兄と弟・その心の隔たり―『義経』vol.38「遠き鎌倉」
「涙の腰越状」を目前にした今回は、兄弟不和に向けての伏線張りのオンパレード。
その比較対象として、宗盛・重衡兄弟もクローズアップされ、平家好きにはおいしい回ではありましたが、義経あるいは鎌倉好きには、かなりフラストレーションのたまる回だったかもしれませんね。
とはいえ、重衡ふぁんの私としましては、従来の源平物では類を見ない破格の扱いに大感激! いや『義経』でここまでやってくれるとは…大きな驚きです。若干、私のイメージとは異なるものの、このドラマのこれまでの描き方からすれば十分及第点。運命の処刑までは今少し猶予があるようですが、これは心して臨みたいと思います。
さて、本題に入る前に一点。これは、別段、気にするほどのものでもないのですが、オープニング・クレジットで時子・知盛は「回想」付きで載っていたのに、建礼門院の名前がなかったのはなぜでしょう?
他の平家女性陣はほんの一瞬だったので、これはよしとしても、建礼門院はあれだけセリフもあって、画面に映った秒数も時子・知盛以上でしたからね。この辺りは、どういう基準で選別しているのか、ちょっと気になります。
ということで、本題に行ってみましょうか。
まずは、法皇様&景時の、先週の建礼門院訪問に関する尋問。
義経の軽はずみな行動の産物ですが、当の本人は至ってその自覚はなし。
この義経くんは、頼朝の代官を自認しながらも、それの持つ意味の重大さが、まるでわかっていないようです。自分の行動の一つ一つが、頼朝の命によるものと受けとられかねない状況下で、白昼、堂々と敵方の人間を訪ねて行くのは、やはり軽挙としか言いようがないのですけど…。
この時点で、少なくとも、景時の忠告はもっと真摯に受け止めるべきだったでしょうね。今回の大河での景時さんは、従来の陰険な讒言魔とはかなり様子が異なり、客観的に見ると、彼の言っていることはいつでも至極真っ当。
息子の景季があんな調子で、そのパパだから余計にそう思うのかもしれませんが、どうにかして、義経に鎌倉の気風を教え込みたい…との、実に、愛ある諫言のように思えるのですよね。
考えようによっては、義経もこの景時の言にもっと耳を貸し、いっそ、自分のブレーンとして、味方に引き入れることまでできていれば、その後の形勢は、全く違ったものになっていた可能性もなきにしもあらず。
だいたいが、景季くんから、事実上の絶縁宣言をされると、残るは何ら頼りにならないダメ郎党のみですからね。リアル義経もそうですが、有力御家人との交わりを軽視したことが、そもそもの彼のつまずきの元だったかもしれません。
それにしても、景季くんのお別れの挨拶を聞いた感じでは、もしや今回限りで退場なのでしょうか? ここまで義経との仲良しこよしを見せられた後では、今さら、京に戻った義経の様子を探りに行かせるというお役目を頼朝が命じるのも変ですし…(それでも構わずやるのが大河流?)。これは、かねてより思っていたことですが、この景季を見ていると、そのまま畠山重忠の設定でも十分行けたような気が…。
愛馬を担ぎ上げたとかいう“バカ力伝説”はともかく、折り目正しい武人であり、義経にも好意的に接するというのも、景季よりむしろ重忠の方が適任。何より、息子の存在によって、著しく毒気が薄まってしまっている梶原景時を、従来以上の最強悪役キャラにパワーアップすることもできたでしょうし、『義経』というドラマ的には、その方が、断然、理に適っていたように思うのですよね(とはいえ、今の時代では、あのヌルい景時でも十分極悪キャラに映るのだろうか?)。
それはさておき、お徳婆の情報網は大したものですね。鎌倉にまで密かにアンテナを設置していたとは…(笑)。しかし、一介の鎧師・紐師にまで、景時の讒奏状の中身が筒抜けなんて、鎌倉幕府はどういう情報管理をしているのでしょうね。
と、ここで、今回のドラマ内の動きを簡単に史料と照らし合わせてみると、
4月25日 入京(玉葉、吾妻鏡は24日)
5月 4日 梶原景時の報告書が鎌倉に到着(吾妻鏡)
7日 義経が鎌倉に向けて京を出立(玉葉・吉記)
〃 義経の書いた起請文が鎌倉に到着(吾妻鏡)
15日 義経 酒匂到着(吾妻鏡)
時間経過がおかしいのは今に始まったことではありませんが、まずは、届きもしない起請文に返事は書けませんよ、義経くん (-_-;)
それと、お徳婆には気をつけましょう。変な能力を持った宇宙人かもしれませんからね(爆)。「都と鎌倉の隔たりは大きい」と言いながら、この情報入手の早さはただごとではありません。それとも、誰か、このお婆に携帯電話なんぞ渡しましたか?(笑)
義経の苦境をわかりやすく説明するためのお徳登場か知りませんが、事前にこれだけ色々な情報が入って来ていて、にも関わらず、何の対策もなしに鎌倉へ行ってしまう義経くんて…、そんなに彼をおバ○さんにしたいのでしょうか?(そういや、鎌倉に戻る時には官位を返上するとか言ってなかったっけ?)
