誰が決める?「嫡流」「庶流」

「義経」第10回で、ちょいと耳に残った「嫡流」「庶流」という言葉。時代物には欠かせないこのアイテム(?)を、奥州藤原氏と源氏のお家事情と絡めて、クローズ・アップしてみたいと思います。

1.奥州藤原氏の場合

奥州藤原氏の三代目御館秀衡に何人の男子がいたかは不明ですが、とりあえず有名どころを挙げれば、国衡、泰衡、忠衡の三人。その中で、秀衡の跡を継いで四代目となったのは二男の泰衡でした。
九条兼実の日記『玉葉』によれば、後年、秀衡死去に触れた記事の中で「兄多腹之嫡男也、弟当腹太郎也」とあり、国衡=「庶長子」、泰衡=「嫡出長子」の認識に間違いはないものと思われます。

国衡の母は未詳ですが、在地の豪族の娘辺りを想像しておけば良いでしょう。
対する泰衡の母は元陸奥守の藤原基成
かの平治の乱を引き起こした傾国の美男子(?)藤原信頼の異母兄で、また、摂関家の近衛基通には伯父に当たる人物としても知られますが、意外に知られていないのが一条長成との関係。
基成の父忠隆と一条長成とは、双方の母が姉妹ということで従兄弟に当たり、そもそも、義経の平泉入りも、基成―長成のホットラインがあったればこそ、実現を見たとする説もあるほどです(今回のドラマでは完全黙殺のようですが)。

まあそれはさておき、基成は陸奥守の任期が明けて後も陸奥国に留まり続け、京の公家社会における豊富な人脈をも駆使して、政治顧問の役割を果たしていたと言いますから、秀衡にとっては、あだやおろそかにはできない存在。その基成の孫に当たる泰衡が家督を継ぐのも自然な流れと言えます。

が、長子の国衡の心中を推し量れば、釈然としない思いもあったでしょう。史料などを見る限り、国衡が特に事を起こした気配はないのですが、それでも、秀衡にはどうも危惧する気持ちが強かったのか、臨終に際して、自身の正室、つまり、泰衡の母を国衡に娶わせるという遺言を残したと言うのですから驚きです。
上の記事に続く『玉葉』からの引用で、この後に、有名な「義経を主君と仰ぎ、鎌倉の頼朝に対抗せよ」といった主旨の文章も続くのですが、これらのニュース・ソースは通称「治承3年のクーデター」「鹿谷事件」(訂正:'05/03/24)で陸奥国へ流罪となった中原基兼と目され、流人の身の上にも関わらず、いつしか秀衡の近臣として重用されるようになった彼の情報となれば、かなり信憑性も高いと思われます。

しかし、息子の嫁を自分の嫁に…というのは、どこかでも聞いたような話ですが(多分「義経」でも出てくるでしょう)、自分の嫁を息子に…って、これは、よっぽどの若妻だったのか?(-_-;)

国衡の生年は不明ながら、享年66歳(文治3年)が有力とされる秀衡の長男ですからね。その時点で、既に40歳は越えていたものと思われます。で、片や、泰衡の母はといえば、泰衡の享年(文治5年)に35歳と25歳の説があり(一応、35歳説の方が有力)、仮に35歳説であれば50歳前後、25歳説であれば40歳前後と推測すると、それほど無茶な組み合わせでもなさそうですが(何やら、光源氏と藤壺女御の関係を彷彿させるような…)、それより、問題なのは、こうした政略話が持ち出されるほど、藤原氏内部には、対立の火種が燻っていたのではないか?という疑惑でしょう。

いかに「嫡流」と定められていても、これに反旗を翻す者が出れば、その行方はどう転ぶかわからない…。所詮は、人臣掌握を含めた「実力」がモノを言う、そんな混沌とした乱世にあって、四代目泰衡の立場を守っていたのは、あるいは、秀衡という存在のみだったのかもしれません。




 
2.清和源氏の場合

ドラマ内でも、自らを「嫡流」、義経は「庶流」と評した頼朝ですが、しかし…、本当に、頼朝は生まれながらの嫡流だったのか…。

一般的には、義朝の三男として生まれた頼朝は、他の兄弟に比べ、母の身分が高かったことから嫡男に定められ、その証として「源太が産衣」や「髭切り」といった源家の由緒ある品々を拝領していたと伝えられています。

「髭切り」はドラマでも取り上げられ、清盛を狂乱(?)させた曰く付きの「太刀」ですが、これに関する情報はあまり多くはないので、ここでは割愛させていただくとして、「源太が産衣」は「八領の鎧」と称される源家相伝の鎧の一つで、他に「月数」「日数」「八龍」「沢瀉」「薄金」「楯無」「膝丸」があります。

