皆既日食
今世紀最長という皆既日食が起きた今日。
もちろんテレビ観測組でしたが(汗)、画面を通して見ても、大いに感じることができた宇宙の営みの神秘。
どちらかというと太陽の満ち欠けがどうこうより、皆既中の辺りの風景がどんなふうになるかの方に興味がありましたので、あたかも巨大な円盤が覆いかぶさったかのように月の影が広がる天空と 大海原の水平線との狭間に お日様色に輝く不思議な世界が出現したその光景には思わず目を見張りました。
次の機会は2012年5月に、今度は「金環食」のようですが、本州のわりあい広範囲で見られる可能性があるようですので、そこで少しでも日食気分を味わえたらなと思います (^^ゞ
ところで、中継の中で硫黄島では800年前にも皆既日食があったというコメントを耳にしましたが、その800年というのが820年とか830年ぐらいの誤差を含むものとするとちょうど源平の争いが繰り広げられた平安時代末期に当たります。
硫黄島は、平家隆盛の時代に「鹿谷の変」で俊寛らが流された「鬼界ヶ島」ではないかと推測される場所の一つですので、もしかすると俊寛や成経・康頼はリアルに体験したのかも?との妄想も… (^_^;)
そして、その時のものと同時期のものかどうかはわかりませんが、源平の戦いにおいても、この「日食」が大きくクローズアップされたエピソードがあります。
源氏の勢力に押されて都落ちした平家に替り、京を掌握した木曽義仲。彼は後白河法皇の院宣により、再び京への返り咲きを狙う平家を打ち滅ぼすべく、瀬戸内へと出陣します。
そして、備中国の水島(岡山県倉敷市)において合戦を交えますが、奇しくもこの時に日食が起こり、白昼の暗闇という時ならぬ自然現象に驚き怖れ慄いた木曽軍の兵士らは次々に逃走。一方、事前に日食のあることを知っていた平家軍の士気に乱れはなく、追い撃ちを掛けて平家の都「福原」奪還の足掛りを得たという、これは『源平盛衰記』巻33の「源平水島軍事」に記されているエピソードです。
『平家物語』や『源平盛衰記』には過分に創作や脚色も加えられていますので、それ単体では信憑性に欠けますが、ことこの日食に関しては九条兼実の日記『玉葉』寿永2年(1183)閏10月1日条にも「此日、日蝕也、所載勘文、辰刻虧初、午刻復末云々、而午刻虧初、申刻復末、算勘之相違歟」などと書き込まれていますので、実際に起きたことは間違いないようです。
とはいえ、なぜ平家方は日食を事前に知ることができたのか。
古来、朝廷において「日食」は重要な意味合いを持つ現象であり、それがいつ起きるかを予測することは必要不可欠な事柄でした。
君主のことを「天子」と呼びますが、まさしく父なる「天」より地上を治める権限を与えられた子という意味であり、その「天」の象徴である「太陽」が欠けるなど不吉この上ないこと。ということで、日食の当日には一切の行事や政務が中止される慣わしでした。
そのため「陰陽寮」なる役所において、予定日の計算や観測データを基にした裏付け作業を行う仕組みが遠く奈良時代の頃から確立されていました。先ほどの『玉葉』の記事をよく見ると、勘文(かんもん)というのは陰陽寮の提出する報告書のことを指し、それによれば「辰の刻(午前8時前後)に欠け始め、午の刻(正午頃)に復帰」とあったのが、実際は「午の刻から欠け始めて申の刻(午後4時前後)に復帰」しており「計算違いがあったか?」との言及もあったり…。
精度には多少難ありの点もあったかもしれませんが、とりあえず日食については日にちはおろか、時間レベルまで詳しく予測計算が行われていた事実はここからも証明されています。
そして、そうした成り行きをみると、いくら凋落したりといえども天子たる安徳天皇を擁する平家方に、その方面の事情に明るい文官が随行していたというのは十分にありえることで、あるいは意図的に「日食」と合戦が重なるように仕向けたという可能性すらも考えられる部分も…。
まあその辺りの事情はともかく、この水島の合戦で京へ逃げ帰った木曽軍の戦力は著しく低下し、そこへ関東より源義経率いる軍勢が押し寄せ、滅亡への一途をたどることになります。もしも、日食に惑わされず平家軍を撃破することができていれば、情勢はまた違った方向へ転がっていたかもしれず、これはちょっと大袈裟かもしれませんが、日食がその命運を決定付けたと言っても過言ではないような気も…。
もっとも、この時期に日食が起きたのは事実としても、その当日に合戦が行われたことも、日食に驚いて逃げたことが直接の敗戦理由かどうかも確証はないというのが実のところ。