京-鎌倉間のタイム・ラグのために行き違いが生じ、互いに疑心暗鬼に陥ってしまった二人を表すには、あまりに無駄なシーンを挟み込み過ぎで、ましてや、疫病神の再登場なんて完全なフライングもいい所。壇ノ浦の戦勝から、一転、兄弟不和に突入というシナリオは、いくら不幸の臭いに敏感な行家でも、わずか10日ほどのそんな短期間で察知するのは無理でしょう。ここは、ごく普通に、腰越から帰京後でよかったと思います。
一方、迎える側の鎌倉でも、頼朝の周りは何かと騒々しく…。
大姫がらみで、またまた心変わりの政子さん。いつの間にか、時政パパの方が婿殿の心理に詳しくなってますし、唯一、一貫性が見られるとすれば、その時々の感情のままに、いつも周りを振り回しているその“困ったちゃん”ぶりだけでしょうか。
そして、最大の見せ場「腰越状」にむけて、急激に出番増大の大江広元。
今回の頼朝は、政子の「情」vs広元の「理」の狭間で苦悩する図式ですが、広元の進言に、一瞬うろたえる目をした所を見ると、頼朝も内心では、政子の訴えを受け入れ、義経を迎え入れる心づもりだったとか? ともかく、相変わらずの煮え切らなさには、見ていて多いに苛立たされます。
そして、待望の重衡の再登場! でも、よっぽどのVIP待遇を受けていたのか、お顔が少しふくよか気味だったような…(汗)。
しかし、やっぱり伊豆に滞在なのですね。身柄を預かった狩野介宗茂がいくら伊豆国の住人とはいえ、鎌倉にもちゃんと屋敷を持っています。そもそも、重衡は罪人なのですから、監視の意味でも鎌倉に置くのが常道。おまけに、この件では、後ほど、しっかりと齟齬を来たしてくれるのですから…(これは後で)。
ところで、ここでまた、唐突に頼盛が出てくるのが、このドラマらしいと言うか…。
平家一門を裏切った懺悔にかこつけて、その実、南都行きを説得するお役目ですか…(呆)。しかし、何であんたがまだ東国にいるのかい?
寿永3年(1183)の平家都落ちの後、義仲が入京して、そこから逃げ出すように鎌倉に下った頼盛は、翌元暦元年(1184)5月には帰洛しており(公卿補任)、その後、再び鎌倉に下向した形跡は見られず、しかも、この重衡訪問が5月初旬として、同月の29日には頼盛は東大寺の辺で出家を遂げていますからね(吉記)。
ただ、『吾妻鏡』では頼盛出家は6月18日のこととしており、この場合、重衡との会見で世の無常を痛感し、出家を決めたという流れも、一応、成り立たなくはありませんし、自分の手を汚したくない頼朝が、自発的に申し出てくれればと、暗にそういうふうに仕向けるのも、十分有り得ることとも思いますが…、でも、それで本当にいいのかー? 頼朝さんよ!
まあ、潔く南都行きを申し出た重衡は、格好良く描かれて好感度もアップ。いつまでも、周りの空気が読めない義経くんとの対比にはもって来いなのでしょうが…。
ということで、酒匂での宗盛・重衡兄弟の遭遇。そして、ここで問題の齟齬が発生!
