篠原古戦場跡

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最新のお出掛け記録は一応完了しましたので、諸事情で一旦お蔵入りさせていたものからいくつかご紹介して行こうと思います。
第一弾は北陸の「篠原古戦場址」。

本来は既に作成済みの 安宅の関址 の記事に続けてアップする予定だったのですが、ちょうどお盆休み旅行直前になってしまい、中身的にこれを最新記事として長らく上げておくことにちょっと抵抗があったもので(汗)、ひとまず保留という形をとっておりました。

一応、訪問の順序としては、安宅の関と尼御前岬の間。
しかし、内容からするとGWに訪ねた 倶利伽羅峠 の続きと思っていただいた方が良いでしょうか。



所は片山津温泉に程近い石川県加賀市篠原にある史跡公園「篠原古戦場跡」。
その中心を成す緑に囲まれた小さな池の中央に、「首洗池」という世にも物騒な名を刻んだ石碑が建っています。




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討ち取られた平家の将、斎藤別当実盛の首をこの池で洗ったことからついた名称ですが、なぜ首を洗ったのか…。それはある事実を確認するためでした。




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池の畔に建つある場面を再現した銅像。



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うなだれる二人の郎党と、首を抱えて涙ながらに天を仰ぐ大将。
そして、正面に据えられた主なき兜…。

この兜の主、斎藤別当実盛は当時としては当たり前のことなのかもしれませんが、幾度となく仕える主筋を変えながら、したたかに戦乱の世を生き抜いた武将でした。

始めは源義朝に仕えながら弟の義賢に鞍替えし、義賢が義朝の長男義平に討たれると再び義朝の許に戻り、その義朝が平治の乱で討たれると今度は平家へという具合に、事あるごとに勝者へと靡き保身を図って来ました。言い換えると、実盛の従う主人は悉く滅亡の憂き目を見るというとんだ疫病神とも… (~_~;)

それはともかく、平家の武将として動乱期を迎えた斎藤実盛は、東国武士を熟知しているがゆえに源氏追討の最前線へ送られ、富士川の合戦、倶利伽羅谷の戦いの二度の大敗も経験。70歳を越える高齢でもあり、ここが死に場所と覚悟を定めた実盛は殿(しんがり=最後尾の守備)を自ら志願し、獅子奮迅の働きで義仲軍の猛攻に耐えますが、ついには義仲の郎党 手塚光盛によって討ち取られてしまいます。

ということで、手塚光盛が討ち取った実盛の首を木曽義仲の前に面差し出しているのが先ほどの銅像の場面になります。

斎藤実盛はかつて源義賢に仕えたことがあり、義賢が悪源太義平に討たれた際、義賢の忘れ形見の男子を逃し密かに信濃国へ送り届ける役目を果たしていました。その遺児こそが木曽義仲であり、当の義仲も命の恩人である実盛のことは敵味方となった戦場でも幾許か気にかけていました。そこへ持ち込まれた実盛のものと称する首。

しかし、70歳をゆうに越えているはずが、そうとは思えない黒々とした髪に髭で、どうにも不審を抱いた義仲は実盛のことを知る側近樋口次郎兼光(そうあの兼たんのご先祖様!)を呼んで尋ねたところ、かつて実盛が「60歳を過ぎて戦陣へ赴く際には、鬢髭を黒く染めて若々しい姿で臨もうと思う。なぜなら、若者に混じって白髪頭が先陣を争うのも大人げないし、かといって老い武者と侮られるのも口惜しいから」などと語っていたとの返答を受け、すぐさまそばの池で首を洗わせてみたところ、みるみる墨染めの髪は白髪となり、斎藤実盛その人と確認されたのでした。

もし、事前に実盛とわかっていれば、自分の命を救ってくれたその恩返しとして、義仲は実盛を助命したことでしょうね。あの頼朝でさえ池禅尼への義理立てから頼盛には手出しできなかったのですから、情に厚い義仲ならなおのこと。恐らく実盛自身もそれは十分に察していて、でも、そうなることを良しせず、わざわざこんな手の込んだ変装をしたのでは…という気がします。




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こちらは銅像のすぐそばに建つ松尾芭蕉の句碑。
むざんやな 兜の下の きりぎりす

樋口兼光が実盛の首を確認しての第一声「あな無惨、実盛にて候」に倣い、始めは
あなむざん 兜の下の きりぎりす」と詠んでいたそうですが、謡曲『実盛』に「むざんやな」の表現があることを受け、決定稿の『奥の細道』では後者の「むざんやな」に改めたということです。




さて、篠原古戦場跡から北へ直線距離にしておよそ1kmほど(実際はぐるっと回り込んで行かないといけませんのでもう少しありますが)の所に、実盛の亡骸を葬ったという「実盛塚」があります。



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立派な松の大木に抱かれるように塚が築かれています。
また、駒札によれば、安宅関でも歌を詠んでいた与謝野晶子がこの地も訪れ一首残しているようです。


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北海が盛りたる砂にあらずして木曽の冠者がきづきたる塚
松尾芭蕉が源平史跡めぐりマニア(爆)なのは承知ですが、与謝野晶子もそういう気があったのかしら? (^_^;)











ということで、まだ2~3見逃したものもあるのですが、ひとまず北陸パートはこれにて終了。
お次の蔵出し記事 第2弾では、日本三景に数えられるかの名所などをご紹介します。



【このページの写真&動画は平成21年7月20日に撮影したものです】



《メモ》
  篠原古戦場 首洗池 【地図】
   石川県加賀市柴山町

  実盛塚 【地図】
   石川県加賀市篠原町
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by kiratemari | 2009-09-07 19:25 | ├北陸 | Trackback | Comments(0)
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