、ついには、あるはずのない「勧進帳」を読み上げさせられる羽目に。
つらつら おもんみれば
大恩教主の秋の月は涅槃の雲に隠れ
生死長夜の永き夢、驚かすべき人もなし
爰に中頃の帝おわします
御名を聖武皇帝と申し奉り
最愛の夫人に別れ追慕やみがたく
涕涙眼に荒く、涙玉を貫く
思いを先路に翻し
上求菩提のため盧遮那仏陀建立し給う
しかるに去んじ治承の頃焼亡し畢んぬ
かかる霊場の絶えなん事を歎き
俊乗坊重源勅命を蒙って無常の勧門に涙を流し
上下の真俗を勧めて
彼の霊場を再建せんと諸国に勧進す
一紙半銭奉財の輩は現世にては無比の楽を誇り
当来にては数千蓮華の上に座せん
帰命稽首 敬って申す
弁慶の読み上げた文言は、謡曲「安宅」や歌舞伎「勧進帳」とほぼ同文のようでしたが、あくまでもこの勧進帳は弁慶作の捏造品という設定。聖武天皇の創建理由のくだりに???がつくものの、正真正銘の重源発布の勧進帳の中身はわからないので、これ以上詮索するのも野暮というものでしょう。
しかし、あんなにドジでマヌケだった弁慶が、よくこれだけのものを即興で諳んじられたものです。まあ、それも所詮は火事場のバカ力的な瞬間芸で、鎮火と共に、またいつものダメダメ弁慶に戻ってしまいましたが…(笑)。
これはやはり、富樫殿の「目は口ほどに物を言う」を体現する演技によってもたらされた相乗効果でしょうね。つくづく、芝居は受け手に左右されるものだと感心させられました。
思うに、義経主従は揃いも揃って受けの芝居がどうも拙いのですよ。
義経にしても、弁慶に打ち据えられている間のリアクションはあれでいいとしても、その後の富樫から酒徳利を差し出されるシーンの、まるで何もなかったかのような綺麗なお顔でお目々ウルウル…には、スーッとテンションが下がってしまいました。
あれだけ叩きのめされて、「痛い!痛い!」と呻かれても困りますが、例えば、痛みをこらえようとして息遣いが荒くなるとか、もう少し、ダメージの大きさを見える形で表してくれないと…。何だか弁慶のあれは空打ちで、義経の身体にはほとんど当たってなかったのではないか?とさえ思えてしまいました(実際そうなんでしょうけど…)。
また、郎党達にしても、疑いを晴らすためとはいえ、主人が無残に打ち据えられている状況で、飛び出そうとする二人と押し留める二人と、背後の四人の演技はその2パターンのみ(相互にキャラが被りすぎていて、ほとんど二人で一人みたいな感じ)。
これも、止める側で言えば、二人とも顔をしかめるのではなく、どちらか一方は、顔色一つ変えずに事の成り行きを冷静に見つめるとか(継信さんが生きていたらそういう演技も見せてくれたような)、駆け寄ろうとするのも二人揃ってではなく、一人は見るに耐えず跪いたままひたすら顔を背けているとか……、四人四様のリアクションをとれば、それぞれの個性の違いを際立たせることもできたはずなんですけどね。
せめて、最後まで付き従う主従の中に、もう一人、弁慶と双璧をなす継信キャラ的な人物(要は武士らしく見える人)が残っていれば、あれほど弁慶が浮き上がった存在になることも、底の浅いオチャラケ集団になることもなかったように思われて、今さらながら残念に思われてなりません。
とはいえ、これらが全て演出からの指示によるものなら、俳優陣を責めるのもお門違いではありますが…。
さらに、ここまで一応絶賛してきた富樫殿の演技にしても、一つ疑問を感じたのも事実。それは、多くの方が指摘なさっている最後の「九郎殿…」の一言のゆえですが…。
この大河の説明過剰傾向は今に始まったことではありませんが、あの富樫の演技の組み立てに、この一言は蛇足以外の何物でもありませんでした。第一、他の者に聞かれていれば、逃亡幇助で責任問題にも発展しかねない大失言ですし、どうしても入れたければ、ストレートに名前を出すのではなく、暗示するような気の利いたセリフを考えるのがプロの仕事でしょう。
が、逆の見方をすれば、あのセリフを言うことが決定事項である限り、あれほどあからさまに同情心を見せてしまったのもいかがなものだったか…。
それこそ、鉄面皮のように終始顔色を変えずに事態を傍観して、ひたすら気づかぬ振りを通し、一行が立ち去るのも見送ることなく身を翻して、そこで初めて表情を変えて「九郎殿」と小さくつぶやく…みたいな感じが、脚本主体に考えれば、理に適っていたようにも思われます。
まあ、どちらがよかったかと言えば、放映された通りの演技の方が、見ていて胸にグッとくるものがありましたし、これで正解だったのでしょうけど、それなら、あのセリフはカットする英断を演出家に行っていただきたかったです。
それともう一点、くだんの笛を弁慶に踏み潰させたのもやり過ぎだったのでは?