前回に引き続き、キャプチャー画面を利用させていただきますと(但しこの地図もかなりいい加減ですが)、伊豆から南都を目指し西へ向かうはずの重衡が、どうして伊豆より東の酒匂を通るのでしょうかね?
頼朝に挨拶するために、一旦、重衡も鎌倉へ向うのかとも思いましたが、腰越では宗盛と清宗の姿しかありませんでしたからね。やはり、あのまま南都に向ったと見るべきでしょうね(どうせなら、もっと手前の駿河国・手越とかにすればよかったものを…)。
が、それ以前に、義経一行の酒匂到着は、『吾妻鏡』によれば5月15日ですが、重衡が南都へ送られるのは、これよりもう少し後の翌6月9日。宗盛・清宗父子も同日に再び京へ送り返されており、よって、その護送に当たった義経とも行動を共にしていたと思われます。
宗盛&重衡 と 義経&頼朝 を対比させるために、あえて、この再会を前倒しにしたのでしょうが、実際、日付の上では宗盛より後に処刑される重衡。こんなに早く南都へ旅立ってしまって、いったい、どこで時間待ちをするつもりなのでしょうね(このドラマでは処刑の順番が重衡→宗盛なのかもしれませんが)。
そもそも、こうした形での平家話の取り込みは、肝心の 義経vs頼朝 の焦点をぼやけさせる悪影響もあり、むしろ、腰越での兄弟決裂後に、この再会を持って来て、そこで両者の関係を対比する方が、より効果的だったのではないかとも思うのですが…(もし、もう一度再会シーンがあるようならそれこそ蛇足)。何かにつけ、どうも前置きが長すぎます。
とまあ、そんなこんなで、ようやく腰越入り。
時政から「鎌倉に入るべからず」の頼朝の命令を聞かされ、「法皇様の仰せで」「お上に楯突くおつもりか!」と、これみよがしに、法皇の威光を振りかざす発言を連発する郎党達。この時点で、鎌倉を敵に回したも同然でしょう。つくづく見極めの悪い主従で…(汗)。
「我らは鎌倉に入れてもらえぬようじゃ…」と嘆く前に、もう一度、兄上の立場に立って物事を見渡してみる…、それができれば、あるいは、頼朝との和解の道も開けたかもしれないのにね。
さてさて、次回はいよいよ腰越状ですか…。
それにしても、またもや本編を霞ませるほどの異様に気合の入った予告編(これもまた見掛け倒しで終わるのか?)は、いったいどこまでが、次週の内容なのかもよくわかりませんでしたが、個人的に気になるのは、やはり、重衡と輔子の別れの場面ですね。
が、これを取り上げてくれること自体は大変喜ばしいのですが、僧に引っ立てられて行く輔子の姿を見るに、刑場に乱入という、これまた、ありえない設定に改悪されていそうな嫌な予感が… (-_-;)
その比較対象として、宗盛・重衡兄弟もクローズアップされ、平家好きにはおいしい回ではありましたが、義経あるいは鎌倉好きには、かなりフラストレーションのたまる回だったかもしれませんね。
とはいえ、重衡ふぁんの私としましては、従来の源平物では類を見ない破格の扱いに大感激! いや『義経』でここまでやってくれるとは…大きな驚きです。若干、私のイメージとは異なるものの、このドラマのこれまでの描き方からすれば十分及第点。運命の処刑までは今少し猶予があるようですが、これは心して臨みたいと思います。
さて、本題に入る前に一点。これは、別段、気にするほどのものでもないのですが、オープニング・クレジットで時子・知盛は「回想」付きで載っていたのに、建礼門院の名前がなかったのはなぜでしょう?