「保元物語」によれば、崇徳上皇方への参陣を決めた源為義が、源氏嫡流に伝えられるべき「源太産衣」「膝丸」の二領を、戦闘開始直前に夜陰に紛れ、義朝の許へ届けさせた……とあることから、その重要性が一際強調されていますが、一説には「八龍」を挙げるものもあり、むしろ、「源太産衣」に特別な意味合いを込めた、これ見よがしの記述には、後年、三男の頼朝が嫡男の座に就いたことに、一部でケチをつける気風でもあって、それに対する反論材料として、でっち上げられたものではないか?という気もします。

ここで「源太が産衣」の由来について、少し触れておくと、大元の所有者は八幡太郎義家
頼朝には曾々祖父(4代前)に当たり、前九年・後三年の役と称される奥州戦争で、天下にその武威を広く知らしめ、武門の棟梁の地位を築いた大人物ですが、「八幡」はさておき、「源太郎義家」の頭の二文字から「源太」=「義家」、「産衣」=「初衣」から、「源太が産衣」は義家が初めて着けた鎧で、恐らくは、元服時に着用したものと思われます。

その義家元服の年月日は不明のため、確かな年齢はわかりませんが、武家の、それも勇将の誉れ高い義家ですから、12~3歳までには行われたことでしょう。ということは、この鎧は未だ少年の域を出ない頃の義家が着けたもの。つまり、実質「子供用」の鎧を、いくら由緒ある品とはいえ、当時の長男義平・二男朝長が着けるのは、体格からいって、かなり無理があったように思われます。
現に、平治の乱では、「八領の鎧」からそれぞれ、義平が「八龍」、朝長が「沢瀉」を着けたと言いますから、単純に、初陣の頼朝にピッタリということで「源太が産衣」があてがわれたと見る方が正しいのではないでしょうか。

そもそも、母の格付けで…などと悠長なことを言っていられるのは、平和な世の中であればこそ。風雲急を告げる乱世には、武士団の統率力、的確な判断力、躊躇のない実行力などが求められますから、それら全てを兼ね備えていたと思われる長男義平は、義朝も周囲も認める次代の棟梁だったでしょうし、また、もしも、九郎義経が先に挙兵していたなら…、東国の武士団も我先にと馳せ参じ、その持ち前の行動力で彼らを惹き付けた義経が「嫡流」となる可能性もあったようにも思えます。

では、そんな中にあって、さしたる武功も伝えられず、戦はほぼ人任せにしていた頼朝を「嫡流」へと押し上げたのは、いったい何者(物)だったのか……。突き詰めて考えて見るに、これは、もう、ひとえに「時」=「タイミング」の産物としか、言いようがないような気がします。
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by kiratemari | 2005-03-17 19:20 | 歴史語り | Trackback(1) | Comments(4)
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Tracked from えりかの平安な日々 at 2005-03-17 22:22
タイトル : 大河ドラマ「義経」第10回&無視されてしまった藤原基成
 大河ドラマ「義経」第10回の感想です。  先週のラストが、「平泉の一歩手前」ということでしたので、平泉に入る前に何か一悶着起きるのかなと思っていたのですが……。何も起こらなかったようで、義経主従は無事に平泉に入ることができたようですね。  それはともかくとして、高橋英樹さんの藤原秀衡は期待通り素敵でした。みちのくの王としての貫禄はもちろんですが、やはり人間が大きいです。初対面の秀衡の前で居眠りをしている義経を見て、「こいつはただ者ではない。」と思うあたり、人間の大きさが出ていますよね。その秀衡に...... more
Commented by えりか at 2005-03-17 20:47 x
 今晩は♪拝見させていただきました。

 秀衡の遺言の中に、「国衡と泰衡の母を娶せるように」という遺言があったとは知りませんでした。国衡と泰衡は、かなり対立していたのかもしれませんね。

 それから頼朝ですが、母親が義朝の正室だから当然嫡男だと今まで思っていたのですが、そう単純なものではなかったのですね。もし、義経がその人望と戦上手な才能を生かして嫡流になっていたら…と考えてみるのも面白いです。いつもながら手鞠さんのご考察は、色々なことに気づかされてとても勉強になります。ありがとうございました。

 
それからリンクを確認しました。今後ともよろしくお願いします。トラックバック、私の方からも送らせていただきますね。では、では。
Commented by kiratemari at 2005-03-18 00:32
えりかさん、TB&コメント、ありがとうございます。こちらこそ、今後ともどうぞよろしく。

国衡と泰衡母の話は、私も始め、解説書か何かで見た時は「はぁ?」と思っていたのですが、その後『玉葉』の中に該当の記事を見つけて、「根も葉もない捏造話ではなかったのか…」と、俄然、興味を持った口でして…。

頼朝の方の推測は、かなり妄想も入ってますからね。どうか、あまり間に受けないで下さいませ。あくまでも、そういう考え方もある…というスタンスで。
Commented at 2016-01-18 17:34 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by kiratemari at 2016-01-19 22:04
鍵コメ様、どうも初めまして。
10年以上も前に書いた記事にコメントをいただく日が来ようとは…。
大変驚いております (@_@;)

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