偽りとはいえ、盗んだものと主張したからには、あの笛は他人様のもの。であれば、持ち主に返すのが筋というものでしょう。それを勝手に踏みつけにして壊してしまったのには、どうも納得がいきませんでした。
いっそのこと、放り捨てられた笛を富樫が拾い上げ、「いつか必ず持ち主を探し出して返すように」とか言って、酒の代わりに義経に差し出しても面白かったような…。
懐に入れて持ち歩いていたとなれば、それがいかに目の前の男にとって大事なものかは、あの富樫殿なら容易に察せられるでしょうし、持ち主=静との再会を祈る(=それまで生き延びられよ)…といった意味合いを暗に含ませた激励の言葉に代えることもできたのではないでしょうか(ちょっとセンチメンタル過ぎますか?)。
なんだか、最初に「今回は良かった!」と言いながら、出てくるのはどうしても批判的なことばかり…(汗)。こうしてみると、やっぱり、腑に落ちなかったり、物足りなかった点も多数ありましたね。史実うんぬんの話ではない分、ほとんど主観的な意見ばかりで申し訳ないですが…。
しかし、低空飛行にどっぶり慣れきってしまうと、ほんのちょっとレベルアップしただけで、もの凄く良くなったように錯覚してしまう部分もありますから、視聴者はともかく、制作者サイドには「この程度で甘んじることなかれ!」と自戒していただきたい所です。
さてさて、次週はいよいよ奥州入り。
秀衡死去まで一挙に突っ走るようですが、本当に後2回で終りなのですね。
ということは…、この期に及んで、変なオリジナル・エピソードで浪費している暇なんてありませんよねぇー(祈)。
いや~、47回目にして「初めてちゃんとしたお芝居が見られた!」という充足感。やはり演技というものは「受け手」が重要だと再認識させられました。
何といっても、あの弁慶が「ただの大根」から「偉大なる大根」に大変身ですからね(一応褒め言葉ですよ)。これはもう、ひとえに富樫殿のおかげと言うしかないでしょう。
しかしまあ、今回が「良かった!」と思えた要因はいくつか挙げられますが、まずは、あまり横道へは逸れず(巴再登場はありましたが)、ほぼ「勧進帳」一本に絞った構成だったことでしょう。
加えて、鎌倉サイドの露出が序盤に2分足らずと極少だったことも、不快指数上昇の軽減に大きく貢献してくれましたし(正直もうあのメンツは極力拝みたくない)、そのおかげで、ちょっと有り得ない巴さんの再登場シーンにもすんなりと見入ることができたのかも…。
ということで、先週のラストにようやく越前入りとなった義経主従は、今週は加賀国へ。で、ふと気がつけば…、弁慶殿が思いっきりロン毛になっているではありませんか!