他の平家女性陣はほんの一瞬だったので、これはよしとしても、建礼門院はあれだけセリフもあって、画面に映った秒数も時子・知盛以上でしたからね。この辺りは、どういう基準で選別しているのか、ちょっと気になります。
ということで、本題に行ってみましょうか。
まずは、法皇様&景時の、先週の建礼門院訪問に関する尋問。
義経の軽はずみな行動の産物ですが、当の本人は至ってその自覚はなし。
この義経くんは、頼朝の代官を自認しながらも、それの持つ意味の重大さが、まるでわかっていないようです。自分の行動の一つ一つが、頼朝の命によるものと受けとられかねない状況下で、白昼、堂々と敵方の人間を訪ねて行くのは、やはり軽挙としか言いようがないのですけど…。
この時点で、少なくとも、景時の忠告はもっと真摯に受け止めるべきだったでしょうね。今回の大河での景時さんは、従来の陰険な讒言魔とはかなり様子が異なり、客観的に見ると、彼の言っていることはいつでも至極真っ当。
息子の景季があんな調子で、そのパパだから余計にそう思うのかもしれませんが、どうにかして、義経に鎌倉の気風を教え込みたい…との、実に、愛ある諫言のように思えるのですよね。
考えようによっては、義経もこの景時の言にもっと耳を貸し、いっそ、自分のブレーンとして、味方に引き入れることまでできていれば、その後の形勢は、全く違ったものになっていた可能性もなきにしもあらず。
だいたいが、景季くんから、事実上の絶縁宣言をされると、残るは何ら頼りにならないダメ郎党のみですからね。リアル義経もそうですが、有力御家人との交わりを軽視したことが、そもそもの彼のつまずきの元だったかもしれません。
それにしても、景季くんのお別れの挨拶を聞いた感じでは、もしや今回限りで退場なのでしょうか? ここまで義経との仲良しこよしを見せられた後では、今さら、京に戻った義経の様子を探りに行かせるというお役目を頼朝が命じるのも変ですし…(それでも構わずやるのが大河流?)。これは、かねてより思っていたことですが、この景季を見ていると、そのまま畠山重忠の設定でも十分行けたような気が…。
愛馬を担ぎ上げたとかいう“バカ力伝説”はともかく、折り目正しい武人であり、義経にも好意的に接するというのも、景季よりむしろ重忠の方が適任。何より、息子の存在によって、著しく毒気が薄まってしまっている梶原景時を、従来以上の最強悪役キャラにパワーアップすることもできたでしょうし、『義経』というドラマ的には、その方が、断然、理に適っていたように思うのですよね(とはいえ、今の時代では、あのヌルい景時でも十分極悪キャラに映るのだろうか?)。
それはさておき、お徳婆の情報網は大したものですね。鎌倉にまで密かにアンテナを設置していたとは…(笑)。しかし、一介の鎧師・紐師にまで、景時の讒奏状の中身が筒抜けなんて、鎌倉幕府はどういう情報管理をしているのでしょうね。
と、ここで、今回のドラマ内の動きを簡単に史料と照らし合わせてみると、
4月25日 入京(玉葉、吾妻鏡は24日)
5月 4日 梶原景時の報告書が鎌倉に到着(吾妻鏡)
7日 義経が鎌倉に向けて京を出立(玉葉・吉記)
〃 義経の書いた起請文が鎌倉に到着(吾妻鏡)
15日 義経 酒匂到着(吾妻鏡)
時間経過がおかしいのは今に始まったことではありませんが、まずは、届きもしない起請文に返事は書けませんよ、義経くん (-_-;)
それと、お徳婆には気をつけましょう。変な能力を持った宇宙人かもしれませんからね(爆)。「都と鎌倉の隔たりは大きい」と言いながら、この情報入手の早さはただごとではありません。それとも、誰か、このお婆に携帯電話なんぞ渡しましたか?(笑)
義経の苦境をわかりやすく説明するためのお徳登場か知りませんが、事前にこれだけ色々な情報が入って来ていて、にも関わらず、何の対策もなしに鎌倉へ行ってしまう義経くんて…、そんなに彼をおバ○さんにしたいのでしょうか?(そういや、鎌倉に戻る時には官位を返上するとか言ってなかったっけ?)