しかし、仮に虚構としても、その二つの事項を巧みに結びつけた創作力&演出力には大いに拍手を送りたいですね (^-^)/
もちろんテレビ観測組でしたが(汗)、画面を通して見ても、大いに感じることができた宇宙の営みの神秘。
どちらかというと太陽の満ち欠けがどうこうより、皆既中の辺りの風景がどんなふうになるかの方に興味がありましたので、あたかも巨大な円盤が覆いかぶさったかのように月の影が広がる天空と 大海原の水平線との狭間に お日様色に輝く不思議な世界が出現したその光景には思わず目を見張りました。
次の機会は2012年5月に、今度は「金環食」のようですが、本州のわりあい広範囲で見られる可能性があるようですので、そこで少しでも日食気分を味わえたらなと思います (^^ゞ
ところで、中継の中で硫黄島では800年前にも皆既日食があったというコメントを耳にしましたが、その800年というのが820年とか830年ぐらいの誤差を含むものとするとちょうど源平の争いが繰り広げられた平安時代末期に当たります。
硫黄島は、平家隆盛の時代に「鹿谷の変」で俊寛らが流された「鬼界ヶ島」ではないかと推測される場所の一つですので、もしかすると俊寛や成経・康頼はリアルに体験したのかも?との妄想も… (^_^;)
そして、その時のものと同時期のものかどうかはわかりませんが、源平の戦いにおいても、この「日食」が大きくクローズアップされたエピソードがあります。
源氏の勢力に押されて都落ちした平家に替り、京を掌握した木曽義仲。彼は後白河法皇の院宣により、再び京への返り咲きを狙う平家を打ち滅ぼすべく、瀬戸内へと出陣します。
そして、備中国の水島(岡山県倉敷市)において合戦を交えますが、奇しくもこの時に日食が起こり、白昼の暗闇という時ならぬ自然現象に驚き怖れ慄いた木曽軍の兵士らは次々に逃走。一方、事前に日食のあることを知っていた平家軍の士気に乱れはなく、追い撃ちを掛けて平家の都「福原」奪還の足掛りを得たという、これは『源平盛衰記』巻33の「源平水島軍事」に記されているエピソードです。
『平家物語』や『源平盛衰記』には過分に創作や脚色も加えられていますので、それ単体では信憑性に欠けますが、ことこの日食に関しては九条兼実の日記『玉葉』寿永2年(1183)閏10月1日条にも「此日、日蝕也、所載勘文、辰刻虧初、午刻復末云々、而午刻虧初、申刻復末、算勘之相違歟」などと書き込まれていますので、実際に起きたことは間違いないようです。
とはいえ、なぜ平家方は日食を事前に知ることができたのか。
古来、朝廷において「日食」は重要な意味合いを持つ現象であり、それがいつ起きるかを予測することは必要不可欠な事柄でした。
君主のことを「天子」と呼びますが、まさしく父なる「天」より地上を治める権限を与えられた子という意味であり、その「天」の象徴である「太陽」が欠けるなど不吉この上ないこと。ということで、日食の当日には一切の行事や政務が中止される慣わしでした。
そのため「陰陽寮」なる役所において、予定日の計算や観測データを基にした裏付け作業を行う仕組みが遠く奈良時代の頃から確立されていました。先ほどの『玉葉』の記事をよく見ると、勘文(かんもん)というのは陰陽寮の提出する報告書のことを指し、それによれば「辰の刻(午前8時前後)に欠け始め、午の刻(正午頃)に復帰」とあったのが、実際は「午の刻から欠け始めて申の刻(午後4時前後)に復帰」しており「計算違いがあったか?」との言及もあったり…。
精度には多少難ありの点もあったかもしれませんが、とりあえず日食については日にちはおろか、時間レベルまで詳しく予測計算が行われていた事実はここからも証明されています。
そして、そうした成り行きをみると、いくら凋落したりといえども天子たる安徳天皇を擁する平家方に、その方面の事情に明るい文官が随行していたというのは十分にありえることで、あるいは意図的に「日食」と合戦が重なるように仕向けたという可能性すらも考えられる部分も…。
まあその辺りの事情はともかく、この水島の合戦で京へ逃げ帰った木曽軍の戦力は著しく低下し、そこへ関東より源義経率いる軍勢が押し寄せ、滅亡への一途をたどることになります。もしも、日食に惑わされず平家軍を撃破することができていれば、情勢はまた違った方向へ転がっていたかもしれず、これはちょっと大袈裟かもしれませんが、日食がその命運を決定付けたと言っても過言ではないような気も…。
もっとも、この時期に日食が起きたのは事実としても、その当日に合戦が行われたことも、日食に驚いて逃げたことが直接の敗戦理由かどうかも確証はないというのが実のところ。