先週分の録画を見直してみた所、京を出立する時点からラストまで終始いつもの坊主頭。この間半年ほど経過しているはずですが、この頃までは髪の毛のお手入れもできていたのですかね?
それにしても、越前-加賀間で一気に肩にかかるぐらいになっているのは、ちょっと伸び方が異様に早すぎやしませんかね(細かくてスミマセン)。
どうせなら、逃亡生活に入った吉野の頃から徐々に伸ばしていくふうにすれば、時間経過も表せて一石二鳥だったでしょうに…(鬘代がもったいないって?)。
それはさておき、雪が降りしきる寒空の下で侘しく野宿という所を、運良く一夜の宿を供された義経主従。本当は、ここまでに野宿に震える1コマとか、さらっとでも入れておいて欲しかったですけど(どうも悲惨度が激しく不足気味)。
で、その宿主の妻がかの巴御前だったというのは、毎度おなじみの御都合主義ながら、どん底を経験した彼女の何か付き物が落ちたような清々しさ、穏やかさがとても印象的で、意外にこれは素直に受け入れられました。
史実というより、伝承では義仲との別離の後、出家して死者の菩提を弔ったとも、鎌倉方に捕えられて和田義盛の側室となり朝比奈三郎義秀を生んだともいわれる巴ですが、今回のドラマのような落ち着き方も、救いがあって悪くないと思えました。
ただ、義高のことに全く触れなかったのはいただけません。義経も自分が守ると請け合っておきながら、結局は守れなかったのですから、詫びの一つも入れる然るべきでしょう。その上で巴が「仕方のないこと」と許せばそれで済む話ですし(あの巴ならそう言うと思いますよ)。それと蛇足ながら「もよ」って名前がね…。もうちょっとセンスの感じられるネーミングはできなかったものか…。
さて、その巴の証言も考慮して、白山ルートではなく安宅関突破を選んだ義経くんですが、関守の情に頼ろうとする所がまた彼らしいですね(汗)。
ところで、彼らが山伏に扮して逃避行を続けた理由の一つに、各関所で徴収される「関手(せきて)」と呼ばれる通行税を山伏は免除される特権を有していたことが挙げられます。
『義経記』にも、本物の山伏かどうかを見分けるために、関守がわざとこの「関手」を要求し、もしあっさりと払えば、そうした山伏の常識も知らぬ「偽山伏」といって、真偽を見極める判断材料にしようとしますが、もちろん弁慶はそのウソ発見器には引っ掛からず(笑)、「何時の習ひに羽黒山伏の関手なす法やある。例無き事は適ふまじき」と突っぱねて、疑いを晴らしたというエピソードがあります。
しかし、この山伏に扮するという妙案も、逆に、同じ山伏から不審を抱かれる危険性もはらんでおり、道中の行き交いで山伏と出会った場合は、越後国直江津までは「羽黒山伏の熊野参詣からの帰り」、それ以後は「熊野山伏の羽黒参詣の途中」と称することをあらかじめ取り決めています(安宅は直江津より西なので逆になっちゃってますけど…)。
という具合に、『義経記』は義経伝承の宝庫であるにも関わらず、実はそのままズバリ「安宅関」あるいは「勧進帳」というものは出てきません。それどころか、「安宅の関」そのものが実在しない関所だとも言われ、よって、ここからの話は、後世に謡曲「安宅」、歌舞伎十八番「勧進帳」へと発展した偉大なる創作エピソードと見るべきかと思われます。