京-鎌倉間のタイム・ラグのために行き違いが生じ、互いに疑心暗鬼に陥ってしまった二人を表すには、あまりに無駄なシーンを挟み込み過ぎで、ましてや、疫病神の再登場なんて完全なフライングもいい所。壇ノ浦の戦勝から、一転、兄弟不和に突入というシナリオは、いくら不幸の臭いに敏感な行家でも、わずか10日ほどのそんな短期間で察知するのは無理でしょう。ここは、ごく普通に、腰越から帰京後でよかったと思います。
一方、迎える側の鎌倉でも、頼朝の周りは何かと騒々しく…。
大姫がらみで、またまた心変わりの政子さん。いつの間にか、時政パパの方が婿殿の心理に詳しくなってますし、唯一、一貫性が見られるとすれば、その時々の感情のままに、いつも周りを振り回しているその“困ったちゃん”ぶりだけでしょうか。
そして、最大の見せ場「腰越状」にむけて、急激に出番増大の大江広元。
今回の頼朝は、政子の「情」vs広元の「理」の狭間で苦悩する図式ですが、広元の進言に、一瞬うろたえる目をした所を見ると、頼朝も内心では、政子の訴えを受け入れ、義経を迎え入れる心づもりだったとか? ともかく、相変わらずの煮え切らなさには、見ていて多いに苛立たされます。
そして、待望の重衡の再登場! でも、よっぽどのVIP待遇を受けていたのか、お顔が少しふくよか気味だったような…(汗)。
しかし、やっぱり伊豆に滞在なのですね。身柄を預かった狩野介宗茂がいくら伊豆国の住人とはいえ、鎌倉にもちゃんと屋敷を持っています。そもそも、重衡は罪人なのですから、監視の意味でも鎌倉に置くのが常道。おまけに、この件では、後ほど、しっかりと齟齬を来たしてくれるのですから…(これは後で)。
ところで、ここでまた、唐突に頼盛が出てくるのが、このドラマらしいと言うか…。
平家一門を裏切った懺悔にかこつけて、その実、南都行きを説得するお役目ですか…(呆)。しかし、何であんたがまだ東国にいるのかい?
寿永3年(1183)の平家都落ちの後、義仲が入京して、そこから逃げ出すように鎌倉に下った頼盛は、翌元暦元年(1184)5月には帰洛しており(公卿補任)、その後、再び鎌倉に下向した形跡は見られず、しかも、この重衡訪問が5月初旬として、同月の29日には頼盛は東大寺の辺で出家を遂げていますからね(吉記)。
ただ、『吾妻鏡』では頼盛出家は6月18日のこととしており、この場合、重衡との会見で世の無常を痛感し、出家を決めたという流れも、一応、成り立たなくはありませんし、自分の手を汚したくない頼朝が、自発的に申し出てくれればと、暗にそういうふうに仕向けるのも、十分有り得ることとも思いますが…、でも、それで本当にいいのかー? 頼朝さんよ!
まあ、潔く南都行きを申し出た重衡は、格好良く描かれて好感度もアップ。いつまでも、周りの空気が読めない義経くんとの対比にはもって来いなのでしょうが…。
ということで、酒匂での宗盛・重衡兄弟の遭遇。そして、ここで問題の齟齬が発生!
前回に引き続き、キャプチャー画面を利用させていただきますと(但しこの地図もかなりいい加減ですが)、伊豆から南都を目指し西へ向かうはずの重衡が、どうして伊豆より東の酒匂を通るのでしょうかね?
頼朝に挨拶するために、一旦、重衡も鎌倉へ向うのかとも思いましたが、腰越では宗盛と清宗の姿しかありませんでしたからね。やはり、あのまま南都に向ったと見るべきでしょうね(どうせなら、もっと手前の駿河国・手越とかにすればよかったものを…)。
が、それ以前に、義経一行の酒匂到着は、『吾妻鏡』によれば5月15日ですが、重衡が南都へ送られるのは、これよりもう少し後の翌6月9日。宗盛・清宗父子も同日に再び京へ送り返されており、よって、その護送に当たった義経とも行動を共にしていたと思われます。
宗盛&重衡 と 義経&頼朝 を対比させるために、あえて、この再会を前倒しにしたのでしょうが、実際、日付の上では宗盛より後に処刑される重衡。こんなに早く南都へ旅立ってしまって、いったい、どこで時間待ちをするつもりなのでしょうね(このドラマでは処刑の順番が重衡→宗盛なのかもしれませんが)。
そもそも、こうした形での平家話の取り込みは、肝心の 義経vs頼朝 の焦点をぼやけさせる悪影響もあり、むしろ、腰越での兄弟決裂後に、この再会を持って来て、そこで両者の関係を対比する方が、より効果的だったのではないかとも思うのですが…(もし、もう一度再会シーンがあるようならそれこそ蛇足)。何かにつけ、どうも前置きが長すぎます。