しかし、仮に虚構としても、その二つの事項を巧みに結びつけた創作力&演出力には大いに拍手を送りたいですね (^-^)/
by kiratemari
| 2009-07-22 23:14
| つれづれ
|
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Comments(2)
手鞠さん、こんにちは♪
天文に興味があるので、昨日の日食は以前から楽しみにしていました。でも、あいにく曇り空で、欠けた太陽を拝むことができなくて残念でした。
そこで、時々外に出て、少し薄暗くなった空を見上げたり、ひんやりした空気を体感しながら、テレビ中継を見ていました。あたりが真っ暗になり、空には黒い太陽、水平線は不思議な色…、幻想的でしたよね。2012年の金環食、楽しみです。
水島の合戦の時に日食が起こったという話は、昨日、テレビでちらっと聞いたのですが、こちらで詳しく教えて下さってありがとうございます。なるほど、これが事実だとすると、義仲は日食で運命を狂わされたとも言えますね。
そして、これが事実ではないとしても、合戦と日食を重ね合わせて物語を造り上げた「源平盛衰記」の作者は見事です。
昔の人たちは日食は不吉なものと恐れていたようですが、日本史と日食との関係について調べてみるのは面白そうですね。そういったたぐいの本、出ないかしら。
天文に興味があるので、昨日の日食は以前から楽しみにしていました。でも、あいにく曇り空で、欠けた太陽を拝むことができなくて残念でした。
そこで、時々外に出て、少し薄暗くなった空を見上げたり、ひんやりした空気を体感しながら、テレビ中継を見ていました。あたりが真っ暗になり、空には黒い太陽、水平線は不思議な色…、幻想的でしたよね。2012年の金環食、楽しみです。
水島の合戦の時に日食が起こったという話は、昨日、テレビでちらっと聞いたのですが、こちらで詳しく教えて下さってありがとうございます。なるほど、これが事実だとすると、義仲は日食で運命を狂わされたとも言えますね。
そして、これが事実ではないとしても、合戦と日食を重ね合わせて物語を造り上げた「源平盛衰記」の作者は見事です。
昔の人たちは日食は不吉なものと恐れていたようですが、日本史と日食との関係について調べてみるのは面白そうですね。そういったたぐいの本、出ないかしら。
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えりかさん、こんばんは~♪
ホントお天気が悪かったのは残念でしたね。
日食の時間帯と同じ頃に少し薄暗くなったのも、日食のせいなのか、夕立の降りだす寸前みたいな真っ黒な雲が出ているからなのか区別がつかないような感じでしたし。再来年の金環食は5月のようですので、今回よりは晴れの確率も上がりそうですし期待したいですね。
そうそう、水島の合戦の時の日食も皆既ではなく金環食だったらしいですよ。そうすると、やっぱり皆既日食のイメージから想起した創作だったということかしら? 再来年の日食で疑似体験できるようなら、その辺の決着がつくかもしれませんね。
日本史と日食については、卑弥呼の時代からいろいろ逸話が残されているみたいですから、それらに言及した本もありそうですね。そう言えば『北条時宗』の時にも日食表現がありましたが(関白切腹の仰天シーン)、あれも実際に日食のありえる時期の設定だったのかどうか?
ホントお天気が悪かったのは残念でしたね。
日食の時間帯と同じ頃に少し薄暗くなったのも、日食のせいなのか、夕立の降りだす寸前みたいな真っ黒な雲が出ているからなのか区別がつかないような感じでしたし。再来年の金環食は5月のようですので、今回よりは晴れの確率も上がりそうですし期待したいですね。
そうそう、水島の合戦の時の日食も皆既ではなく金環食だったらしいですよ。そうすると、やっぱり皆既日食のイメージから想起した創作だったということかしら? 再来年の日食で疑似体験できるようなら、その辺の決着がつくかもしれませんね。
日本史と日食については、卑弥呼の時代からいろいろ逸話が残されているみたいですから、それらに言及した本もありそうですね。そう言えば『北条時宗』の時にも日食表現がありましたが(関白切腹の仰天シーン)、あれも実際に日食のありえる時期の設定だったのかどうか?
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