しかし、だからといって、全くの捏造というわけでもなく、『義経記』巻七の、加賀国富樫庄の富樫の介の館に弁慶が単身で乗り込み東大寺勧進の品々を見事せしめる「平泉寺御見物の事」と、越中国如意の渡で渡守に見咎められた義経を弁慶が咄嗟の機転で打擲(ちょうちゃく)する「如意の渡にて義経を弁慶打ち奉る事」のくだりが、その原型であることは疑いのない所です。
ところで、この「勧進帳」とは言わずもがな、平重衡によって焼き討ちされた東大寺大仏再建のための寄付を募る依頼書。
その南都焼討では東大寺のみならず、お隣の興福寺も焼け落ちましたが、こちらは何といっても藤原氏の氏寺ですからね。
京都の公家社会の8割以上が藤原氏という状況下で、摂関家が牽引役となり、再建への動きも急ピッチで進められた興福寺に対し、東大寺の方は聖武天皇建立の国立寺院ながら、長きに渡った戦乱による財政逼迫に加え、その造営規模の壮大さもネックとなって遅々と進まず、「造東大寺大勧進職」に就任した俊乗坊重源は、全国各地に寄付金を募る勧進聖達を遣わすに至ります(『玉葉』元暦元年6月23日条には、奥州の藤原秀衡が五千両、頼朝が千両を寄進したという記録も)。
そうした背景があっての「勧進帳」。もしも重衡殿が大仏を焼き払っていなければ、この演目も生まれ得なかったというめぐり合わせの不思議。こういう所にも歴史の妙が感じられて、中々、感慨深いものがあります。
とまあ、前置きはこのくらいにしてドラマの感想へ行きますと、これみよがしの錫杖の鈴の音や太鼓の合いの手は興ざめの感が否めなかったものの、弁慶と富樫の息詰まる頭脳戦はさすがに目が離せませんでした。
ヘベレケ状態でご登場も、始めから怪しいとにらみ、「和泉坊」の名乗りで九分九厘義経本人と確信、後はいかにボロを出させるかと、次から次へと無理難題を吹っかける富樫の老獪さ。
対する弁慶も、突きつけられる難癖に多少の動揺もみせながら、持てる限りの知能をフルに駆使してこれに応戦。が、富樫の方が一枚も二枚も上手で、どんどん窮地へと追い込まれ、ついには、あるはずのない「勧進帳」を読み上げさせられる羽目に。
つらつら おもんみれば
大恩教主の秋の月は涅槃の雲に隠れ
生死長夜の永き夢、驚かすべき人もなし
爰に中頃の帝おわします
御名を聖武皇帝と申し奉り
最愛の夫人に別れ追慕やみがたく
涕涙眼に荒く、涙玉を貫く
思いを先路に翻し
上求菩提のため盧遮那仏陀建立し給う
しかるに去んじ治承の頃焼亡し畢んぬ
かかる霊場の絶えなん事を歎き
俊乗坊重源勅命を蒙って無常の勧門に涙を流し
上下の真俗を勧めて
彼の霊場を再建せんと諸国に勧進す
一紙半銭奉財の輩は現世にては無比の楽を誇り
当来にては数千蓮華の上に座せん
帰命稽首 敬って申す
弁慶の読み上げた文言は、謡曲「安宅」や歌舞伎「勧進帳」とほぼ同文のようでしたが、あくまでもこの勧進帳は弁慶作の捏造品という設定。聖武天皇の創建理由のくだりに???がつくものの、正真正銘の重源発布の勧進帳の中身はわからないので、これ以上詮索するのも野暮というものでしょう。
しかし、あんなにドジでマヌケだった弁慶が、よくこれだけのものを即興で諳んじられたものです。まあ、それも所詮は火事場のバカ力的な瞬間芸で、鎮火と共に、またいつものダメダメ弁慶に戻ってしまいましたが…(笑)。
これはやはり、富樫殿の「目は口ほどに物を言う」を体現する演技によってもたらされた相乗効果でしょうね。つくづく、芝居は受け手に左右されるものだと感心させられました。