とまあ、そんなこんなで、ようやく腰越入り。
時政から「鎌倉に入るべからず」の頼朝の命令を聞かされ、「法皇様の仰せで」「お上に楯突くおつもりか!」と、これみよがしに、法皇の威光を振りかざす発言を連発する郎党達。この時点で、鎌倉を敵に回したも同然でしょう。つくづく見極めの悪い主従で…(汗)。
「我らは鎌倉に入れてもらえぬようじゃ…」と嘆く前に、もう一度、兄上の立場に立って物事を見渡してみる…、それができれば、あるいは、頼朝との和解の道も開けたかもしれないのにね。
さてさて、次回はいよいよ腰越状ですか…。
それにしても、またもや本編を霞ませるほどの異様に気合の入った予告編(これもまた見掛け倒しで終わるのか?)は、いったいどこまでが、次週の内容なのかもよくわかりませんでしたが、個人的に気になるのは、やはり、重衡と輔子の別れの場面ですね。
が、これを取り上げてくれること自体は大変喜ばしいのですが、僧に引っ立てられて行く輔子の姿を見るに、刑場に乱入という、これまた、ありえない設定に改悪されていそうな嫌な予感が… (-_-;)
by kiratemari
| 2005-09-27 23:06
| テレビ
|
Trackback(2)
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Comments(4)
Tracked
from えりかの平安な日々
at 2005-09-29 21:50
タイトル : 大河ドラマ「義経」第38回&今回の重衡を巡るエピソードに..
大河ドラマ「義経」第38回の感想です。 今回は久しぶりに重衡が出てきました。重衡ファンの私にとってはとても嬉しかったです。 でも今回のように、彼が伊豆で頼盛と会っていたり、道中で宗盛と偶然会うということは、絶対にあり得ないことなのですよね。このことに関してはのちに述べることとして、まず感想を書きますね。 景時が頼朝宛に送った書状の内容を詳しく知っているおとくばあさん。 「あなたはいったい何者なの?」と言いたくなってしまいます。おとくばあさんは京都ばかりか、鎌倉にも情報網を持っているのでし...... more
大河ドラマ「義経」第38回の感想です。 今回は久しぶりに重衡が出てきました。重衡ファンの私にとってはとても嬉しかったです。 でも今回のように、彼が伊豆で頼盛と会っていたり、道中で宗盛と偶然会うということは、絶対にあり得ないことなのですよね。このことに関してはのちに述べることとして、まず感想を書きますね。 景時が頼朝宛に送った書状の内容を詳しく知っているおとくばあさん。 「あなたはいったい何者なの?」と言いたくなってしまいます。おとくばあさんは京都ばかりか、鎌倉にも情報網を持っているのでし...... more
Tracked
from 蒼き猫の言霊日記
at 2005-10-03 16:20
タイトル : 兄弟は他人の始まり・・・大河ドラマ「義経」感想
「遠き鎌倉」と昨日放送の「涙の腰越状」二回を観ての感想です(最近は放送二回分まとめて感想ばっかりで、いかに私の興味が薄れているのかが、お分かりいただけると思います・・・)。 もはや、歴史捏造を通り越して、パラレルワールドになっている感のある最近の「義経」。 ただ、嬉しい誤算も生じ、我らが(?)平家の生き残りの貴公子、重衡殿がかなりクローズアップされた回だった、「遠き鎌倉」。 おかげで義経の影が薄くなること薄くなること・・・。 思いがけず生き残った平家一族との再会。 池殿からは自分の処...... more
「遠き鎌倉」と昨日放送の「涙の腰越状」二回を観ての感想です(最近は放送二回分まとめて感想ばっかりで、いかに私の興味が薄れているのかが、お分かりいただけると思います・・・)。 もはや、歴史捏造を通り越して、パラレルワールドになっている感のある最近の「義経」。 ただ、嬉しい誤算も生じ、我らが(?)平家の生き残りの貴公子、重衡殿がかなりクローズアップされた回だった、「遠き鎌倉」。 おかげで義経の影が薄くなること薄くなること・・・。 思いがけず生き残った平家一族との再会。 池殿からは自分の処...... more
手鞠さん、こんにちは♪
今週もゆっくり感想を書いていたえりかです。ようやく書き上げましたのでTBさせていただきました。
私も、重衡の登場は嬉しかったです。やっぱり格好良いですよね~。今回の重衡が絡む場面はフィクションだとわかっていながら、ほれぼれと観ておりました。