思うに、義経主従は揃いも揃って受けの芝居がどうも拙いのですよ。
義経にしても、弁慶に打ち据えられている間のリアクションはあれでいいとしても、その後の富樫から酒徳利を差し出されるシーンの、まるで何もなかったかのような綺麗なお顔でお目々ウルウル…には、スーッとテンションが下がってしまいました。
あれだけ叩きのめされて、「痛い!痛い!」と呻かれても困りますが、例えば、痛みをこらえようとして息遣いが荒くなるとか、もう少し、ダメージの大きさを見える形で表してくれないと…。何だか弁慶のあれは空打ちで、義経の身体にはほとんど当たってなかったのではないか?とさえ思えてしまいました(実際そうなんでしょうけど…)。
また、郎党達にしても、疑いを晴らすためとはいえ、主人が無残に打ち据えられている状況で、飛び出そうとする二人と押し留める二人と、背後の四人の演技はその2パターンのみ(相互にキャラが被りすぎていて、ほとんど二人で一人みたいな感じ)。
これも、止める側で言えば、二人とも顔をしかめるのではなく、どちらか一方は、顔色一つ変えずに事の成り行きを冷静に見つめるとか(継信さんが生きていたらそういう演技も見せてくれたような)、駆け寄ろうとするのも二人揃ってではなく、一人は見るに耐えず跪いたままひたすら顔を背けているとか……、四人四様のリアクションをとれば、それぞれの個性の違いを際立たせることもできたはずなんですけどね。
せめて、最後まで付き従う主従の中に、もう一人、弁慶と双璧をなす継信キャラ的な人物(要は武士らしく見える人)が残っていれば、あれほど弁慶が浮き上がった存在になることも、底の浅いオチャラケ集団になることもなかったように思われて、今さらながら残念に思われてなりません。
とはいえ、これらが全て演出からの指示によるものなら、俳優陣を責めるのもお門違いではありますが…。
さらに、ここまで一応絶賛してきた富樫殿の演技にしても、一つ疑問を感じたのも事実。それは、多くの方が指摘なさっている最後の「九郎殿…」の一言のゆえですが…。
この大河の説明過剰傾向は今に始まったことではありませんが、あの富樫の演技の組み立てに、この一言は蛇足以外の何物でもありませんでした。第一、他の者に聞かれていれば、逃亡幇助で責任問題にも発展しかねない大失言ですし、どうしても入れたければ、ストレートに名前を出すのではなく、暗示するような気の利いたセリフを考えるのがプロの仕事でしょう。
が、逆の見方をすれば、あのセリフを言うことが決定事項である限り、あれほどあからさまに同情心を見せてしまったのもいかがなものだったか…。
それこそ、鉄面皮のように終始顔色を変えずに事態を傍観して、ひたすら気づかぬ振りを通し、一行が立ち去るのも見送ることなく身を翻して、そこで初めて表情を変えて「九郎殿」と小さくつぶやく…みたいな感じが、脚本主体に考えれば、理に適っていたようにも思われます。
まあ、どちらがよかったかと言えば、放映された通りの演技の方が、見ていて胸にグッとくるものがありましたし、これで正解だったのでしょうけど、それなら、あのセリフはカットする英断を演出家に行っていただきたかったです。
それともう一点、くだんの笛を弁慶に踏み潰させたのもやり過ぎだったのでは?
偽りとはいえ、盗んだものと主張したからには、あの笛は他人様のもの。であれば、持ち主に返すのが筋というものでしょう。それを勝手に踏みつけにして壊してしまったのには、どうも納得がいきませんでした。
いっそのこと、放り捨てられた笛を富樫が拾い上げ、「いつか必ず持ち主を探し出して返すように」とか言って、酒の代わりに義経に差し出しても面白かったような…。
懐に入れて持ち歩いていたとなれば、それがいかに目の前の男にとって大事なものかは、あの富樫殿なら容易に察せられるでしょうし、持ち主=静との再会を祈る(=それまで生き延びられよ)…といった意味合いを暗に含ませた激励の言葉に代えることもできたのではないでしょうか(ちょっとセンチメンタル過ぎますか?)。
なんだか、最初に「今回は良かった!」と言いながら、出てくるのはどうしても批判的なことばかり…(汗)。こうしてみると、やっぱり、腑に落ちなかったり、物足りなかった点も多数ありましたね。史実うんぬんの話ではない分、ほとんど主観的な意見ばかりで申し訳ないですが…。
しかし、低空飛行にどっぶり慣れきってしまうと、ほんのちょっとレベルアップしただけで、もの凄く良くなったように錯覚してしまう部分もありますから、視聴者はともかく、制作者サイドには「この程度で甘んじることなかれ!」と自戒していただきたい所です。
さてさて、次週はいよいよ奥州入り。
秀衡死去まで一挙に突っ走るようですが、本当に後2回で終りなのですね。
ということは…、この期に及んで、変なオリジナル・エピソードで浪費している暇なんてありませんよねぇー(祈)。
by kiratemari
| 2005-11-30 19:24
| テレビ
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Comments(4)
Tracked
from えりかの平安な日々
at 2005-12-02 00:43
タイトル : 大河ドラマ「義経」第47回&勧進帳、そして…
大河ドラマ「義経」第47回の感想です。 マツケン弁慶の演技は期待通りでした。とにかく感動しました。 また、弁慶と富樫左衛門尉の息詰まるやりとりも十分堪能できました。 でも、やっぱり義経は役不足ですね……。 勧進帳についてはあとでゆっくり述べるとして、まずその他のシーンの感想を書きますね。☆義経の行き先がどこなのかしっかりわかっている鎌倉幕府 「九郎殿の行く先は奥州なのでは」と真っ先に発言したのが大江広元だったことは、かなり当を得ていると思いました。冷徹な広元なら、そのあたりをしっかりわかっているはずで...... more
大河ドラマ「義経」第47回の感想です。 マツケン弁慶の演技は期待通りでした。とにかく感動しました。 また、弁慶と富樫左衛門尉の息詰まるやりとりも十分堪能できました。 でも、やっぱり義経は役不足ですね……。 勧進帳についてはあとでゆっくり述べるとして、まずその他のシーンの感想を書きますね。☆義経の行き先がどこなのかしっかりわかっている鎌倉幕府 「九郎殿の行く先は奥州なのでは」と真っ先に発言したのが大江広元だったことは、かなり当を得ていると思いました。冷徹な広元なら、そのあたりをしっかりわかっているはずで...... more
Tracked
from 蒼き猫の言霊日記
at 2005-12-06 09:39
タイトル : 最終回まぢか・・・ベテラン俳優演技対決!大河「義経」感想。
最終回もまぢかとなりましたが、相変わらず義経はあまり活躍しませなんだ。いや、そのほうがむしろドラマ的には面白かったりして・・・(ーー;)まずは武蔵房弁慶、一世一代の名演技(?)の「安宅の関」の回から。これはほとんど、弁慶ことマツケンと、富樫関守こと石橋蓮司の二大俳優の演技対決といったところでしたね。おちゃらけ弁慶があの場面で咄嗟に勧進帳を読み上げられるものか・・・ちょっと疑問を感じながらも、まあまあ感心(マツケン弁慶にしては、ね)。一方の富樫は義経一行と見破っているのか、そうでないのか、なかなか判断が...... more
最終回もまぢかとなりましたが、相変わらず義経はあまり活躍しませなんだ。いや、そのほうがむしろドラマ的には面白かったりして・・・(ーー;)まずは武蔵房弁慶、一世一代の名演技(?)の「安宅の関」の回から。これはほとんど、弁慶ことマツケンと、富樫関守こと石橋蓮司の二大俳優の演技対決といったところでしたね。おちゃらけ弁慶があの場面で咄嗟に勧進帳を読み上げられるものか・・・ちょっと疑問を感じながらも、まあまあ感心(マツケン弁慶にしては、ね)。一方の富樫は義経一行と見破っているのか、そうでないのか、なかなか判断が...... more