それに対して、主役の義経は印象が薄いです。
それにしましても、手鞠さんの詳しい感想はいつも勉強になります。うんうんとうなずきながら、そうなんだ!と感心しながらいつも読ませていただいています。本当にありがとうございます。では、では。
今週もゆっくり感想を書いていたえりかです。ようやく書き上げましたのでTBさせていただきました。
私も、重衡の登場は嬉しかったです。やっぱり格好良いですよね~。今回の重衡が絡む場面はフィクションだとわかっていながら、ほれぼれと観ておりました。
それに対して、主役の義経は印象が薄いです。
それにしましても、手鞠さんの詳しい感想はいつも勉強になります。うんうんとうなずきながら、そうなんだ!と感心しながらいつも読ませていただいています。本当にありがとうございます。では、では。
0
Commented
by
kiratemari at 2005-09-30 00:53
えりかさん、こんばんは~♪
重衡殿の扱いには私も大変満足しております。ありえない設定であろうがなんであろうが…(笑)。義経くんには悪いですが、今回ばかりは彼のための回でしたね (*^^*)
そんな、勉強だなんて…、お恥ずかしい限りで…(汗)。
毎回、書き上げられるのだろうか?と不安に思いながらも、惜しみなくネタを提供して下さるドラマ・スタッフのおかげで、どうにか続けることができています。いや、ここまで来ると、ツッコミ所なしの王道ストーリーの方が、却って、感想書きには苦労しそうな気が…(^^;)。
重衡殿の扱いには私も大変満足しております。ありえない設定であろうがなんであろうが…(笑)。義経くんには悪いですが、今回ばかりは彼のための回でしたね (*^^*)
そんな、勉強だなんて…、お恥ずかしい限りで…(汗)。
毎回、書き上げられるのだろうか?と不安に思いながらも、惜しみなくネタを提供して下さるドラマ・スタッフのおかげで、どうにか続けることができています。いや、ここまで来ると、ツッコミ所なしの王道ストーリーの方が、却って、感想書きには苦労しそうな気が…(^^;)。
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bluecat at 2005-10-03 16:29
手鞠さん、こんにちは~やっと感想、簡単ですが書き上げました(^^ゞ
二回まとめて観てしまうことが多いのは反省しなければなりませんが、意欲が・・・。
重衡殿の登場には私も小躍りして悦びました(^^)かなりフィクションですが、彼の悲劇性を高める細工であることは言うまでもありませんのでもちろん可です。しかし伊豆にいるとは。。。鎌倉で良いのに、おかげでその後の宗盛との再会ではオカシなことにorz
ここまでネタ提供してくれる大河ドラマも珍しいですよね~?!
二回まとめて観てしまうことが多いのは反省しなければなりませんが、意欲が・・・。
重衡殿の登場には私も小躍りして悦びました(^^)かなりフィクションですが、彼の悲劇性を高める細工であることは言うまでもありませんのでもちろん可です。しかし伊豆にいるとは。。。鎌倉で良いのに、おかげでその後の宗盛との再会ではオカシなことにorz
ここまでネタ提供してくれる大河ドラマも珍しいですよね~?!
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by
kiratemari at 2005-10-03 18:38
bluecatさん、TBありがとうございます。
いや~、38回と39回はまとめ見で十分ですよ。本当、中身はスカスカでしたから…(汗)。
それにしても、重衡を伊豆に置いたのは謎です。やはり、伊豆狩野介にお預けだから伊豆でないとと思ったのかしらん? (-_-;)
ネタと言えば、今週もまた色々と提供してくれてましたね。それに、ツッコミの気力も奪うほどのお笑い色全開に、別の意味で涙が…(笑)。
いや~、38回と39回はまとめ見で十分ですよ。本当、中身はスカスカでしたから…(汗)。
それにしても、重衡を伊豆に置いたのは謎です。やはり、伊豆狩野介にお預けだから伊豆でないとと思ったのかしらん? (-_-;)
ネタと言えば、今週もまた色々と提供してくれてましたね。それに、ツッコミの気力も奪うほどのお笑い色全開に、別の意味で涙が…(笑)。
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