手鞠さん、今晩は♪
私も間もなく感想をUPしますのでのちほどトラックバックさせていただきますね。
さていつものように、手鞠さんのご感想を興味深く読ませていただきました。
おっしゃるように今週はドラマとしてストーリーがまとまっていましたよね。弁慶と富樫殿の息詰まる対決は見応えがあって良かったです。それに比べると、義経や他の郎党達は役不足ですよね…。
富樫殿の「九郎殿」、私は不覚にも感動してしまいました~。でもよく考えてみると、あれを人に聞かれたら大変なことになってしまいますよね。一人きりになったときに一言口に出すとか、口に出さず心の中でつぶやくという設定にするとか……、その方がもっと感動的だったかもしれませんよね。
私も間もなく感想をUPしますのでのちほどトラックバックさせていただきますね。
さていつものように、手鞠さんのご感想を興味深く読ませていただきました。
おっしゃるように今週はドラマとしてストーリーがまとまっていましたよね。弁慶と富樫殿の息詰まる対決は見応えがあって良かったです。それに比べると、義経や他の郎党達は役不足ですよね…。
富樫殿の「九郎殿」、私は不覚にも感動してしまいました~。でもよく考えてみると、あれを人に聞かれたら大変なことになってしまいますよね。一人きりになったときに一言口に出すとか、口に出さず心の中でつぶやくという設定にするとか……、その方がもっと感動的だったかもしれませんよね。
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えりかさん、こんばんは~♪
「九郎殿」のセリフは、より視聴者にわかりやすいようにと、あえて入れ込んだことはわかるのですが、あんなにはっきりと口に出して言うのは場面的にまずかったと思います。せめて「皆持ち場に着け」とか言って人払いしてからにするとか、何らかの配慮が欲しかったような…。
「九郎殿」のセリフは、より視聴者にわかりやすいようにと、あえて入れ込んだことはわかるのですが、あんなにはっきりと口に出して言うのは場面的にまずかったと思います。せめて「皆持ち場に着け」とか言って人払いしてからにするとか、何らかの配慮が欲しかったような…。
Commented
by
bluecat at 2005-12-06 09:55
手鞠さま、こんにちは!
私もようやく先日、「安宅の関」と前回の放送を観られたので、感想書きました(いつもどおり、つまらないものですが)。
ヘタレ弁慶が火事場のバカ力並みの大芝居を打った、と感じられるのはこれまでの弁慶があまりにもヘタレ、お笑い芸人然、としていたためでしょうね(ーー;)気がついたら早くも次回最終回、無駄なエピのツケがここに?!
私もようやく先日、「安宅の関」と前回の放送を観られたので、感想書きました(いつもどおり、つまらないものですが)。
ヘタレ弁慶が火事場のバカ力並みの大芝居を打った、と感じられるのはこれまでの弁慶があまりにもヘタレ、お笑い芸人然、としていたためでしょうね(ーー;)気がついたら早くも次回最終回、無駄なエピのツケがここに?!
bluecatさん、こんにちは~♪
今さらながら弁慶のキャラ設定には疑問が残りますね。本業がお笑い芸人ではなく、まがりなりにも俳優さんであることを思えば、コントベースにシリアスではなく、シリアスベースにお笑いをほんの少し混ぜる方が、そのギャップも効果的に際立ったでしょうに…(怒)。
しかし、本当にもう最終回なのですよね。無駄なエピもですが、回想で浪費したあの時間が惜しまれます!
今さらながら弁慶のキャラ設定には疑問が残りますね。本業がお笑い芸人ではなく、まがりなりにも俳優さんであることを思えば、コントベースにシリアスではなく、シリアスベースにお笑いをほんの少し混ぜる方が、そのギャップも効果的に際立ったでしょうに…(怒)。
しかし、本当にもう最終回なのですよね。無駄なエピもですが、回想で浪費したあの時間が惜しまれます!
「きらめきの刹那」 別館 花や史跡の探訪記録や源平&時代物ドラマ話など何でもござれの雑記帳
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